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第四章 御坐山(1)


 山登り当日は、よく晴れた日だった。突き抜けるような青空が眩しい。

 そういえば、そろそろ梅雨なのに今年はまだあまり雨が降ってないな、とふと気がついた。学校へ通う身としては雨が降らないことは有難いけれど、異常気象を不安に感じないこともない。えぇと……前回雨が降ったのはいつだっけ?

 天気予報でも降水確率は低いとのことだったが、山の天気は変わりやすいというし。念のためバックパックに折り畳み傘を入れて、八叉様とともに家を出る。


「へぇ……今日の服装良いな。活動的な格好が似合うじゃないか、司紗」

 歩きはじめてから、八叉様はわたしを一瞥いちべつして唐突にそんなことを口にした。

「普段学校で着ている暗い色の服よりも、よっぽど似合っている」

「そう? ありがと」


 軽く答えると、八叉様はさらに何か言いたげに口を開けて……、そしてそのまま口をつぐんだ。どうしたのだろう、と不思議に思うが、八叉様は黙ったままずんずんと先を歩いていってしまう。

 そうしてちとせとの待ち合わせ場所まで後わずか、というところまでやって来て。数歩先を進んでいた八叉様はぴたりと立ち止まった。

 くるりと振り向いた彼の右手は、緊張を示すように胸元で握りこまれている。わかりやすい、八叉様の癖だ。

「……そのっ、司紗は元気が取り柄なのだから、明るくて動きやすい服がぴったりだと思う……かっ、可愛いぞ!」

 少し怒ったようなぶっきらぼうな口調。でも、真っ直ぐな誉め言葉。

 そのまま目を合わせずバッと背中を向けたのは、照れているからだろうか。その所為で背中に力が入っているのが、丸わかりだ。

「え……あ、うん。嬉しいよ……?」

 そのピュアな賛辞に、つい挙動不審な返事をしてしまった。

 今日のわたしの恰好はピンクのパーカーと麦わら帽子。どちらも母がイヨンで買ってきたもので、特に思い入れがある服ではない。そうやって褒めてくれるのなら、もっとちゃんとコーディネートを考えてくれば良かった。


「その、それから、先日の映画のときの服もだな、良かった、と思う……」

 八叉様はたどたどしく、過去にさかのぼってさらに誉め言葉を口にする。振り返ったその顔は、まるでお風呂でのぼせたように真っ赤だ。わたしの気持ちまで、そわそわしてきてしまう。

「もうっ、なんかくすぐったいなぁ……急にどうしたの?」

 そのむずむずした感情に気づかないふりをして努めて軽い口調で返すと、きまり悪そうに八叉様は目を逸らした。


「その、女子おなごというのは出掛ける際に身支度にかなりの労力を掛けるのだろう? 何種類もの服を着替えてどれを着ていくか迷ったり、髪型を納得いくまでととのえたり……それを知ったら、司紗の努力に対して評価をするのが誠実な対応だと思ってな。先日出掛けたときには、まだそのことを知らなかったので言えなかったのだが……」

 八叉様の答えを聞いて、悟った。――あ、コレ、また変な少女漫画から学んできたな。

「そんな、無理に合わせてくれなくても良いのに……」

 苦笑いで答えれば、八叉様はしおしおと萎れた顔をしていく。


「でも、その気持ちはすごく嬉しい。ありがと。……八叉様も、服、似合ってるよ」

「? オレは司紗の母上が用意してくれたものを着ただけだが? なんの労力も掛けていないぞ?」

「そんなの関係なく、似合っているから言っているんだよ」

 きょとんとした顔をする八叉様に脱力しながら、笑う。

 チェックの長袖のシャツに、ベージュのチノパン。コニクロで揃えたような垢ぬけない服装なのに、八叉様が着るとサマになるから不思議だ。イケメンってずるい。

 困った顔で首を傾げる八叉様の顔につい見とれそうになる自分の視線を慌てて引き剝がし、わたしは待ち合わせ場所へと足を急がせたのだった。




○   ○   ○   ○   ○   ○   ○




 今日の目的地である御坐山みくらやま、頂上。展望広場まではゆっくり歩いても、一時間程度しか掛からない。お昼前には到着できる見込みだ。

 山の勾配もそこまでキツくはなく、まさに気軽なハイキングコースといった感じ。実際、地元の小学校の遠足の目的地にもよく採用されている。

 とはいっても、歩きながら話をするのは結構疲れるもので。特に、今日のようにこれだけ日差しが強いと、疲労も倍増する。何しろ、まだ梅雨の時期だというのに太陽を隠す雲がない所為でおそろしく暑いのだ。

 最初の頃は賑やかだった道中も、しばらくすると三人そろって黙々とひたすら足を進める沈黙のコースとなってしまった。


 ――出発して、どれくらい経ったのだろう。

 額から流れ落ちた汗を拭う。大きく息をついて見上げると、目印となる鳥居が視界の外れに見えた。

 後もう少し。この長い階段を登りきれば、展望広場だ。気合を入れるようにバックパックを背負いなおす。三人分のお弁当を入れたバックパックは、重い音を立てて背中の上で跳ねた。


