第三章 郷土史研究部(2)
――そんなわけで、金曜日である。
結局、ちとせに聞こうと思っていた八叉様のことはまだ話せていない。しかし、わたしに焦りはなかった。
というのも今日の放課後であれば、彼と確実に話ができるタイミングがあるからだ。
終業のチャイムが鳴り響く。
その音を背に、わたしはとある教室のままでやってきていた。
滑りが悪く、動かすのに少しだけコツが要る引き戸。力を込めて斜め上に引き上げると、ガタガタと外れそうな音を立ててようやくそれは開く。と同時にホコリというかカビというか、ウチの蔵と同じような灰色の気配に包まれる。
毎週来ているというのに、いくら換気をしても変わらないその空気。
北校舎一階、化学実験室Ⅱの隣に肩身狭そうに位置している『社会資料室』。場所柄なのか夏でも洞窟内のように涼しいこの場所は、授業で使われることも、教師が利用している様子もないアヤシイ教室である。
だが、ただひとつ。この教室には唯一無二の存在意義があった。
すなわち、わたしの所属する『郷土史研究部』の部室としての役割である。……といっても、この部のメンバーは今、たった二人しか居ないのだけれど。
部の存続に関わるんだ、是非入ってほしい、と数少ない同郷の先輩に拝まれて、ちとせと入部したのが、入学したての去年のこと。ところが、それ以降一切部員は入らず、今年三月にその元凶の先輩は卒業。ひとつ上の先輩は二人とも受験を理由に引退し、結局わたし達の代で廃部は決定してしまった。
それを考えると、わたし達を誘ってくれた先輩に対して――当時のかなり強引な勧誘を差し引いても――多少は申し訳ない気持ちになる。
本来であれば『郷土史研究部』なんて地味でカタい部活は、ほんの少数の真面目な精鋭と、多数の幽霊部員、もしくは部室を遊び場にする賑やかし要員で形成されるのがセオリーだ。
しかし去年、部活動の一環でまとめたレポートが予想以上に高評価を受け、何やら大層な賞を受賞。そのために『郷土史研究部』は教師陣の注目を惹くこととなってしまった。
そうなると、不真面目な遊び目的の部員は入りにくい。だというのに、期待していた志ある生徒というのも出て来ず、何やら敷居の高い部となった挙句がこの廃部という結末である。
一応わたしたちも文化祭の展示に力を入れて部の存在をアピールしようとしたのだが、その力の入れようが裏目に出てさらに生徒の足を遠のかせてしまう結果となってしまった。
今はもう完全に諦めの境地だ。まぁ実際のところ、廃部が決定したところで困ることはない。気楽なものだ。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
しばらくひとりで宿題に取り組んでいると、やがてガタガタと先ほどと同様の扉が開く音が鳴った。
「お疲れー、明日からようやくお休みだね」
顔を上げなくても、ここに来る相手はもうひとりの部員であるちとせ以外居ない。教科書から目を離さずに声だけかける。
どさり、と向かい側の席にカバンを置く音がした。
一応伝統的に、そちらが部長席ということになっている。……まぁ二人だけの部活に、今更部長も何もないのだけれど。
六人がけの長机は、二人にはちょっと広過ぎる。向かい合って座ると、両側が寒々しい。
「うん、おつかれ。さて、つぅちゃんは文化祭展示の題材、考えてきてくれた?」
前置きなしに、ちとせは椅子に座りながらずばりと本題に切り込んできた。
うぅ、容赦ない。……まぁわたしがいつも本題に入らずに、うだうだ長話をする所為なのはわかっているけれど。
「それも大事だけどさぁ……」
本題と異なることを口にしようとするわたしを察して、ちとせが鋭い視線で牽制してくる。しかし、こんなことで怯むわたしではない。幼馴染の年月は長いのだ。
「うちの神社の由緒について知りたいんだよね。ちとせ、知ってる?」
月曜日から、ちとせに聞きたいと思っていた内容。呆気にとられたように、ちとせは少しだけ目を瞬かせた。
「展示のテーマとして……奥木神社を考えているってこと?」
わたしの頓珍漢な言葉を、精一杯好意的に解釈してくれたらしい。
予想外の発言だったが、これ幸いと最初からそのつもりだったという顔でわたしは頷く。
「そうそう! 部員が二人とも神職関係者なんだし、面白いものができると思わない? 特に今回は八叉様も居ることだしさ。ウチで行なっている祭の歴史とその意味合い……なんて、どうかな?」
我ながらよくもまぁこんなデマカセを、かねてからの腹案のように述べられるものだ。思いつくままに喋りながら、内心呆れる。
しかしそんな事情を知らないちとせには、そのアイデアが琴線に触れたらしい。真剣な表情で顎に手を当てて考えはじめる。
「アリ……かもしれないね」
「でしょ!?」
だんだんに自分でも悪くない考えだという気がしてくるのだから、いい加減なものである。でも、あくまでそれが用意してきた案だというのを取り繕うのは忘れない。
「そんなわけで、ウチと……後、ちとせの龍田神社の関係や謂れがどんな内容なのか、さらっと知りたいなぁって」
「つぅちゃんが知ってるのは、どんな感じ?」
聞き返されて、少し言葉に詰まった。
わたしと違ってちとせは博識で、自分の家の神社のことやその他一般的な神事の作法、知識をしっかりと身につけている。同じような環境で育ったはずなのに自分にそれがないことが、今更ながら恥ずかしくなったのだ。
それでも、もう誤魔化すこともできない。腹をくくって、自分の知る八叉様の伝説をざっくりと話す。例の、貧しい村を助けて祀られるように……というヤツである。
「ひとつ、心に留めておいて欲しいことがあるんだ」
ひと通りそれを聴き終えてから、ちとせは改まった様子でわたしに切り出した。
「歴史というのは、誰かの都合によって歪められたものが多い。藤原の栄華然り、源平合戦然り。ひとつの事象について正反対の二つの話がそれぞれ語り継がれるのはよくあることだし、大抵は歪曲されて都合よく改変されている。そして……これが一番大事なことなのだけれど、敗者に正義はない。――何故なら歴史は、」
「勝者のための物語だから」
続きをわたしが引き取った。去年の文化祭展示のときに、さんざん聞かされた言葉だ。
わたしの言葉に、ちとせはよろしい、というように頷く。
「そう。そしてそれは、人間の歴史だけでない。神様の歴史……つまり、神話についても同じことが言えるんだ。むしろ神代の話だから、より一層その傾向は強い。とくに日本の神話は、現人神である天皇の正統性を示したものだから、なおのこと」
そこでちとせは、ふと扉の方を振り返った。しっかりとそれが閉まっているのを確認してから、もう一度向き直る。やけに秘密めいた仕草だった。
「それを踏まえて、この話は聞いてほしいんだ」
「うん、わかった」
どんな話になるのかと怪訝に思いながらも、わたしは居住まいを正す。




