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第七章 花火大会(1)


 月日は、わたしたちを置いてあっという間に過ぎていく。追いかけることも叶わぬほど速く。

 その救いのないスピードは、さながら砂時計の砂のようだ。見つめている間はその減りを実感することができなくても、確実にその身は削られている。そしてその砂が残りわずかになったところで初めてそれに気づいても、最後のひと握りの砂が崩れるのを止められはしないのだ。


 ――悔いのないように、毎日を過ごしたつもりだった。

 でも、思い出を積み上げれば積み上げるほど、それは逆説的にひとつひとつが陳腐になっていって。楽しい時間はどんどん日常に埋もれて。

 結局、虚しい空回りしかできていないように感じてしまう。


 そして覚悟のできないまま、気がつけば白神大祭まで後二日という日まで来てしまっていた。




「う~……朝かぁ……」

 目覚ましの鳴る二分前。慣れた身体は自動的に覚醒し、半ば無意識のうちに緩慢な動作で半身を起こしていた。

 窓から差し込む朝の光が、夢の余韻を追い払っていく。徐々に意識が身体に戻っていく感覚がする。それでも、頭の芯に夢の残滓がこびりついているようで首を振った。

 鈍い痛みを感じて、眉間を押さえてしばらくじっとする。


 ――最近、自分のものではない夢をよく見る。

 それは豊かに実った田畑の風景であったり、人々の笑い声がさざめく祭りの一場面であったり、もしくは人の手が入るよりもっとずっと前の静かな閉ざされた景色であったり。いずれも、わたしと馴染みのない光景だ。


 おそらくコレは八叉様の……あるいは、この土地自体の記憶。

 御坐祭みくらまつりを執り行ない、八叉様を自らの手で迎えた所為だろうか。あれ以来、こうして「つながる」感覚は自分の意志によらず格段に強まっているように感じられる。

 実際の時間よりも、ずっとずっと長い時間を八叉様と共に過ごしたような感覚。時間をさかのぼり、悠久の時を、彼の歴史を、剝き出しの精神でなぞっていく。


 目が覚めて、自身の頬を伝う涙に驚いたこともあった。悲しみや寂しさといった分類可能な上澄みの感情を取り除いた後に残された、透明な痛み。

 かといってそれは空虚ではなくて。混じりけなく純粋に、ひたひたと静かにただ胸の裡を満たす。


 ――もし、これが本当に八叉様の心なのだとしたら。

 すくい上げることはおろか、覗き込むことすら難しい深くて狭い谷底で外界を愛し続ける。それが、彼の世界なのだとしたら。


 どんどん、という大きな破裂音で、そんな埒もない夢想から引き剥がされた。

 反射的に窓の外に目をやる。暑苦しい太陽と、うざったいくらいに蒼い空。今日もまた良い天気となりそうだ。雨の降る兆しはまったくない。日照りの呪いは相変わらず続いている。

 しかし今日に限って言えば、それは悪いことではなかった。


 どん、と蒼穹にもう一度空砲の合図が鳴る。風に乗って、子供の歓声も聞こえてくるようだ。

 どことなく浮足立った空気。かくいうわたしも、ウキウキした気分を隠せない。


 ――今日は、年に一度の奥木町花火大会の日なのだ。




 今までこの花火大会は、クラスメイトたちと連れだって行くイベントだった。でも、今回は違う。一緒に行くのは八叉様だけ。そう、つまりは……お祭りデートである!

