5 おもとの守と、守のツカサ①
翌日、午後。
腹立たしいほど晴れ渡った空は、今日も美しく広がっている。
飛行機雲が伸びているから明日以降は天気が崩れるかもしれないが、今は秋晴れの清々しい午後だ。
学校からの帰り道をのろのろとたどりながら、碧生は、いつもとひとつ、道を違える。
野崎邸へと向かうのだ。昨日の、波多野恵月先生との約束通り。
昨日、波多野邸を辞して帰宅してからは、変わったことは特に何も起こらなかった。
何も起こらなさすぎて、かえって胡散臭く感じたくらいだ。
昼間の出来事は実は白昼夢だったのではと思いたくなる瞬間が、家族と日常のルーティンの中にいると何度かあった。
でもそれが儚い願望であることを、碧生は、諦めと共に受け入れ始めている。
決してこの状況が、嬉しい訳でも楽しんでいる訳でもない。
面倒で疎ましい、出来れば関わりたくない状況だという部分は、話を聞いた瞬間から変わらない。
……なんと言えばいいのだろうか?
それでいて、こうなることを心のどこかで知っていたような、そんな妙な感覚も同時にあるのだ、不思議なことに。
(生まれる前からの宿命……ってヤツか? へっ、アホらし。漫画かアニメの設定か!)
苦笑いまじりに自分で自分にツッコミを入れる。
これは多分、そんなカッコイイ?話ではない。
ひたすら面倒で厄介な……そう、恵月先生が言ってた通り『業』みたいなもの、なのだ。
そこもなんとなくわかる。
(……クソッ)
こんな物わかり良くわかりたくなかった。
せめてナンフウみたいに、泣いて嫌がるくらいのことはさせてほしかった。
でも、そういうタイミングというか心情は、もう過ぎてしまっているらしい。乾いた諦めが胸を覆っている。
心身ともにがっくり疲れた彼は、意外にもその日の夜、ぐっすり眠った。
夢らしい夢も見ず、ぐっすり眠った。
朝になり、目覚めて彼が一番に思ったのは。
別に目が覚めなくても良かったのにな、とでもいう、自暴自棄というか物騒な思いだった。
野崎邸の入り口……入り口というのはおかしいか、正門の前まで来た。
相変わらず、どこの名刹あるいはどこの奉行所(時代劇で見た、○○奉行所とか悪徳代官の屋敷の門などを彷彿とさせる)かと思うような門だ。
あらかじめ恵月先生に教わっていた通り、正門の向かって右側にある通用口に設えられているインターフォンのボタンを押す。
ピンポーン、という電子音にこれほど似合わない玄関を、碧生は知らない。
「……はい」
割れたようなガサガサした声が応える。
「あの、こんにちは。結木です。その、波多野恵月先生に言われて来ました」
どう言ったものか迷ったが、とりあえず恵月先生の名前を出せば察してくれるだろうと判断する。
それで間違っていなかったようで、ちょっと待ってて迎えに行くから、という返事が来た。
どうやら松英さん……つまり野崎の現当主の声、らしい。その人がわざわざ、門の外まで碧生を出迎えにきてくれるようだ。
(……知ってる人の方が余計な気ィ遣わへんから、コッチとしたらエエに決まってるんやけど)
でもいいのかな、と、ちょっと思う。
一介の中学生のガキを出迎えるのが、こんなすごいお屋敷に住む、元庄屋さんの血筋だとかいう地域の名士。
よくわからないが、立場が『つり合わない』ってヤツではないのか?
まあ、聞くところによると碧生は、『ツカサの若葉』とかいう書道教室の特別枠以上のレアキャラ?らしいから、それでいいのかもしれないが。
(『しかるべきお人』って多分野崎さん…松英さんやろうし)
そんなことを考えながら、碧生は大きく息を吐いた。
やはり緊張する。
『よう!』
足許から元気のいい、雰囲気として幼稚園の年長さんくらいの男の子を思わせる声が響いてきた。
驚いて声の方を見ると、そこに、以前通学途中に行き会った、緑色の瞳の縞猫が、きちんと足をそろえて静かに座っていた。
いつからそこにいたのか、まるで地面から生えてきたような印象を受ける。
『ツカサの若葉、また会うたな!』
『ツカサの若葉? ツカサの若葉って何? おにいちゃん』
最初に話しかけてきたよりも幼い声、たとえるならば幼稚園年少さん、とでもいう感じの声も聞こえてきた。
碧生は思わず目をこする。
最初の猫の後ろにほぼ同じ模様と瞳をした、やや小ぶりな猫がいるのだ。
『アホやなあ、お前。ツカサの若葉、知らんのか?』
先に話しかけてきた大きめの猫が、偉そうな口調で小さい猫へ言う。
『うん、ようわからへん。ツカサとどう違うの?』
小さい方の猫が軽く首を傾げて問うと、大きい猫は胸をそらして言う。
『まだツカサになってない、ツカサの候補者のことを若葉っていうねん。おもとの守の候補者の、モリの若葉とおんなじようなもんや』
『ふーん。おにいちゃん、なんでもよう知ってるね!』
本気で感心したように小さい猫がそう言うのと同時に、音を立てて通用口の木戸が開いた。
「結木くん、お待たせ……、え? サキモリさま?」
『あ、野崎のおっちゃんや!』
小さい方の猫はそう言うのと同時に、木戸の向こうにいる松英さんの脚へ跳びついた。
『おやつ! おやつ、ちょうだい!』
『こら、行儀悪い!』
おにいちゃん、と呼ばれていた方の猫が嗜めるが、松英さんは苦笑いをしながらスラックスのポケットを探り、何か取り出して猫へ与えていた。
「ごめんな、結木くん。びっくりしたやろ?」
満足そうに口の周りをなめている猫を抱き上げ、松英さんは苦笑いした。
『ウチのバカ弟が失礼な態度でごめん。後で怒っとくから堪忍やで』
渋い顔の『おにいちゃん』はそう言った後、居住まいを正して碧生を見上げる。
『ボクと弟はサキモリ、あるいはノサキモリって呼ばれてる、青蛙のミコトの一の眷属や。キミが正式にツカサになったら、キミと我々は同格になるし、一緒にシゴトする必要も出てくるやろう。よろしくな』
「……へ? えっと、あの、はい。よ、よろしく……」
碧生とすれば、この場合どう答えるのが正しいのか迷ったが、澄んだ緑色の瞳で一心にこちらを見つめる、まだ幼いであろう猫へ冷たい言葉を返したくはなかった。
一瞬後、言質を取られたというか、取り返しのつかない約束をしたような悔いが胸に落ちたが、奥歯をかんで彼は諦めた。
どうあがいても碧生は、最早この妙な沼から出られないのだ。
出られないなら、腹を括る。
そう思いながらもう一度大きく息を吐き、碧生は、野崎松英氏を見た。
彼の顔に一瞬、気圧されたような表情が浮かんだが、すぐ、いかにも上に立ちなれた大人の顔に戻ってゆるく笑んだ。
「恵月先生に話を聞いてますよ、結木くん。野崎家……おもとの守の寄り合いへ、ようこそ」




