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第三章 休日のお出掛け(1)


 ――八叉様が、祟り神。

 ちとせと途中で別れてから、帰り道のわたしの頭にはその言葉がずっと渦巻いていた。


 龍田神社の伝承を信じるのであれば、八叉様は危険な存在ということになる。でも……足を進めながら、ゆっくりと首を振った。

 彼と接した時間はまだ短いけれど、それでも八叉様がそんな存在であるとは到底思えなかった。それよりも、その言い伝えが歪められた可能性の方が大いにありそうだ。


 二人で猫を助けたときの場面が、目に浮かぶ。

 小さなひとつの命を救うために、一生懸命だった八叉様。その姿勢に、他者をたたる歪んだ性質はそぐわない。

 今日の話は彼に悟られないようにしよう、とそっと心に決めた。小さな決意を胸に、わたしは家の前までやってくる。




「あれ」

 家に入ろうと境内を横切ったところで、人影が目に入って足を止めた。

 黒々とした影が足元に長く伸び始め、夕闇の気配がひたひたと迫りつつある頃合い。黄昏たそがれ時のそんな薄暗い中で、八叉様が何やら真剣な面持ちで本殿の前に佇んでいるのが目に入る。

 八叉様のたなびく銀色の髪が夕日に染まり、オレンジ色の光をばらまく。その奥に光る紺色の瞳は、ちょうど暮れなずむ今の夜空のよう。少年の華奢な身体は、夕闇にそのまま消えてしまいそうなはかなさをかもしている。

 はっと息を呑むほどの、美しい姿だった。


 見とれてしまいそうになる己を慌てて叱咤し、平静を装って彼へと歩み寄った。ざっざっと、白砂が音を立てる。そのうるさいくらいの音が、却って現実味があってホッとする。

「ただいまー。何見てるの?」

 彼の視線の先を追えば、そこにあったのはご祭神・由緒書の立て看板。いわば、自分自身のプロフィールである。

 やはり自分が後世にどのように伝えられているか、気になるのだろうか。そんなことを思って、胸が痛むのを感じる。でも幸い、この立て看板に「祟り」といった言葉は含まれていないはずだ……たしか。


 振り向いた八叉様の表情は、逆光にかげっていてよく見えない。

「おぅ、司紗か。今日は遅いんだな」

 声の調子からも、彼の機嫌は読み取れない。

「金曜日は部活動の日だからね。遅くなるんだ」

「ふん、このオレを置いて部活とは」

 不快そうに言い捨てるが、いつもの憎まれ口だ。実際に怒っているわけではないことは、この一週間ですぐに知れた。

 はいはい、と適当に返事をすれば、唇を尖らせながらも八叉様はそれ以上の不満を口にすることはない。


 さて、挨拶も済ませたことだし早く家の中へ入ろうとわたしが振り向きかけたところで。

「じゃん、けん……」

 やおら八叉様は腕を振りかぶると、大きな声で掛け声を上げた。

「ぽんっ!」

 握りしめた八叉様の小さなこぶしが、勢いよく突き出される。


 その声に釣られて、反射的に自分も右手を出していた。

 ――やはり十七年間じゃんけんの文化に浸かってきた経験は大きい。突然の掛け声であっても、身体は勝手に反応する。

 さらに、咄嗟とっさの反応だというのに、わたしが出したのはチョキ。我ながら、なかなかの反射神経だ。

 しかし、一方の八叉様が出したのは、丸く握られたグーだった。つまり、わたしの反射神経は完全に裏目に出てしまったのである。


オレの勝ちだ!」

 よしっとばかりにその握った拳を突き上げ、八叉様は喜びを表すようにガッツポーズを取る。そんな彼を見ながら、じゃんけんのない国ってあるのかな、とわたしはぼんやり考えていた。

 些細な決定をくだすとき、じゃんけんは大事な手段となる。じゃんけんのない文化圏ではそんな場面で、どうやって決着をつけているのだろう。




「というわけで、だ」

 じゃんけんの結果も忘れて思考がわき道に逸れていくわたしを、唐突に八叉様はびしりと指さした。

 ……この指をさすという行為、どうやら相手の注意を引きたいときの彼の癖らしい。今までも、何度かその姿を目にしている。

「司紗、日曜は遊びに行くぞ。オレについてこい」

 右手でわたしを指さし、左手は腰に当てる。そうして身体を逸らした八叉様は、いかにも尊大な態度でそう言い放った。今の台詞の何処に、威張れる要素があるのだろう。

「いや、意味わかんないし」

 そっけなく返すと、八叉様は愕然とした顔でわたしを見る。そんな反応は思ってもみなかった、という顔だ。


「何を……今の勝負の結果を忘れたのか、司紗! オレが勝ち、お前は負けた。お前にはオレの命令を聞く義務がある!」

「いつわたしがその勝負を承知したって言うの。一方的にじゃんけん仕掛けて、勝ったら要求を押しつけるなんて……そんなの都合良すぎでしょ」

 真面目に正論を返せば、八叉様は返す言葉をなくして黙り込む。ここで「神の言うことが聞けないのか!」と強権を振りかざさないところが、彼の良いところだ。


「それなら……」

 少しの間考えてから、八叉様は再び口を開いた。

「仕方ない、もう一度勝てば文句はないな? 司紗、日曜日の時間を賭けてオレともう一度勝負だ!」

「うーん、まぁ良いけど」


 そもそも何故わたしが八叉様のおりに付き合わなければならないのか、という素朴な疑問は湧いたが、そこについては深く考えないことにした。

 神様にとっても、人里に現れるなど滅多にないことだろう。時代とともに変わった景色を味わいたい、という気持ちはわからなくもない。

 それなら、じゃんけんに負けたらそれに付き合ってあげるのも悪くはない。その程度には、八叉様のことは嫌いじゃないし。

 普通にわたしが勝てば、断れるのだ。そのときは、代わりに何を要求してやろうか。


「よしっ。じゃあもう一度勝負だ、司紗」

 そんなことを考えるわたしを前に、彼は再びじゃんけんの構えをとる。闘気に満ちたその表情に迷いはなく、ただ勝つことしか思い描いていない。

「じゃーん、けーん……」

 ゆっくり、念じるような、力の籠った八叉様の声。


 ぽん、と最後の合図と共に、放たれる二人の拳。





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