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クサのツカサ  作者: かわかみれい
1 守のツカサ〜中学生編
29/34

6 おもとの守と、守のツカサⅡ②

『ユーキ!』


 鋭い猫の鳴き声と重なって、必死に呼びかける幼い声が碧生の鼓膜を打つ。

 ハッとして振り向くと、二匹の猫が鳥居をくぐって転がるように駆けてきた。


『ユーキ! ユーキ!』

『ソッチ行ったらアカン!』


(……は?)


 意味がわからずにぼんやりしている碧生の足許へ、二匹の猫がグルグルまとわりつく。


「結木くん」


 いつの間にか少し離れた所に、白の着物に浅葱色の袴という神職の身なりをした大楠がいた。


「サキモリさまに呼ばれて来たんですけど……ちょっと失礼」


 彼はそう断ると一歩踏み込んで碧生のそばに立ち、その大きな右手で素早く碧生の目の周りを覆った。

 ざらりとしたてのひらは温かく、いい感じに乾いていた。

 瞬間的に薄荷のような香りが鼻に抜け……ふっ、と、肩が軽くなった。

 碧生は思わず彼の手に頭を預ける。深い息をひとつ吐き出すと、荒れ狂う胸の中が少し、楽になったような気がした。


『ユーキ、ソッチ行ったらアカンやん!』


 後ろ脚で立ち、碧生の脚に前足の爪を立てるようにしてつかまったサキモリの兄彦(エヒコ)が、ちょっと怒ったように言う。


『ソッチ行ったら、戻ってこられへんかもしれんのやで!』


 碧生は顔を上げ、身体をひねって足許にいる猫たち……特に怒っている兄彦を見る。


「……は? ソッチ?」


 ぼんやり問うと、兄彦は緑の瞳を光らせた。


『そうや! ユーキは人間、やめるんか? ソッチへ行くってことはそういうことやねんで!』


「結木くん」


 大楠が静かな声で碧生の名を呼んだ。


「君は今、ちょっと危なかったんや、自覚出来へんやろうけど」


 そう言い、大楠は困ったような顔で少し笑った。


「サキモリさまの言う『ソッチ』ってのは。大雑把に()うて『ケガレ』の状態、みたいな意味やねん、現代の子供さんにはわかりにくいやろうけど。『ケガレ』は『気枯れ』、乱暴に言うたら身心が弱ってる状態って意味やから。なんちゅうのか……つまり。今、自分はストレスが色々かかり過ぎてるせいで、心身が弱って正常な判断が出来んようになってるんやな~くらいに解釈してくれたらエエかな?」


 そんな軽いモンやないねんけど、と兄彦は小声でぶつぶつ言ったが、碧生の脚に立てていた爪を外し、通常の姿勢に戻った。


『ユーキ』


 サキモリの乙彦が、まん丸い目で真っ直ぐ、碧生を見つめていた。


『ユーキ、抱っこ』


 みゃあ、の声と二重に聞こえてくるのは、甘える幼児のように抱っこをせがむ声だった。

 考えるより先に碧生は、乙彦を抱き上げた。

 手に触れるふわふわした毛並みはあまりにも柔らかく、そしてあたたかく……、訳もなく胸がキューンと痛み、泣けてきた。


『ユーキ、シンドイんやなあ。せやけど大丈夫やで、ボクもおにいちゃんもついてるからな』


 ザリザリとした舌で、乙彦は碧生の頬をなめる。

 心配いらんで、ボクらがついてるからな、大丈夫やで。

 ザリザリと涙をなめとりながら、乙彦は言う。


 具体的に何の解決にもならないけれど。

 むしろ、彼は碧生を悩ます『人外』のひとり(一匹? 一体?)だけど。

 疲れ、荒んだ碧生の心を、幼い人外の猫の子の思いやりが、ふんわりと優しく包んでくれた。



 その後、神職姿の大楠に送られ、碧生は帰宅した。


 息子の帰宅がいつになく遅いのを心配し始めていた母は、神職の装いをした厳めしい男に連れられ、碧生が帰ってきたのに驚く。

 が、生真面目に頭を下げ、遅くなったことを詫びる大楠を最終的に信じた。

 大楠は、小波神社宮司の名刺を母へ渡し、結木くんは学校の勉強の一環で小波神社の秋祭について調べていたが、取材の途中で立ち眩みを起こしてしまった、だからしばらく社務所で横になって休んでいた……というような内容を、真面目な口調で訥々と話した。


「熱心に取材してはったから、こちらもついつい、時間を忘れて色々話し込んでしまいまして。最近、夕方になると急に冷えるようになってきましたから、身体が冷えてシンドなったのかもしれません。大人が複数、ついてましたのに、息子さんに申し訳ないことしました」


 そんな風に説明し、頭を下げる大楠の肩から背中の辺りを、碧生はぼんやり見ていた。

 上手いこと言うなァ、大人って嘘つきやなァ、と、他人事のように思いながら、彼はしらッとしていた。



 その後、母から色々聞かれたが、概ね大楠の嘘に乗り、どうとでも取れそうな生返事を適宜返しつつ、今日はシンドイから早めに寝ると言って追及を躱した。

 食欲もなかったのでご飯を一膳、お茶漬けで胃へ流し込み、軽くシャワーを浴びて早々に床へ就く。


「明日もシンドイようやったら、お医者行かな。おかあさん、仕事休んで付き添うか?」


 大丈夫だから心配いらないと返し、碧生は部屋の明かりを落とす。

 何か言いたそうにしながらも、母は階下へ戻った。



 黄色いナツメ球の明かりをぼんやり見上げ、彼は、今日のあれこれを取りとめもなく思い返す。

 小波神社の拝殿の前で唐突に沸き上がった暗い激情に思いが至り、不意に彼はゾッとする。


(アレ……、一体、何や?)


 通常の自分では意味不明な概念……概念と呼んでいいのかわからないが、そんな感じの何かを自明のものとして捉え、碧生は激怒していた。

 ここ最近感じているすべての理不尽の中で一番の理不尽が、『昔のオレとの同一視』とでもいう感覚なのを、彼は自覚する。


(……昔のオレって、ナンやねん)


 意味不明だ。


 まあ、サキモリたちがしきりに『ソッチ』とか何とか言っていたから、変なものにとり憑かれておかしなことになっていた……辺りが答えなのかもしれない。

 で、サキモリと大楠がその『変なもの』を退けてくれた、と……。


(げ、マジかよ。……かなわんなあ)


 平凡な日常を返してほしい。

 布団を被りこみ、碧生はギュッとまぶたを閉じた。

 考えてもわからないし落ち込むだけだ。強引に眠ることにする。



 心が乱れているからか、あまりしっかり眠れなかった。

 短い眠りが訪れるたび、よくわからない変な夢を見て起こされるのだ。

 何度目かに起こされた時の夢は、まとわりつく気味の悪い紐を必死に振り払っている夢だった。

 眠りながら腕を動かしていたのだろう、何かが右手に当たって目が覚めた。

 枕元の目覚まし時計がずいぶん遠くでひっくり返っていたから、右手は時計を振り払ったのだろう。

 ため息を吐き、布団から這い出て目覚まし時計を元の位置に戻す。

 時計をきちんと枕元に置いた瞬間、右手小指の辺りがズキンと痛んだ。

 痛みより情けなさで、碧生はちょっと、泣いた。

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― 新着の感想 ―
私も最近『ケガレ』状態かもです (;^_^A
ワイも乙彦に舐められたい( ˘ω˘ )
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