 大人になった八叉様と二人だけで何処かへ行くのは、実のところ今回が初めてだ。以前、少年だった頃の彼と映画を見たときはどちらかというとお世話係のような感覚が強かったが、今回は紛れもない王道のデートだ。ついつい唇がニヤけてしまう。


「お母さん! どう? 浴衣、変じゃない?」

 十年ぶりくらいに着る浴衣の慣れない着心地に心許なさを覚えながら、姿見を覗く。そこに映るのは、これからの時間に期待を隠せない上気した顔の自分。

 浴衣だけでなくイヤリングやポーチも和柄で揃え、髪も入念に梳かした。一週間前にできてしまったニキビも、今はもうすっかり消えている。トータルコーディネートは完璧だ。

 少女漫画で感性を培った八叉様ならきっと、イケメンの主人公らしくわたしの恰好を褒めてくれることだろう。


「やっぱり髪伸ばせば良かった……そしたら、かんざしとかできたのに」

 全身をくまなく見まわして、もう何度目かになる入念なチェックを重ねる。その過程で、ついそんな呟きが洩れた。

 服装はどうにでもなるが、こればかりはどうしようもない。肩までしかないショートヘアでは、和柄のパッチンピンをつけるくらいが関の山だ。


「もう、アンタは……私がいくら言っても、興味を持たなかったくせに。いつの間にか随分オシャレになったんだから」

 呆れた母の声に、わたしはニヘラと照れ笑いを浮かべて誤魔化した。好きな人に褒められたいなんて乙女な理由、親に向かって口にするのは恥ずかしすぎる。

「じゃあ、楽しんでおいで。八叉様が居るから大丈夫だと思うけど、帰り道は暗いから気をつけるのよ」

「うん、わかってる。行ってきます!」


 意気揚々と、下駄をカランコロン鳴らしながら待ち合わせ場所まで向かう。

 どうやら八叉様は、この「デート前の待ち合わせ」というシチュエーションを気に入っているらしい。今回も彼だけ先に出発して、待ち合わせ場所へと向かっている。

 ……確かに、約束の刻限まで相手を想いながら待つというのは、家から一緒に出発しては味わえない時間だ。デートの楽しみというのは、もしかするとそこから始まっているのかもしれない。




 ――約束の時間は、夕方四時。

 この時期の四時といったら、まだ日は沈むどころか西に傾いているかすら怪しく感じてしまう程の明るさで、じりじりと下界を照らし地面にわたしたちの影をくっきりと焼きつける。

 手にした団扇を日除けにかざしてみたものの、そんなことでは暑さが和らぐ気配もない。花火の席を確保しようとごった返す人混みの喧騒が、この熱気にさらなる拍車をかけていく。


