7 明鏡止水と四面楚歌①
「ヘンな話して、スマン。せやけど、いずれはわかることやから。この辺のややこしいこと、先にお前に言うとくワ」
そう言うとナンフウは、椅子の背もたれに身体を預け、虚脱したように窓の外、灰色の雲が薄く広がる空へ目をやった。
何と言っていいかわからず、碧生もまた、ヤツが見ている空を見る。
薄暗いはっきりしない空が、物悲しく広がっていた。
「……せやけど」
ややあって、ナンフウはぽつりと言葉をもらした。
「せやけど。それではアカン、お前は波多野棕櫚になる前のこともちゃんと思い出せ。青蛙の姐御(あねご?と碧生は一瞬混乱したが、コイツは青蛙のミコトを質の悪い不良みたいなものと捉えているっぽいのを思い出した)は、そない言うてる訳やろ?」
「それは……、オレにはようわからん、けど」
なんとなく、どう答えても間違いのような気がする。が、碧生は何とか、言葉を絞り出した。
「あのさ。その……無理やったら今年はパスするっちゅう手も、あるんやないか? 例えば、中学卒業するまではパス、とか……」
ふっ、と、ナンフウはニヒルな感じに鼻で笑った。
イケメンはこういう笑い方も絵になるんやなァ、オレがやったらギャグやけど、と碧生は、心の隅でそんな暢気なことを思う。
「それでも。結局は行かなアカンやん。ほんなら先延ばししてても、鬱陶しいだけやんけ」
不意にナンフウは、もたれかかっていた椅子の背もたれから身を起こした。
「……小波の、昔のことを色々調べたら。オレみたいな例があるんやないかってちょっと思ってナ。昨日銀雪先生、奥歯に物はさまったみたいな言い方で、お前には特殊な事情があるって言うてたやん? 特殊やけど、あの人らにとってはよう知ってる事情やないかって。例えば、小波に捨てられた捨て子のうち、拾われる前の記憶がない子はおもとの守に選ばれやすい、とか」
「い、いや……そ、それは…どう、やろう?」
捨て子だの拾われるだの、パワーワードの羅列に碧生は焦る。
また、上手く言えないが、なんだかそれはちょっと違う、ような気がして仕方がない。
「そういうことやなくて、やな。あー、その。いやまあ、オレもようわからんけど、ナンちゅーか、えーと……、ある種の特殊能力? あ、アネゴ(ナンフウの言い方に合わせることにした)に選ばれるんは、ナンか、そーゆーのんが必要なんやろ? 実際問題、自分にそーゆーのんがあるとはとても思われへんけどさあ、どうもそーらしいやん? お前の個人の事情とか、オレはわからへんからはっきりしたことはよう言わんけど。でもどっちか言うたら、お前には選ばれる理由……能力的な意味で、やで、そーゆーのんがあったんと違うか?」
ナンフウはニヤッと、今度はやや意地の悪い笑い方をして碧生を見た。
「ほう。……つまり、や。モリどころかツカサの候補になってるお前は、オレよりよっぽどソッチの能力が高いっちゅうことになる訳やな」
碧生は一瞬、虚を突かれた。
しかしそういうことになる、か、確かに。
「あー……ホンマやな」
感心したようにそうつぶやく碧生へ、ナンフウは脱力したように、机の上へ突っ伏す。
「ホンマやなって……お前はもう。くそ、天然小僧め」
その後、ナンフウは碧生が借りた本を流し読みし、やっぱり一般的な資料本にはこういう際どいこと、書いてなさそうやなと言って、調べるのは諦めた。
「『おもとの守』って言葉そのものも、ほとんど出てけえへんみたいやな」
ナンフウが言うのに、碧生はうなずく。
「そうやな、『泉の守』みたいな表現はあったけど。ひょっとするとわざと書いてへんのかもしれん、不自然なくらい『おもとの守』って言葉、本にないし。この言葉ってのか役職そのものは、小波の地元の人やったら誰でも知ってるっていうか、少なくとも耳にしたことある言葉やとオレは思う、現にお前も知ってたし。せやけど色々と際どい部分がある役職ってか、公にしたらヤバそうな役職でもあるからなぁ。この本を書いてる先生が小波出身やってさっき大楠さんから聞いて、オレは、その辺に合点がいったっちゅうか……」
「……おい、結木」
ナンフウは複雑な表情になる。
「ナンか……かなり資料、読み込んでるみたいやな。昨日今日でそこまで読んだんか? スゲーな」
「……あー、いや」
碧生は苦笑いする。
「読んだんは、主に去年や。オレ、名前だけやけど今、『郷土史研究会』の会長やらされててな。……今年も文化祭向けに、どうせレポートとかでっち上げやなアカンから。元々こういう資料本、ある程度は読んでるねん」
「は? 郷土史研究会? エラいまたシブい部活やってんなァ」
鼻の頭にしわを作るような表情をするナンフウへ、
「ほっとけ。ウキヨの付き合いっちゅう奴や」
と碧生が言い返したあたりで、大楠が戻ってきた。
「お、二人で研究、仲好う進んでるみたいやねえ。結構結構」
そんなことを言って彼は、にっこり嬉しそうに笑った。




