4 青蛙のいざないⅡ⑤
「そやな。お前がそない思うんも、もっともや」
拍子抜けするくらい簡単に親父さんは、ナンフウの(暴言になりそうな)言葉を諾った。
「本音言うたら、ワシかて御免こうむりたいお役目や。なんでワシみたいな、いい加減で適当な男が、こないな大層な役に選ばれたんやと、未だに思わんことないしな」
親父さんは言うと、ふっと息を吐いた。
「せやけど。コッチに拒否権はないねん。まあ、逃げて逃げて逃げまくって、正式に任命されん状態で泉やこの町と距離を取れやんことはない。距離を取ったまま死ぬまで逃げ切ることも多分、可能や。青蛙のミコト……つまり『おもとの泉』は、『来よ』とは言いはるけど、『来やんかったら祟る』とか『来やんかったらぶっ殺す』とは、言いはれへん。秋祭りの時期に泉に来い、泉に来てお前自身を試せ、要求してはるのはそれだけや。その後のことは……本人と、オモトノミコト、つまりは氏神さんというか泉の御父上に当たる神さん次第やな」
「逃げる、ことは可能、なんですか?」
ちょっとホッとして碧生が問うと
「ほんなら逃げる! 逃げるで、オレは。要するに、泉へ行かんかったらエエんやろ?」
ナンフウが食い気味にそう言い募ると、親父さんは渋い顔をした。
「可能は可能やけど。おススメは出来へん」
「なんでや!」
むくれ顔でそう言う息子へ、親父さんは真顔で答えた。
「逃げて逃げれんことはない、前例もなくはない。そういう話を当時のツカサから聞いたワシは、逃げることにしたんや。実際、かなりエエ歳になるまで逃げられたから、実績もある」
ならば何故と言いたげな少年たちを見渡し、親父さんは静かに言葉を続ける。
「……もちろん、古くから住んでるこの町の者らに白い目で見られたけどな。せやけど波多野っちゅう家は昔から、変り者ばっかり出る家やと、この辺りでは知れ渡ってるからな。あそこの家の息子やったらそーゆー罰当たりなことを仕出かしてもしゃーない、程度には、諦められてたっちゅうか呆れられてたっちゅうか。まずワシは親に頼み込んで、中学の途中から他所の県にある全寮制の学校へ編入させてもらって。ほとんど実家、つまりはこの町に帰らん状態で高校大学と進んで、就職もしたし結婚もした。せやけど……」
親父さんは悲しそうに眉を寄せた。
「だからと言うて。完全に逃げることは出来へんもんでな。青蛙のミコトの声が聞き取れた段階でワシの感覚は、通常のというか普通のというか、そこから外れてしもたようでね。否応なしに、この世ならざる者と関わりが出来てしもたんや」
この世ならざる者との関わり。
碧生とナンフウはぎくりと身をすくめる。
十分にわからなくても、怖い内容なのは察せられる。
「お前さんらをからかってきた、カラスだーのスズメだーのは可愛らしいモンや。アレらは青蛙のミコトの眷属で、基本罪がないっちゅうか、悪意も害意もない、ただのいたずら好きや。そやけど、そんなんばっかりでもないからな。鬱陶しい、煩わしい、場合によったらおっかない、そういうモンも少なくないんや。これは……自分が小波の中に居ろーが外に居ろーが、関係ないねん。自分自身の感覚、になってしもてるからな」
親父さんは腕を組み、ソファの背もたれにもたれかかった。
悲しげというか、複雑な表情をしている。
「実際、ワシもこの町以外で暮らしてた頃、ややこしい、この世ならざる連中にちょいちょい絡まれた。それでもだましだまし、暮らしとったんやけど。親が亡くなってこの家へ戻ってきたんをきっかけに、ちゃんとお役目を拝命することにしたんや。正直に言うたらその方が、コッチ方面は楽になった。『おもとの守』になるということは、逆に言うたら、オモトノミコトの守護がつくってことでもあるからな。オレのウシロには神さん居るでっちゅうことになるから、人外の中でも、チンピラレベルのややこしい連中からは敬遠されるようになるからな」
「……なんやねん、なんやねんソレ」
ナンフウはうめくように言う。
「結局は逃げられへん。そーゆーことやん。そんなん……そんなん、アリか!」
最後にそう叫ぶとナンフウは、蹴るように席を立つ。
「ナンフウ!」
「棕櫚!」
碧生と親父さんが同時に呼び止めたが、ナンフウは、乱暴に居間のドアを開けて出て行った。階段を駆け上がるような音がしたから、どうやらヤツは、二階の部屋へ行ってしまったらしい。
「……スマンな、結木くん。ウチのバカ息子が……」
親父さんは、困った顔で碧生に謝る。
「あ、いえ……」
ぼんやりそう答えるが、ちゃんとわかって答えている訳ではなかった。
碧生とすれば、何もかもが信じられない。
たとえるなら、何かのお話のような状況にしか思えなかった。
自分の身の上に起きているリアルとはここに至っても実感していなかったと、後になって彼はしみじみ、思い返すことになったものだ。




