第九話 お祖母様、王都でダブルデート
第九話 お祖母様 王都でダブルデート
翌朝。
カヌレンは、鏡の前で何度目か分からないほど髪を整えていた。
「……おかしくないですよね?」
淡い色のドレス。
髪には小さな花飾り。
派手すぎないけれど、いつもより少しだけお洒落をしている。
「まあまあ」
背後から、楽しそうな声がした。
振り返ると、そこにはマドレーヌが立っていた。
「とても可愛いわよ」
「ありがとうございます」
カヌレンは、ほっと胸を撫で下ろす。
今日の予定は、王都へのお出かけ。
第二王子ルミアンド。
そして祖母のマドレーヌ。
さらに――。
「それにしても」
マドレーヌが、孫娘を上から下まで眺める。
「今日はずいぶん気合いが入っているわね」
「えっ?」
「いつもより二倍は可愛いもの」
「そ、そうでしょうか?」
「ええ」
マドレーヌは、にっこり笑った。
「恋する乙女ね」
「お祖母様!」
カヌレンの頬が、一気に赤くなる。
「違います!」
「あらあら」
「本当に違いますから!」
「そういうことにしておきましょう」
「もう……」
カヌレンは頬を膨らませた。
そんな孫娘を見ながら、マドレーヌは楽しそうに笑う。
――可愛いわね。
恋をしているのなら、それもいい。
誰かを好きになって。
誰かに大切にされて。
そんな幸せを、この子にも知ってほしい。
それが祖母としての、ささやかな願いだった。
「ところで、お祖母様」
「なぁに?」
「お祖母様も、今日はずいぶんお綺麗ですね」
「あら?」
マドレーヌは鏡を見る。
昨日、化粧を落としたばかりの姿を見せたが、今日はいつものように美しく化粧を施している。
「当然でしょう?」
「……やっぱり、すごいです」
「商人は見た目も大事なのよ」
そう言って、マドレーヌは楽しそうに笑った。
◇
屋敷の前には、すでに二人の男性が待っていた。
一人は第二王子ルミアンド。
そして、もう一人は護衛兼エスコート係――。
「おはようございます」
「まあ。朝からありがとう、グラッセさん」
マドレーヌが嬉しそうに微笑んだ。
グラッセは静かに頭を下げる。
「いえ、今日は三人の護衛として、ご同行させていただきます」
「まあまあ」
マドレーヌは嬉しそうだ。
その隣で、カヌレンは少しだけ口元を緩めていた。
昨日、お祖母様と話していたときには、グラッセ様が同行することは決まっていた。
だから、お祖母様も気合が入っていたのね。
「今日はよろしくお願いします」
カヌレンが頭を下げる。
グラッセが頷く。
「こちらこそ」
その視線は、カヌレンからすぐに、マドレーヌへ向けられた。
マドレーヌが笑っている。
それだけで。
グラッセの表情が、ほんの少し柔らかくなった。
――今日もお元気そうでよかった。
それが、グラッセにとって何よりだった。
◇
「では、参りましょうか」
ルミアンドが馬車を指した。
「今日は四人で繁華街を回る予定でしたね」
「ええ」
マドレーヌが頷く。
「新作スイーツを食べるわよ」
「それが一番の目的ですね?」
カヌレンが苦笑した。
マドレーヌは胸を張る。
「あら、当然じゃないかしら」
「お祖母様はブレませんね」
ルミアンドは楽しそうに笑った。
「では、僕もスイーツを食べるのを頑張らないといけませんね」
「殿下まで!」
そんなやり取りを聞きながら、グラッセは黙っていた。
そして。
「マドレーヌ様」
「なぁに?」
「こちらへ」
グラッセが馬車の扉を開ける。
「ありがとう」
マドレーヌが乗り込む。
その手を、グラッセがさりげなく支えた。
マドレーヌが微笑む。
「まあ、紳士ね」
「当然です」
グラッセは平然としている。
けれど。
内心では、少しだけ緊張していた。
――触れられた。
ほんの一瞬。
それだけなのに、胸が騒ぐ。
一方。
その様子を見ていたカヌレンは、微笑ましく思った。
――やっぱり、グラッセ様はお祖母様をとても大切にしているのね。
そして、ルミアンドもカヌレンに手を差し伸べて馬車に案内する。
――グラッセ式団長、やはり何か企んでいるのか?
