5 おもとの守と、守のツカサ③
「ぎ、ぎんせつ、センセイ?」
ナンフウはいきなり意味もなく立ち上がり、なんだか片言っぽくそう言った。
碧生は身動きひとつ出来ず、目を見開いて彼女を凝視し、硬直しているしかなかった。
ああ、と恵月先生は、その時たまたま持っていたゆのみを卓の上へ戻した。
「そう言うたら、キミらに説明してなかったか。銀雪先生が今の代の『おもとの守』の、ツカサの代行者・ツカサ代やねん。……ワシの感覚ではあんまりにもアタリマエやったから、うかッと抜けてたな」
飄々とそんなことを言う。
「ぬ、抜けてた、って……」
文句を言いかけたナンフウだったが、ここが自宅ではなく野崎邸、それも『寄り合い』という公的な場だということで、さすがに遠慮したらしい。
むぐむぐと口を動かしたがそれ以上は何も言わず、苦い顔を隠しはしなかったものの、彼は大人しくその場に座った。
少年たちの反応に軽く苦笑しながら、銀雪先生を先頭に、数人の大人が入ってきた。
ひとりは地味な焦げ茶のスーツを身に着けた、ちょっと圧迫感を感じるほどの壮年の巨漢。
もうひとりはほっそりとした、紺のパンツスーツの若い女性。見事な黒髪を編み込んでまとめ、銀色のバレッタで留めている。
そして松英さん。
彼らはそれぞれ、慣れた様子で座卓の前に座る。あらかじめ席が決まっているのだろう。
松英さんの後ろから、ゆのみや急須などを乗せた大きめの丸盆を手にした、半白の髪を綺麗に整えた五十代半ばではないかと思う上品な女性が現れる。雰囲気から、おそらく松英さんの奥さんだろう。
彼女は流れるような所作で卓のそばに座り、手際よくお茶を淹れてそれぞれの前へ給仕した。
「恵月先生と、サキモリの兄彦さまから話は聞きました。十年ぶり以上、になるのかな、『おもとの守』の、モリとツカサの若葉が選ばれたようですね」
銀雪先生はお茶を一口飲むと、ゆっくり話し始めた。
床の間を背に、背筋を伸ばして彼女は座っている。
書道教室の先生の時とは少し違う、静かな、ある種の覇気……とでもいうものが彼女から発せられている。
碧生もそうだがナンフウもそうなのかもしれない、その静かな気迫に押され、少年たちは黙って彼女を凝視することしかできなかった。
「こういう場で二人と会うのは初めてやから、改めて名乗りと挨拶から始めましょか」
彼女は碧生とナンフウをかわるがわる見、話し始めた。
「……私は野崎雪枝、今の代の『おもとの守』で、ツカサの代行であるツカサ代を拝命してます。元々は夫の省吾がツカサやったんやけど、あの人は二十年以上前に亡くなってしもて。それ以降今年まで、青蛙のミコトはツカサを選びはれへんかったから、半分は仕方なしで私がツカサ代を務めてました。もちろん真面目に、一生懸命お役目を務めてましたけど、所詮ただの『守』の一人でしかない私にはツカサ代は荷が重かったんで、今回、相応しい人が選ばれて良かったと、『おもとの守』としては思ってます」
そこで彼女は一瞬目を閉じた。次にまぶたを開けた時には、瞳に気の毒そうな色があった。
「……では。恵月先生は二人ともわかってるやろうから、先生以外の現『おもとの守』の皆さんに、それぞれ自己紹介をおねがいしましょか。キミらの知ってる人もいてはるでしょうけど、まずは黙って全員の話を聞いてみてくださいね」
なんだか妙な念押しをするんだなと碧生は思ったが、はいと答える。
瞬間的にグッと唇を引き結んだものの、碧生の一拍遅れでナンフウも、はいと答えた。
ナンフウのその妙な間に軽い違和感が兆したが、大柄な壮年の男性が話を始めたので、碧生の気はそちらへそれた。
