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クサのツカサ  作者: かわかみれい
1 守のツカサ〜中学生編
37/112

8 おみず神事①

 碧生は今、自室の机の前に座り、国語辞典や漢和辞典、国語の参考書などを広げている。

 『四面楚歌』。

 言葉は聞いたことがあるし、意味もなんとなく、どこかで見たか聞いたかしてぼんやり知っていた。が、真面目に調べたことはない。


(……つまり)


 辞典や参考書に書かれていることをまとめると、こんな感じだろうか。



 紀元前の中国で、天下を争った楚の項羽と漢の劉邦。

 しかし項羽は上手く戦を進められず、ついに漢の軍に包囲される。

 夜になり、包囲している敵軍から項羽の国である楚の歌が響いてきた。

 項羽は、楚人すべてが自分たちの敵に回ったと(早合点し)、敗走した。



(本当に楚の国の人すべてが漢に従っていたのではなく。たまたま敵軍に楚の人間が多く混ざってて、夜に故郷の歌を歌っていただけっぽい……なんか、そんな感じみたいやな)


 銀雪先生が哀しい目で言った『楚の国の歌を歌ってる人らが必ずしもキミの敵とは限らない』を、彼はふと思い出す。


 この時、項羽軍を囲んで楚歌を歌っている人々は確かに、項羽の敵だったろうが。

 楚歌を歌える人、つまり楚の国の人すべてが項羽の敵だった訳ではないという雰囲気が、どの説明文でもにじんでいる。


 碧生は本から目を離し、シャーペンを机の上へ投げ、椅子の背もたれにもたれて天井を仰いだ。

 レースのカーテン越しに、ベランダから月光と街灯の光が差す。


 碧生にとっての『楚人』。

 そのすべてを敵だと早合点すれば、項羽のように破滅が待っている、のかもしれない。

 が。

 信じろと言われても素直に信じきれるものでもない。


(別にあの人らのこと、全然信頼してへん訳やないで。せやけどやっぱ、もやもやした不信感は消えんよな。基本、あの人らに悪気があるとは思われへんし、実際ないやろうけど……悪気がなきゃエエ、ってもんでもないやん)


 『おもとの守』に選ばれた人たちはみんなある意味、碧生と同じ被害者なのかもしれない。

 そんな風にも最近思う。

 彼らだっておそらく、好き好んでおもとの守になった訳ではないだろう。

 また、人外(神様とか精霊)の側として、村の者が水を欲した見返りとして土地に住む者の中から泉を守る者を出せというのは、それなりに真っ当な要求だともいえる。

 少なくとも、生贄を出せというよりはよっぽど人道的?だし。


 かといって一連の厄介の発端になった、水を欲した昔の人を責める気にも、さすがに碧生もなれない。

 その当時の人たちは本当に、生きるか死ぬかの瀬戸際だったろうから。


(……せやけど。ナンでその役をオレみたいな、『余所者(よそもん)』の子に振るねん)


 選ぶんやったら、先祖代々この土地に住む人の中から選ばんかい!



 そう、ここだけは碧生としては納得できない。

 もらい事故というか流れ弾に当たったというか。

 そんな気がしてどうにも納得できない。


 碧生は大きなため息を吐いた。

 こんな乱れた心で『明鏡止水』らしい『明鏡止水』を書けるほど、自分は多分、人間が出来ていない。

 そんな風に思い、彼は奥歯を噛みしめる。


(この厄介の大元と、一回はきっちり話をするしかない。結局はそういうことやな……)


 『おみず神事』に参加し、厄介の大元?である『オモトノミコト』と、話す。

 決意を新たに彼は、カーテン越しの光をにらんだ。



 ひと通り、碧生の書いてきた『明鏡止水』の講評が済んだ後。

 銀雪先生は三枚の作品を丁寧に重ね、碧生に返しながら言った。


「色々、言いたい放題に()うたかもしれへんけど。今の碧生くん、方向性としては間違ってない、私はそう思います」


 作品を受け取りながら、碧生は黙って銀雪先生を見た。


「ナンフウくんも言うてたけど。碧生くんの字の一番の良さは、抑制のきいた端正さでしょう。そこはもう、間違えなくそうやと思います。姿勢のいい、立ち姿の美しい男前、そんな雰囲気の字ィでしょう」


 恵月先生が『絶世の美少年』とたとえたことを不意に思い出し、碧生はなんだか気恥しくなった。

 ただ、と、銀雪先生は続ける。


「キミの字は抑制がききすぎて、形が整い過ぎてるきらいがあるのも事実です。美しい形はそれだけで力があるものですけど、美しいだけでは人の心を奥底から揺さぶるには至らない……少なくとも私はそう思います。人の心を揺さぶるのは、人の心から生まれたナニカです」


 困惑している碧生へ、銀雪先生は少し気まずそうに目を伏せた。


「中学生の子供さんに、ここまで言うのもどうかと思いますけど。碧生くんは今、書家……芸術家とかクリエイターになりかけている段階です。今すぐはわからんでかまいません、でも頭の片隅に置いておいてくださいね」


「……はい」


 飲み込みにくいものを飲み込む気分で、碧生は答える。

 今はわからない、だけどこれはとても大切な話なのだと、本能的に碧生はわかっていた。


『ムツカシイ話、終わった? 銀雪おばちゃん』


 正座している碧生の後ろから、乙彦が現れた。


『ほんなら、みんなでおやつ食べよーよ。ほんで、おやつ食べたら『おみず神事』の話しよ~。ボクら、待ってるねんで』


「ああ、そうですね。今日はそのための会合ですもんね」


 苦笑い含みに銀雪先生は言い、銀子と一緒に茶菓の用意を再開した。

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― 新着の感想 ―
確かにそういう重要な役は、昔から住んでいる一族が担いそうですよね (;^_^A
>人の心を揺さぶるのは、人の心から生まれたナニカです 名言出た( ˘ω˘ )
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