8 おみず神事③
「神事として行うことは、至ってシンプルです」
静かな声で銀雪先生は続ける。
「十月のある日、日の出の頃に皆で泉の前へ行き、作法に従って泉の水をひとくち、飲む。それだけです」
「……えっと?」
作法に従ってという部分が気になるが、要する『泉の水を飲む』、だけの神事、ということだろうか?
「あの」
おそるおそる、碧生は問う。
「えっと。難しい作法はあるんでしょうけど。水を飲む、のが神事になるんですか?」
銀雪先生は苦笑気味に答えた。
「はっきり言うのなら。究極の話をすると、作法も無くていいかもしれませんね。要するに『おもとの守』の資格があるとされる者が、泉の水を飲む、ことで神事は成立します」
あの、と、ナンフウが口をはさむ。
「あの。例えば。ビラビラした白い紙のくっついた榊を振り回したりとか、なんかヤヤコシイ呪文唱えたりとか……、ホントにそういうの、一切無し、ですか?」
(お、おい! 言い方!)
碧生はギョッとしながらナンフウを見る。
が、ナンフウはごく真面目な顔をしていた。顔色は相変わらず良くない。
「そういうのは特に無いですね」
さすがに銀雪先生も困ったように眉をしかめて答える。
「この神事を成立させるのは、神事に参加可能な者、つまり『おもとの守』の有資格者が『泉の水を飲むこと』のみ。同じことを、資格のない者がやってみても何も起こりません。泉の水は、基本はただの地下水、ただの湧水です。科学的に分析したこともあるそうですが、特に変わった分析結果は出なかったそうですよ。であるにもかかわらず、『おもとの守』として青蛙のミコトからのいざないを受けた者がこの水を飲むと、『神の庭』へ召喚されます……魂が」
「たましい?」
あやふやな顔で碧生が問うと、銀雪先生は真顔でうべなう。
「魂、という表現が一番わかりやすいでしょうね」
少し考えながら、銀雪先生はゆのみを持ち上げ、覗き込む。
「もちろん、それで本当に正しいのかどうかはわかりません。わかりませんが、今までの自分の経験上、それから他の人の話を総合しても、おそらくそうだろうと思われます。『おもとの守』のメンバーは、泉の水を飲むと瞬間的に呼吸が止まり、身体が硬直した状態で意識がなくなります。時間としてはせいぜい十数秒から、長くて一分程度ですが。その間、身体は現世にある状態で魂は現世から離れるのだと……考えられます」
彼女はひとつ息を吐き、改めて、白くこわばった顔の少年たちを見た。
「召喚された先は、真っ白な、雲のような霧のようなものに覆われた広大な大地が広がっていて、青く澄んだ雲ひとつない空に覆われています。そこを我々は便宜上、『神の庭』あるいは『生と死の狭間』と呼んでいます」
(……なん、やて!)
碧生は驚愕に目を見開く。
ひどく息苦しい。
眩暈もしてきたのか、視界がぐらつく。
延々と広がる白い大地。果てのない青い空。
幼い頃から繰り返し見てきた、あの悪夢の舞台ではないか!
グエホッ。
そんな不穏な音と同時に、碧生の隣にいたナンフウが不意にくずおれ、畳の上に転がった。
「ナンフウくん!」
『おいナンフウ!』
銀子の悲鳴のような声、同時にサキモリの兄彦の声が響く。
銀雪先生は素早く立ち上がってナンフウのそばへ寄り、背中をさする。
「ナンフウくん! 棕櫚くん!」
銀雪先生の呼びかけに応えるように、ナンフウは横たわったまま小さくうなずいた。
身体はがくがく痙攣していたし、顔も、きつく握りしめている手の甲も、不吉なまでに血の気がない。
その白い手の甲を、いつの間にかそばまで来ていた乙彦が、そっとなめている。
碧生は硬直したまま、ひたすらおろおろと彼らを見ていた。
銀子はいつの間にかキッチンへ行って、濡れタオルと白湯を手に戻ってきた。
しばらくして少し落ち着いたのか、ナンフウは、もぞもぞと身体を起こして座り直し、座卓に突っ伏した。
やがて彼は渡された濡れタオルで顔をぬぐい、震える手で頃合いに冷めた白湯をすする。
「……スミマセン。もう、大丈夫です」
そう言ってぎこちなく笑うが、ナンフウの顔色は相変わらずだ。乙彦が、にゃ、と、短く鳴いて、ナンフウの膝のあたりに顔をこすりつけている。
しばらくぼんやり、それを見ていたナンフウは、何かに引かれるように乙彦を抱き上げ、胸の辺りで抱えてふわふわの毛皮に顔を寄せると、大きく息を吐いた。
「棕櫚くん。とりあえず隣の部屋で横になって休みますか?」
「あ、いえ……大丈夫です。話、続けてください」
顔を上げてヤツはそう言うが、限界であろうことは素人目にもわかる顔色だ。
『大丈夫なことあるかい。乙彦がお前から離れへんっちゅうのはそういうことやで。休憩しろ、横になれ』
兄彦が言う。
えらそうな口調ではあったが、さすがに心配そうでもあった。
銀雪先生はしばらく躊躇した後、銀子と目顔で何か伝え合うと、次に碧生の顔を見た。
「碧生くん。キミも顔色、良うないね。ちょっと休憩、はさみましょう」




