6 おもとの守と、守のツカサⅡ④
視線を感じたのか、ナンフウはこちらを向いた。
昨日と変わらず彼の顔色は冴えないし、目に力もない。
まあ、その辺りは碧生も同じようなものだろう。
食欲がないから昨日からあまり食べられない(持参した弁当も、結局半分ちょっとしか食べられなかった)し、睡眠も不十分。
おそらくナンフウも同じような状態なのだろう。
視線が合い、ナンフウは驚いたように、ただでさえ大きな目を見張る。
そして、いきなりつかつかと大股で閲覧室へ来ると、碧生へ
「おい。お前、何してんねん」
と、ろくに挨拶もせず、にらみつけながら切り口上で言った。
さすがに図書室という場所柄、ささやきに近い小声だったが、語気が鋭いのでそれなりに響く。
何事かと、閲覧室にいた数人がこちらを向いた。
「ナンでオレの行く先々に、お前、居るねん!」
「……知るか」
さすがにムッとし、碧生はにらみ返す。
「そう言うお前こそ、ウチの学校へ何しに来たんや!」
碧生が本気で苛立っているのが伝わったのか、ナンフウは、気圧されたおどおどした表情になる。
「あ……、いや、な、その。ちょっと調べ物したいって、大楠先生に相談したんやけど。小波の古い時代についての資料が充実してるんは、連翹大付属や市立図書館より小波中やからって言われて……、小波中には先生も用があるから、ついでに連れてったるって言われて……その……」
などともごもご言う。
「結木くん」
大楠が来て、にっこりと笑む。人たらしな笑顔だ。
「ごめんな、結木くん。棕櫚くんも大概無作法やったけど、ここんところ彼、落ち着かんもんでちょっとイライラしててなあ。堪忍したってくれるかな?」
「あ……ああ、は…、い……」
大人にとりなされてしまうと、碧生としてもそれ以上言いにくくなる。
ナンフウもばつの悪そうな顔で、スマン、とつぶやいたので、碧生は矛を収めることにした。
大楠は、昨日あれから体調はどうだったとか、お父さんお母さんは心配してなかったか、どうかよろしく言っておいてくれだとか、ひと通り社交辞令?を言った後、机の上に広げられた資料本に気付く。
「おお、結木くんも小波の古い時代のこと、調べてたん?」
大楠は再びにっこりする。
「この辺りの郷土史をコツコツまとめてはる内田先生は、元々小波の出身で小波中の卒業生やねん。その関係でここの図書室には、内田先生から著書が寄贈されててねえ。私も前にここで、色々、調べさせてもらったんや」
のんびりした口調で大楠は言う。
「エエ機会や、二人で一緒に小波の昔を調べてみぃな。面白いことがわかるかもしれへんで」
そんな感じに大楠に丸め込まれ(たのだろう、多分)、気付いたら碧生は、小波関連の書籍を2冊、貸出手続きをして、彼らと図書室を出ていた。
下校時刻まで自習室代わりに解放されている空き教室の一角に、碧生とナンフウは陣取った。
大楠は、用があるからとどこかへ行ってしまう。
「……で。お前、わざわざ小波中まで何を調べに来たんや?」
机の上には『小波村の歴史・言い伝えなど』と、『水への信仰~小波における龍神とは何か~』の、2冊の本がある。
教室内には誰もいないが、開け放した扉や窓越しに、廊下を通る生徒がチラチラ、こちらを見てゆく。
元々背の高いナンフウだ、おまけに連翹大附属の詰め襟の学生服を着ているし、エキゾチックな風貌のイケメン君でもある。
はっきり言って、異彩を放つレベルで彼は目立っているが、周りの生徒からチラチラ見られることなど、そもそも気にするようなナンフウではない。
「……調べてわかるかどうかは、俺にも自信、ないんやけどな」
ただ、本人は今、図書室での傲慢な態度とは打って変わった、しょんぼりというか元気のない様子だ。
「……あのな、結木」
言い難そうにぼそぼそ、ため息を吐きつつ、彼は言う。
「その……ちょっと変なこと訊いて悪いんやけど。お前さあ、ちっさい頃のことって、幾つくらいから覚えてる?」
前後の脈絡もなく、本当に変なことを訊かれた。それでも基本真面目な碧生は、軽く首を傾げた後、誠実に答えた。
「う?……うーん、そやなぁ。大体、3~4歳、くらいかなぁ? それくらいの頃に風邪かインフルに罹ってメッチャ熱出たこと、ひきつけ起こして大きい病院へ担ぎ込まれたこととかは、なんとなく覚えてるし」
「……やっぱり、そんなモンやよな」
目に見えて肩を落とし、ナンフウは一瞬、辛そうに目を閉じた。
「オレ、そのくらいの時のこと、全然覚えてへんねん」
「いやでも、そーゆーのって、個人差あるんと違うか?」
なんとなくなだめるように碧生は言う。
ごく幼い頃の記憶がないからといって、そんなに落ち込むこともないではないかとしか、思えない。
「オレの記憶にある、一番古い思い出は。波多野の家の庭でぐうぐう寝てるオレを、親父……いや。波多野恵治が拾ってくれた、時のことや」
「……は?」
予想外の、ずいぶん不穏なワードを聞いたような気がしたが。
碧生は一瞬、頭の中が白くなった。
頭が理解を拒んだのかもしれない。
ナンフウは不意に背筋を伸ばし、真顔で碧生の目を見て、言った。
「拾われた、んや、オレは。ちゃんとした生年月日は不明やけど、発育の状態から、拾われた時は六歳くらいやろうってことになったらしい。そこから先のことは、割とちゃんと覚えてる。波多野恵治っておっちゃんがオレの親父やってことは、なんでか知らんけど心から納得してたんや、初めて顔合わせた頃から。もちろん血は繋がってへん、そんなことはわかってる。わかってるけど、あの人は、オレの親父やねん」
そこでナンフウは言葉を切り、唇を嚙みしめた。
「……オレが、波多野棕櫚になる前のこと。あの家の子になる前のこと。全然、覚えてへんのは。多分、思い出したぁないからやろなって思ってた。思い出したぁないことは思い出さんでもエエって思ってたし、あの人もそんな感じのこと、言うてくれてた。あの家であの人と二人、仲好うワイワイ暮らせてたら、それでオレは……良かってん」
「……お、おう」
思いもかけない重い話に、碧生は、そう相槌を打つのが精一杯だった。