「はじめまして。私は大楠義昭といいます。津田町でフリースクールを主宰しつつ、小波神社(昨日、碧生とナンフウが話をした地元の小さな神社)の宮司を任されてる者です。『おもとの守』として務めるようになって長いから、わからんことがあったら何でも、気兼ねなく訊いてくださいね、私が知ってる限りのことを教えますから。これからよろしく」
そう言って彼は、にこっと笑った。
厳めしい顔だが、笑うと妙に人懐こい、いっそ可愛い感じになるのに碧生は驚いた。
なんとなく、小学校の先生が新学期、担任するクラスの児童に自己紹介をする時みたいな挨拶だなとも思った。
フリースクールを主宰と言っていたからその習慣で、子供を前にすると先生っぽい雰囲気になるのかもしれない。
「はじめまして……まあ、二人に対してはじめましては、ホントはちょっとおかしいんやけど」
紺のスーツの若い女の人が言う。ビジュアルから受ける漠然とした印象に反してやや低めの声、くだけながらもしっかりとした感じの話し方をする女性だった。
「私は犀木銀子といいます。連翹大付属中学の、非常勤の学校事務員が今の仕事です。おもとの守になってまだ十年ソコソコやから、二人より先輩っていうだけの若輩者です。ツカサ代の野崎雪枝さんのおウチでお世話になってて、書道習いながら教室の方のお手伝いもさせてもらってます。せやから、今後二人に会うことも多いやろうね。これからよろしくお願いします」
そう言ってかすかに笑んだ彼女の顔に、碧生はあっと息を呑む。
強烈な既視感。
この笑顔と同じものを見たことがある!と、閃くように思ったが、いつどこでなのか、とっさにはわからなかった。
「そして、私。野崎泰造」
松英さんが話し始めたので、再び碧生の気がそれた。
「この家の主で、先祖代々『おもとの泉』を管理守護してきた家系の、直系の子孫としては私が最後の人間になるでしょうね、残念ながら。今回、若い世代にモリとツカサの若葉が現れたと聞いて、一番ホッとしてるんは多分、私やと思います」
そう言って彼は、寂しそうに儚く笑んだ。
「野崎泰造の家内・和代と申します」
お茶を配って以来、少し離れた位置で控えるようにきちんと正座していた女性、野崎夫人が軽く腰を折る。
「正式には『おもとの守』ではありませんが、守の皆様のサポートをする役目を仰せつかっております。どうぞよろしくお願いいたします」
「現『おもとの守』はこの六名です。では、今度は若葉のお二人に自己紹介をしてもらいましょか」
銀雪先生(ツカサ代)から目顔で示され、碧生は唾を飲み込んだ。変な緊張のせいで喉がカラカラだ。
「ボクは結木碧生といいます。小波中学の二年生です。青蛙のミコトに、ツカサの若葉、マツリの季節じゃ来よ、と、今週の月曜日の朝、通学途中に呼びかけられました。それ以外のことは……わかりませんけど」
言った途端、胸の中で理不尽に対する怒りがふくれ上がった。
瞬間的に、席を蹴ってこのまま帰ってやろうかという凶暴な思いが沸き上がったが、奥歯を嚙んで何とか抑える。
「波多野棕櫚。連翹大付属中学・特別コース二年」
奥歯をきつく噛みしめている碧生の耳に、ナンフウの、いやに静かな声が聞こえてくる。
震えたり揺れたりしている訳ではないのに、不穏な機嫌の悪さが声ににじんでいた。
「今週の月曜、やっぱり朝。ウチの庭で日課の体操やってた時に、肩の辺りにちっさいアマガエルが跳びついてきて。モリの若葉、マツリの季節じゃ来よとか何とか、呼び出し食らいました」
なんだかガラの悪い不良に呼び出されたような言い方に、大人たちが困ったような顔をしたが、ナンフウはしらッとした顔でこう続けた。
「それはある程度、あきらめましたけど。銀雪先生……っていうか、ツカサ代」
「別に銀雪でかまへんよ、ツカサ代ってのは便宜上の呼び名やし」
「ほんなら、銀雪先生」
ふっと、ナンフウは鼻息だけで嗤った。
「なんです? この茶番」




