8 おみず神事⑤
碧生はふと、我に返った。
すぐ目の前にあるのは、白地にピンクや黄色の花柄のタオルケット。
どうやらタオルケットを抱えるようにして、横向きの状態で丸まって眠っていたらしい。
あわてて身を起こす。すぐそばでサキモリ兄弟が二匹とも、ぐっすり眠っていた。
無防備なその寝顔、猫以外の何者にも見えない。
碧生ははっきりしない頭のまま、辺りを見渡した。
陽射しにさらに黄色みが加わった、さっきよりもワントーン暗くなった室内に、彼はいる。
(……あ。そうやった)
『神の庭』の話をして……子供のように泣きじゃくって。
タオルケットを抱えて丸くなって泣いている自分のそばへ、サキモリたちがそっと寄り添ってきて……。
(寝てしもたんかい。完全に幼児やん)
超絶、恥ずかしい。
隣で横になっていたはずのナンフウはすでにいない。
ヤツが寝ていた座布団は四つずつきちんと重ねられ、その上へ使っていたタオルケットがたたんで乗せられていた。
その時、誰かが間仕切りのふすまを、遠慮した感じにトントン、と叩いた。
眠っていたら気付かないようなささやかな音だ。
「あ、あの、はい。起きてます、スミマセン」
碧生が返事をすると、ふすまが静かに開いた。銀雪先生だ。
「ああ……さっきよりも顔色、かなり良うなったね」
碧生の顔をひと目見て、安心したように銀雪先生はそう言った。
「は? そ……う、です、か?」
ナンフウがひどい顔色だった記憶はあるが、碧生はさすがにそこまでではないと思っていたので、先生のその反応は意外だった。
「碧生くんも、ナンフウくんとおんなじような顔色でしたよ」
銀雪先生は真顔で言う。
「彼が倒れてなかったら、キミが倒れてたでしょうね」
そんなことは、と言いかけ、碧生は苦笑いでごまかした。
『そんなこと』あるから、べそべそ泣きながら眠りこむようなみっともない羽目に陥ったのだと思い直した。
『あ、ユーキ』
気配に乙彦が起きてきて、碧生の膝頭へ顔をこすりつけてきた。
『うん、もう大丈夫そうやね!』
嬉しそうにそう言う乙彦を、碧生は抱き上げた。
ふわふわした、あたたかくて柔らかいものに触れるのは、それだけで心癒される。
『どーでもエエけど。そもそもユーキは、怒るん、ヘタクソやなあ』
もぞもぞと起き出し、欠伸をしながらのびをした後、兄彦はちょっとあきれたようにそう言った。
『怒るべき時に上手に怒らんと、身体に悪いモン溜まっておかしくなるで。今回のこともその辺が影響してるんや。まあ、ナンフウみたいにしょっちゅうキーキー怒ってるんも、アレはアレでどうかと思うけどな』
「おい、誰がしょっちゅうキーキー怒ってるねん」
仏頂面のナンフウが、ふすまの向こうで文句を言った。
『怒ってるやん。ナンフウは、ジョーチョフアンテイ、ってヤツやな』
「やかまし。ほっとけ」
そう言うが、意外にも彼は今、怒っている様子がない。
小生意気な猫に、ジョーチョフアンテイ、などと言われても否定しない。
まとう空気がどことなく穏やかだ。
ヤツの中で何かが変わったのだと、碧生は覚る。
「結木」
ちょっと照れ臭そうに眉をしかめ、ナンフウは碧生を見た。
「起きたんやったら、こっち来いよ。雪嶺さんが、ハチミツのカップケーキ焼いてくれたで。焼き立てやから、美味いぞ」
「ああ……うん。ご馳走になる」
碧生もちょっと気恥かしい。目をそらし気味にそう答え、乙彦を畳にそっと降ろして、立ち上がった。
座卓の中央には、あたたかくて甘い香りの小さめのカップケーキがたくさん、大きな白い皿に盛られていた。
勧められて、碧生はさっきまで座っていた場所に座る。
澄んだ紅色も美しい紅茶が、レモンとハチミツを添えて供される。
緑茶以外の飲み物ここの家にもあったんやな、と、聞きようによっては失礼なことを、碧生は内心、思う。
いただきます、と頭を下げ、まずは紅茶にレモンとハチミツを入れ、スプーンで混ぜて飲んだ。
思わず息を吐く。美味い。甘味と酸味が身体に沁みる。
「良かったらカップケーキもどうぞ」
銀子――ここでは雪嶺と呼ばれるべきなのだろうか――に、にっこりしながら勧められ、碧生は、ありがとうございますと言って手を伸ばす。
想像よりももっちりとした食感のケーキで、噛むたびにハチミツだけではない、いい香りが鼻に抜ける。
「え、これ……」
うふふ、と、嬉しそうに雪嶺は笑う。
「わかる? お菓子に使ってるハチミツは、庭にある木犀の花で香り付けしてるのん。今年の花の分、使えるまでもうちょっとかかるけど、去年漬けたハチミツはぎりぎり今回、あったから」
「あー。言われてみたら、確かにそれっぽい香りするなぁ。それもあるんか、コレ、メッチャ美味い」
遠慮することなくすでに三個ばかり平らげていたナンフウが、雑な食レポ?をする。
雪嶺は、軽くナンフウをにらんでため息を吐いた。
「んもう。デリカシーないねえ、ナンフウくんは」
仲の好いお姉さんと弟というようなたたずまいの二人。
一ヶ月以上前から知り合いの二人が、ある程度以上親しいのは当然なのだが。
寂しいような妬ましいような、もやもやしたものが碧生の胸をふさぐ。
ごまかすように彼はもう一つ、カップケーキに手を伸ばし、ろくに噛まずに飲み込んだ。
鼻に抜ける、ハチミツに絡んだ木犀の花の香りが何故かひどく官能的な気がして、碧生は内心、うろたえる。
時刻はすでに午後三時。
さり気なく時計を確認した銀雪先生が、口を開いた。




