第三章 郷土史研究部(3)
「つぅちゃんも言っていた通り、八叉様は蛇の神様だね。……実は蛇というのは、日本では昔からよく信仰の対象となっている生き物なんだ」
わたしが姿勢を正したのを見て、ちとせは説明を始めた。淀みなく流れ出したちとせの解説。穏やかな声もあって、それはまるで先生による授業のようだ。
「勘違いされやすいけれど、八叉彦命という名前は、仏教における鬼神の『夜叉』とは全く関係ない。八叉様の『叉』は分岐した、という意味なんだ。つまり、八叉彦という名前は『八つに分かれた蛇』、という意味になる」
「ヤマタノオロチ、ってこと……?」
流石に、わたしでも名前くらいは知っている昔ながらの伝説の存在。まぁ、あっちは退治される側だけれど……。
「そう。意味合いとしては、有名なそのヤマタノオロチと同じ。ただし、八叉様の場合、分かれているのは頭ではなく尻尾というのが特徴かな。……つぅちゃんも、白神大祭のときのお神輿は毎年見ているでしょう?」
「ああ、ウチが出してるあの紐がいっぱいくっついたヤツのこと?」
白神大祭の一番の目玉であるお神輿。神輿部分を男衆が担ぎ、その後ろに結ばれたたくさんの鮮やかな紐は女性たちが掲げて町中を練り歩く。そして最後に行きつくのが、ちとせの家のある龍田神社だ。
そこで神輿に飾られた豪華な紐を切り落とすのが、祭の最高潮。一番盛り上がる瞬間である。
巫女がお神楽を舞いながら刀を振り下ろす流麗な姿は、勇壮にして豪華絢爛。
紐の先につけられた鈴が、切られる度にその身を震わせて音を立てる。その音が祭を盛り上げながらも何処か切なげであると、もっぱらの評判だ。
……まぁ夢のない話をすると、そこで切る紐というのが伝統工芸による高級品で、祭りを執り行なうたびにウチの懐は大打撃を受けているらしいのだが。
「その神輿につけられた紐の数、何本か知ってる?」
「確かタコの足と同じ八本……ああ、そうか!」
あの神輿は、八叉様を模していたわけだ。
「あれ、……つまりあの祭で、八叉様は自分の尻尾を切り落としてるってことにならない?」
「つぅちゃんは、飲み込みが早い」
わたしの反応がお気に召したらしい。ちとせは感心したように笑みを浮かべてゆったりと腕を拡げる。
「ここからが、本題。さっきつぅちゃんが言っていた由緒は、決して間違っていない。ただ、この話には続きがあるんだ」
「続き……?」
「つぅちゃんがそれを知らないのは、恐らくそちらでは語られていないからだろう。そして、これこそが白火主命の由緒にもなる。……ちなみにつぅちゃんは、『国譲り』の神話は知ってるんだっけ?」
問われて首を横に振る。何のことやら、さっぱりわからない。
「『国譲り』というのは、まぁ簡単に言うと神代における為政者の大きな交代のことをいうんだ。これによって、この国の支配者は劇的に移り変わった――国を造った者から、国を平定する者へと」
「え、それって勝手じゃない? 頑張って国を造ったのに、それができたらお役御免、ってこと?」
気になるとつい茶々を入れてしまうわたしは、あまり良い聞き手とは言えないのかもしれない。でもちとせは気を悪くした様子も見せず、むしろ楽しそうに頷いてみせる。
「つぅちゃんのご指摘もごもっとも。実際、そんな勝手な話がまかり通るわけがない。国造りの神様は支配権を譲り渡すことを良しとせず、そこから国を巡って神々の大きな争いが勃発したんだ。……それについても興味深い話はあるんだけれど、そこは割愛しておこう」
あんまり登場人物を増やしすぎても大変だからね、と片目を瞑ってちとせは微笑む。神様の名前を覚えるのが苦手なわたしとしては、たしかにその方がありがたい。
「とにかく、古くからの神様はその戦いに敗れてしまった。そして、国の覇権は『国譲り』によって大きく変わったんだ。これが、この話のポイント。そして……」
そこでひと息ついて、ちとせは重々しく述べる。
「白火主命はその、国造りの系譜だったんだ」
何が起きたと思う? と、ちとせは問いを投げかける。答えが見えないまま、わたしは話の先を促した。
「支配権を得た朝廷は、彼にもとの国を出ていくように迫ったんだ。代わりに奥木の地をくれてやるから、とね。争いに敗れた白火主命は、致し方なくこの奥木の地へやって来た。……でも、もともと此処は八叉様が治めていた土地。やはり土地の支配を巡って、今度は白火主命と八叉彦命との間で争いになった」
神様の話とは思えない程、血なまぐさい話だ。あの甘っちょろい八叉様はそれに巻き込まれて良いようにされてしまったのだろう。
「そのときの戦いの伝説が、ウチには残っているよ。えぇと……」
少しの間だけ記憶を探るように目を閉じてから、ちとせは薄い唇を再び開いた。
「八叉彦命は大蛇となって白火主命を一呑みにしようとした。しかし、白火主命が右手を天に掲げると、稲妻が八叉彦命を貫く。驚いた八叉彦命は逃げようとしたが、白火主命は鉄輪を投げつけてその身を捕らえ、この地を譲ることを了承させた。八叉彦命は恐れをなして白火主命に服従を誓い、それからは二度と災いをなすことをしなくなったという」
「災い? それって……」
「こうして『祟り神の脅威』から救われた村では田畑の実りが豊かとなり、白火主命はこの地を守る豊穣の神として迎え入れられるようになったのである」
わたしの上げた驚きの声は予想の範疇だったらしい。ちとせは話を途切らせることなく、余裕たっぷりに最後まで語り終えた。
一呼吸置いて、どう? とわたしの顔を見る。