 やがて、ゴールのシンボルであるやや剝げた赤い鳥居がわたしたちを迎えた。解放された気持ちで、その下をくぐる。もうこれ以上は歩きたくない、と思っていたはずなのに、ゴールした途端に元気が湧いてくるこの不思議な現象に名前をつけたい。

 展望広場の柵の向こうは崖となっていて、その下には麓の街並みが広がっている。地元の風景がミニチュアサイズで展開される景色。標高としてはあまり高くはないのだけれど、それでもやっぱり眺めは良い。


 御坐山は神山だが立ち入り禁止の禁足地きんそくちはさらにその奥で、この展望広場までは麓の龍田神社から自由に行き来できるようになっている。意外とこの展望広場を訪れる人間は多い。遠足にもよく利用されるため、ベンチや東屋あずまやなどの設備はひと通り揃っている。

 その東屋のひとつで、わたしは背負っていたバックパックを下ろしてさっそくお弁当を広げることにした。




「いただきまーす!」

 弁当箱を開けると、柔らかい海苔のりの香りが漂ってくる。それに、逆らえるわけもない。食事の挨拶もそこそこに、おにぎりにかぶりついた。

「つぅちゃんのお母さんのご飯、本当に美味しいよねぇ」

 ちとせが唐揚げをつまみながらしみじみと呟く。その隣では、八叉様がまるで競うようにガツガツと卵焼きに食らいついていた。

 バックパックの八割を占めていた大荷物。あまりの重さに食べきれるだろうかと心配をしていた大量の弁当は、気がつけば早くも底が見えてきている。

 このままでは、わたしの取り分が危ない。急いで、自分の分を確保に走る。


 そうしてお弁当をあらかた食べ終わったところで。

「今回はわたしもデザートを作ってきたんだよ! じゃーん、わたし特製・杏仁豆腐!」

 タイミングを見て食後のお菓子を登場させると、八叉様の顔がわかりやすく輝いた。

「何だ、この白い柔らかな甘みは……これが、幸せの味か……!」

 素直な賞賛に、ふふん、とわたしは鼻を高くする。


 市販の粉にお湯と牛乳を混ぜて固めただけの、簡単レシピの杏仁豆腐。でもわたし特製、という言葉は嘘ではない。このお湯と牛乳の配合は、わたしオリジナルのレシピなのである。

 牛乳の量を間違えて作ったのがオリジナルのきっかけだが、そこから試行錯誤したことでこの杏仁豆腐は公式レシピよりもさらに美味しい仕上がりになっている。少なくとも、わたしはそう自負している。

 さじにすくうときはぷるりんとした弾力とツヤを持ちながら、一度口に入れれば舌の上で柔らかく溶け、喉をくすぐるように滑り落ちていく。このバランスを安定して実現するために、どれだけの失敗を重ねたことか。その結果、今ではコンビニスイーツの杏仁豆腐では満足できない哀しき身体となってしまった。


「司紗、見直したぞ! 正直司紗のことはガサツな女子おなごだと認識していたが、改めよう。家でもまた、オレにこれを作ってくれ!」

「いや、ヒトに何か頼みたいなら、もっと態度ってものがあるでしょう……」

 やれやれと、いっぱいになったお腹をさすりながらベンチの背もたれに身体を預ける。そのまま空を見上げれば、相変わらずほとんど雲のない綺麗な青空が目の前に広がった。

 大きな鳥が一羽、弧を描くように大空を舞っているのが高く見える。のどかな景色だ。


「気持ち良いなぁ……こういう健康的な休日も悪くないね。龍田神社の展望広場は、軽い運動にぴったりだよ」

「龍田神社の展望広場? それはもしかして、此処ここのことか?」

 わたしの何気ない呟きに、八叉様は怪訝けげんそうに顔を上げる。

「此処は、オレの山だぞ?」




 思わずそっと、ちとせと視線を交わした。そんな意図はなかったのだが、思いがけず重要なヒントが転がり込んできたことに興奮が隠せない。

「えっ、ここって八叉様の山なの?」

 努めて何気なさを装いながら、わたしは更なる情報がないかと八叉様に水を向ける。

「まぁ、な……」

 しかし、八叉様は気のない返事を寄越したきり、そのままそっと口を閉ざしてしまった。


「じゃあさ、あそこの祭祀場のことも知ってる?」

 敢えてそんな反応に気づかないフリをして、質問を重ねた。

「祭祀場?」

 訊き返す八叉様の言葉にうなずいて、藪の向こうを指さす。


 ――茂みの間に見える、下草に覆われた細い道。

 辛うじて判別できるその細道は、遠足で此処に来た小学生の冒険心をくすぐること請け合いの秘密めいた雰囲気を漂わせている。しかし、小学生のその冒険が失望で終わることも、セットで約束されているのだが。

 何しろこの細道は、歩いてほんの数十メートルでぐるりとカーブし、元の展望広場に出てしまうのだから。


 その途中いくつかの岩がゴロゴロ転がった空間があることに、一体どれだけの人が気づくだろう。「祭祀場跡」という立て札こそあるものの、それ以外本当に何もない空間。

 でも、今回に限っては何かしらのヒントになるかもしれない。


「ね、ちょっと行ってみない?」

 そう促し、わたしは二人を連れて藪へと歩き出したのだった。





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