6 おもとの守と、守のツカサⅡ①
翌日金曜日、放課後。
むっつりとした暗い顔の碧生は、学校の図書室にいた。
彼は書架の片隅にある『郷土史』コーナーへ向かい、一冊の本を引き出す。
『小波村の歴史・言い伝えなど』という、ソフトカバーの比較的薄い本だ。
半分趣味で活動している、地元出身の郷土史研究家が著者だ。
(……痛ッ)
引き出した本を持ち直そうとした時、右手の小指の辺りに鋭い痛みが走る。
舌打ちする気分で彼は、忌々しそうに痛む部分を見た。
腫れているとか変色しているとか、目に見えて何かある訳ではなかったが、どうやら筋を傷めたか何かしているらしい。
(ああクソ、畜生)
痛いやら情けないやら腹立たしいやらで、なんだか涙が浮いてくる。
昨日。
ツカサ代こと銀雪先生から
『自分のすべてを、逃げずに受け入れられますか? その覚悟が出来へん内は、キミは、泉から逃げ続けた方がエエかもしれへん』
と、最終通告的に言われたナンフウが、さすがに心配になるくらい、顔色を悪くしてうつむいてしまったのを機に、寄り合いは終了になった。
続きは日曜日、今度は銀雪先生の家で、書道教室の一般の部の時間を使って……ということになった。
「松英さんご夫妻は、日曜は自治会の方の用事が外されへんやろうけど、他のメンバーは都合がつくでしょうから。棕櫚くんもそうやけど、碧生くんも続けざまに色々聞かされて、頭の中がパニック状態やろうと思います。ちょっと時間を取って情報の整理をせんと、二人共シンドイでしょう」
そう言った後、彼女は一瞬、辛そうに目を伏せた。
ツカサ代の彼女でも書道教室の先生の彼女でもない、素の野崎雪枝の顔がかすめる。
「それから……特別枠の出品についても。もちろん私としては引き続き碧生くんに頑張ってほしいけど、とてもやないけどそんな気になれんとなったら、近いうちに言うてください。こんな時にこんな状況になって、申し訳ないです。これに関しては……私にはどうすることも出来んのやけど、それでも。おもとの守のツカサ代としても書道教室の主宰者としても、この状況、碧生くんに多大な負担をかけることになってしもて……、ホンマに申し訳ないです」
そう言って頭を下げる彼女へ、あ、いえ、とか何とかもごもご答え、碧生は口をつぐむ。
言いたいあれこれ、形になりきらないもやもやは胸の内にあふれてはいたが。
真摯にすまないと思っているらしい彼女へ、そのままぶつける気にはなれなかった。
(……ズルいよなあ、大人って)
最終的に(ちょっと八つ当たりっぽく)そう思い、彼は奥歯を噛みしめた。
野崎邸を辞し、帰宅する。
黄昏の薄闇の中、碧生は茫然と歩く。
(……)
様々な感情や思いが渦巻くが、渦巻きすぎて虚脱している。
肩に食い込む通学リュックのショルダーハーネスが痛くて不快、以外、碧生の表層意識に浮かんでこない。
碧生には今の自分の状況など、何も理解出来ていないに等しいが。
この厄介から穏やかに円満に逃れることが無理なのは、わかる。
わかりたくないが、わかる。
第一、喧嘩?の相手は人外の存在なのだ。
神様にせよ妖怪にせよ、人外にロックオンされた普通の人間に、逃れる道なんてないではないか……。
知らず知らずに乾いた薄笑いを浮かべ、碧生はのろのろと歩く。
わかれ道で、彼はふと足を止めた。
このまま素直に自宅へ帰る気になれない。
いつもの『結木碧生』の顔で、親にただいまと言える自信がない。半分無意識で碧生は、わざと遠回りになる方の道を選ぶ。
そんな感じでのらりくらりと、いつもは通らない道をふらふら歩いているうち、いつのまにか彼は神社……昨日ナンフウと話をした、地域の鎮守の神・オモトノミコトを祀る『小波神社』の前にいた。
辺りは夕闇というより宵闇と呼ぶべき暗さ。
鳥居から見て右手に、祭ごとに引き出されて地域を巡るだんじりが仕舞われている物置小屋があるが、そこだけは灯りがあるので、何とか境内の様子はわかる。
半分闇に沈んでいる境内は不気味に静まり返っていたが、誰もいないという意味でホッとする。
彼は鳥居をくぐり、ふらふらと拝殿へ向かう。
『小波神社』について碧生は去年、レポートを書いたことがある。
部活の一環だ。
小波中学校では、何らかの部活動に入ることが推奨されている。少なくとも入学時、たとえ名前だけでも何らかの部へ入るよう指導される。
書道部があれば書道部に入部したかった碧生だったが、あいにく無い。悩んだ末『郷土史研究会』という、イカニモ暇そうというかやる気の薄そうなクラブへ入部した。
ほとんど活動の実態がないクラブではあったが、それでも文化祭にはそれなりに、『研究発表』っぽいことをする。
真面目な碧生は真面目に図書室の『郷土史コーナー』へ行き、資料丸写しに近いながらも丁寧なレポートを書いた。
結局そのレポートが(必要以上に)評価され、二年生になった段階で『部長(会長)』に祭り上げられることになったのは、彼も予想外だったが。
それはともかく。
レポート作成時に碧生は、小波神社の縁起、祭神・オモトノミコトについて、そして『おもとの泉』との関連などをそれなりに知った。
小波村(当時)の黎明期、ひどい旱魃で村が存亡の危機に陥る。
それを憂いた一人の若者が龍神に願い、龍神の娘を授かる。
龍神の娘は泉へと姿を変え、以来、村は豊富な水を手に入れることに。
それを感謝し、村では泉の父である龍神(水神)を祀ることにした……。
(なあ。神様はオレに、一体ナニを期待してんねん)
拝殿をにらみ、彼は胸の中でひとりごちる。
昏く凶暴な思いが、堰を切ったように迸った。
(オレは、昔のオレとは別人や!)