昨日から感じていた違和感が、さらに強くなっていた。
◇
馬車が王都の大通りへ入る。
春の陽気に誘われるように、人々が街へ繰り出していた。
花屋。
衣料品店。
雑貨店。
そして、通りの向こうから漂ってくる甘い香り。
「わあ……素敵ね」
カヌレンの瞳が輝いた。
「繁華街を歩くことはあるのですか?」
ルミアンドが尋ねる。
「そうですね。こうしてゆっくり歩くのは初めてかもしれません」
「なら、今日は好きなところを見て回りましょう」
「ありがとうございます」
カヌレンが嬉しそうに微笑む。
ルミアンドも満足そうに笑った。
――やっぱり可愛い。
今日は、カヌレンの好きなものをたくさん見せてあげたい。
そう思った、そのときだった。
「危ない!」
人混みの中から、荷物を抱えた男が飛び出してきた。
「えっ?」
カヌレンが振り返る。
次の瞬間。
ぐいっ。
「……っ」
肩を引かれた。
身体が、大きな胸元へ引き寄せられる。
「大丈夫ですか?」
「ル、ルミアンド様……」
いつの間にか。
ルミアンドがカヌレンを庇うように立っていた。
「申し訳ない」
「い、いえ!」
カヌレンは慌てて首を振る。
けれど。
近い。
あまりにも近い。
洋服ごしに伝わる体温。
意外に鍛えられた胸板。
そして、すぐ頭上から聞こえる低い声。
カヌレンの心臓が、大きく跳ねた。
どくん。
どくん。
「……ありがとうございます」
「カヌレン嬢が無事でよかった」
ルミアンドはすぐに手を離した。
けれど。
離された瞬間。
カヌレンは、ほんの少しだけ寂しいと思ってしまった。
――どうして?
自分でも分からない。
「グラッセ団長」
ルミアンドが近くにいるグラッセに声をかけた。
「はい」
「他に異常はないか?」
「殿下、お手数をかけて申し訳ありません」
「いや、むしろお礼を言いたいくらいだ」
ルミアンドは笑った。
そして、グラッセの筋肉質の体を眺めてから、何気ない口調で続ける。
「僕も、もっと鍛えたほうがいいかな」
「殿下?」
「なんでもないよ」
ルミアンドは笑った。
しかし。
その視線は、グラッセから離れない。
――負けるつもりはない。
一方、グラッセはまったく別のことを考えていた。
――危なかった。
何事もなくてよかった。
そして。
少し離れたところにいるマドレーヌを見る。
彼女は何事もなかったように笑っていた。
――マドレーヌ様が悲しむようなことがなくて、本当によかった。
グラッセの胸に浮かんだのは、それだけだった。
そんな三人を見て。
マドレーヌは、すっかり微笑ましい気持ちになっていた。
――まあ。
カヌレンは、本当に大切にされているのね。
祖母としては嬉しい限りだわ。
◇
「着いたわ、ここよ!!」
突然、マドレーヌが声を上げた。
四人が立ち止まる。
そこにあったのは、白い壁に金色の文字が描かれた可愛らしい菓子店だった。
大きな窓から店内が見える。
ショーケースには、色とりどりのケーキが並んでいた。
苺のタルト。
桃のムース。
チョコレートケーキ。
そして、春らしい花をあしらったケーキ。
「わあ……!」
カヌレンの瞳が輝く。
「ここが……?」
「ええ!」
マドレーヌは満面の笑みだった。
「今、王都で評判のお店なの」
「お祖母様……」
「何かしら?」
「今日のお出かけって……」
「もちろん」
マドレーヌは胸を張った。
「ケーキの食べ歩きをするつもりよ」
「やっぱり!」
カヌレンは思わず笑ってしまった。
ルミアンドも楽しそうに笑う。
「なるほど。これが昨日おっしゃっていたお店ですね」
「そうよ」
マドレーヌは満足そうに頷いた。
「ここまで来て、美味しいものを食べずに帰るなんてもったいないでしょう?」
「おっしゃる通りです」
グラッセまで真顔で頷いた。
「グラッセ様まで……」
カヌレンが苦笑する。
「本当に甘いものがお好きなのですね」
「……好きです」
グラッセが少しだけ視線を逸らした。
カヌレンは目を丸くする。
――意外。
あの厳しい騎士団長が、甘いものが好きだなんて。
マドレーヌは楽しそうに笑った。
「ふふ。では今日は、たくさん食べましょうね」
「はい」
グラッセの返事が、いつもより少しだけ早かった。
そして、このお店から国中を騒がせる事件に巻き込まれるとは、
この時のマドレーヌたちは誰も予想していなかった。




