5 おもとの守と、守のツカサ②
木戸をくぐった途端、空気が変わる。
思わず彼は深呼吸した。
水と木々と……、苔と土の香り。林間学校での早朝の空気を連想……否。
それよりも格段に、清浄な空気。
(……ここって、こんな感じやったっけ?)
小学生の時、学校の方から教師に引率され、クラスメート全員でここへお邪魔したことがある。
例の、古い農機具類の見学会だ。
その時も、ここの家の庭って遠足の時に山道でかいだにおいに似ているなと、ぼんやり思った。
が、こんな……呼吸するだけで全身が洗われるような、神々しいまでの清らかさは感じなかった。
(……マツリの季節、やから?)
あるいは自分が『ツカサの若葉』だからか?
子猫を抱えて前を歩く松英さんの背中を見ながら、碧生は思う。
彼にとってこの澄んだ清らかさが日常なのかと思うと、ちょっと怖い。
『なあ、ツカサの若葉』
いつの間にか碧生の足許すれすれに、おにいちゃんと呼ばれていた『サキモリさま』が、寄り添うように歩いていた。
『まだちゃんと聞いてへんかったよなあ。名前、なんてゆーの?』
「あ、その。結木、です」
フルネームを名乗ろうとして、自分でもよくわからない歯止めが自分の中でかかり、名字を名乗るのにとどめた。
『ふーん。ボクはサキモリの、兄彦。弟は乙彦。まあ呼び名やけどな。お役目としての呼び名は『サキモリ』とか『ノサキモリ』やけど、野崎のおばちゃんはボク等のこと、えっくん、とか、おとちゃん、とかって呼ぶんやで。おもとの守のメンバーは、お役目以外ではボク等のこと、そう呼んでくれてかまへんからな』
特別な恩寵を与えるように猫……サキモリの兄彦は言った。
実際、恩寵なのだろう。
さっき松英さんは彼らを『サキモリさま』と呼んでいた。『お役目』寄りの事態だと判断しての呼びかけだったに違いない。
『ユーキ』
兄彦はふと立ち止まり、その澄んだ緑の瞳を真っ直ぐ、碧生へ向けた。
『ユーキは、青蛙のミコトがツカサに相応しいって認めた素質があるねんで。だからって舐めてたら痛い目に合うやろうけど、ビビる必要はないからな。これからツカサ代、つまり今の代のツカサの代行者ってことやけど、ツカサ代の話をよう聞いて、神事済ませて、正式にツカサになってくれ。ボク等、期待して待ってるからな』
どう答えていいのかわからず、碧生は、情けない苦笑を返すのが精一杯だった。
やがて見えてきた瓦葺きの立派な日本家屋の、広い引き戸を松英さんは開ける。
「どうぞ。みんなもうそろってますよ、恵月先生とナンフウくんも来てはるし」
ナンフウの名前を出すことで碧生の緊張を和らげようと、松英さんは気遣ってくれたのだろう。
目元を緩ませ、そう言って促す。
「……お邪魔します」
軽く頭を下げてそう言い、碧生は屋敷の中へ足を踏み入れた。
広い玄関の三和土で靴を脱ぎ、つま先を玄関に向けて揃え、端に寄せる。確かそう習ったが、作法としてこれでいいのかは心許ない。
勧められた高そうなスリッパへ、おっかなびっくり足を入れる。
そして松英さんについて廊下を進む。
ゆったりとして広い廊下は美しい。が、漠然と思っていたよりも屋敷内は明るかった。
古い日本家屋にありがちな、陰鬱なくらがりが少ない。
少なくとも廊下や、開け放たれた畳の部屋には日の光が差し込んでいる。明り取り用に、上手く窓などを設えているのだろう。
やがて、ひとつの部屋へと碧生は案内された。
大きめの座卓が部屋の中央にあり、その端っこに、恵月先生と、紺の詰襟の学生服姿のナンフウがいた。
むうっとした不機嫌そうな顔ではあったが、大人しく座って、出されたお茶を所在なさげに飲んでいる。
(……コイツ。連翹大付属中、やったんか)
松英さんに勧められ、波多野親子のそばに座りながら碧生は思う。
紺の詰襟の学生服はこの近所にある中堅私大の付属中学の制服だ。
道理で小波中で見かけないはずだ、と碧生は納得する。
そして、意外と勉強できるんやなコイツ、と、ナンフウが聞いたら怒りそうなことも思う。
連翹大は関西の私大としては中堅だろうが、附属中学から入学しようと思えばソコソコ難しいレベルの学校だ。
(やっぱりお坊ちゃまやんけ)
なんとなく腹が立つ。
複数の足音がして、スッ、と、廊下側の襖が開いた。
「そろったみたいやし、そろそろ始めましょか」
(……え?)
廊下に立っていたのは渋い赤の着物をキリッと着こなした、銀雪先生、だった。