 だというのに、わたしを待つ八叉様の佇まいはそんな暑さを感じさせないほどに涼やかだった。それはもう、背景に風鈴の音が聞こえてきそうなほどに。

 花火大会の会場なんて人混みでごった返して耳が壊れそうなくらいにうるさいのに、そこだけまるで違う時間が流れているようだ。

 母が勧めてくれたおかげで、今日の彼はわたし同様に浴衣姿。いつもの和装とは違う装いで、これもまた趣がある。


 歩み寄る足を止めて、わたしはしばらくその姿に見入っていた。

 長い銀髪を緩くまとめて片側に流したその髪型は、普段見ないスタイルで新鮮だ。その髪型のために、いつもは隠されている八叉様の首筋があらわになっている。

 そのハッとするほど白い首筋。華奢に見えるけれど浮き上がる骨筋が意外と男性的で、そのギャップが妙にわたしの目を惹いた。

 どちらかというと堅苦しいくらいにきっちりと浴衣を着ているのに、あわせの間から淡い陰影を覗かせる鎖骨や袖口から見える手首が何故かすごく色っぽい。


 ――お母さん、ありがとう。

 少しの間うっとりと見惚れてから、わたしは内心で母に感謝を捧げる。

 母が八叉様に浴衣を勧めてくれたおかげで、わたしは男性浴衣の魅力に目覚めることができました。……ちょっと変態っぽいけれど。


 いつの間にか、彼の浴衣姿に魅了されて行き交う人の中でぼぅっと足を止めていた。気を取り直して、早足で彼へと歩み寄る。

「八叉様、お待たせ。浴衣、すごく似合っているね!」

 待ち合わせらしいセリフを口にしつつ、八叉様に元気よく声を掛けた。

 彼の服装を評価する誉め言葉も忘れない。わたしの賛辞を受けて、きっと八叉様も「司紗も似合ってる」くらいの言葉を返してくれるものだと思ったのだが……


「あっ、ああ。うん、そうか、ありがとう」

 しばらくポカンとわたしの顔を眺めてから、八叉様は何故か慌てたようにすっと目を逸らす。そしてモゴモゴと不明瞭な返事を口にした。

 その反応は、まるで何かを誤魔化すようで。気まずそうに視線を彷徨わせる彼に、わたしは急に不安を覚える。……もしかしてわたし、なんか変?


「そのっ……暑い中で待ってて、喉乾いたでしょ。はい、コレ」

 何も気にしてない風を装って、ひとまず先ほど買ったばかりの炭酸飲料を渡す。

「えっと……わたしの浴衣どう、かな……?」

 そうしてから勇気を振り絞り、自分から決死の体当たりを仕掛けた。沸き上がる不安でつい視線が下を向いてしまい、チラ、チラと上目遣いで彼の様子を窺う。


 八叉様は缶ジュースを受け取ったまま、凍りついたように動かない。緊張で頭が回っていなかったが、しばらくして気がついた。もしかして、プルタブの開け方がわからないとか?

 彼と出逢ってから、二か月近く。思わぬところで、新たな発見があるものだ。缶ジュースを前に困惑するなんて、ちょっと可愛い。

 目を逸らしたまま無言で彼から缶を取り上げ、プルタブを開けた。プシュ、と爽やかな音とともに小さな炭酸の飛沫しぶきが上がる。目にも涼しげな水滴が表面から滴り落ちる、冷え切ったジュースの缶。


 途端、八叉様はひったくるように受け取ってそれをあおりはじめた。ごく、ごく、と喉を鳴らしながら、がむしゃらに炭酸を飲み下していく姿。どこか必死さを感じるその光景をわたしは呆然と眺める。

 しばらくして、ぷはぁっ、と顔を上げた八叉様は口元を拭いながら鋭い目でこちらを見下ろした。握り締めた右手が、その手の中の空き缶をくしゃりと潰していく。

 ……あの一瞬で、350mlの炭酸を飲みきってしまったのか。っていうか、めっちゃ緊張してない?


「えぇい、数千年生きてきたというのに情けない……! 司紗の浴衣姿が眩しすぎて、言葉が見つからないとは……」

 唸るように呟き、八叉様はぐいと顔を近づける。その頬にいつもより赤みが増しているのが見て取れた。

「よく似合っている、司紗。適切な誉め言葉が出て来ないが……オレ以外の誰にもその姿を見せたくない、と思うくらいには」

 掠れた、ささやくような声がわたしの耳朶を打つ。わたしの顔を見つめる潤んだ瞳が、今まで見たことのない熱を孕んでいる。その視線で、わたしの脳内も沸騰してしまいそうだ。


 遅れてその言葉の意味を理解した途端、わたしの顔もカッと熱くなるのがわかった。つまり、八叉様はわたしの浴衣姿にめちゃくちゃ緊張してくれているのだ。

「ああぁありがとう! 嬉しいよ!」

 こうしてあっという間に、挙動不審二号のできあがり。お互い顔を真っ赤にしてバリバリに意識し合っている二人組が完成してしまう。


 この恥ずかしい空間に耐えられなくて、わたしはくるりと背を向けて花火会場を指さした。

「ほ、ほらっ! 屋台もたくさん出てるよ。花火が始まるまでに、全部見て回ろ! 最初は屋台通りの右を向いて、引き返すときは左を向いて、って感じで!」

 奇妙な汗を背中に感じながら、歩きはじめる。しばらく足を進めてから、その自分の発言のおかしさにようやく気がついた。


 ――忠実にそれを実行したら、向かって右側の屋台しか見られないということに。





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