第十話 お祖母様、ケーキコンテストに向けて
第十話 お祖母様、ケーキコンテストに向けて
「いらっしゃいませ!」
店内に入ると、若い男性が駆け寄ってきた。
茶色の髪。
白いコック服。
そして、人懐っこい笑顔。
「本日はありがとうございます!」
彼は深々と頭を下げた。
「僕は店主兼パティシエの、ピエール=ピカソノと申します!」
「あなたがピエールさんね」
マドレーヌが興味深そうに彼を見る。
「はい!」
「若いのに、立派なお店を構えているのね」
「ありがとうございます!」
ピエールは嬉しそうに笑った。
「ケーキに人生をかけています!」
「あら。それは大切なことね」
マドレーヌが微笑む。
「でも、どうしてそんなにケーキが大切なのかしら?」
ピエールは少し照れたように頬を掻いた。
「実は……子供の頃、母が作ってくれたケーキが忘れられなくて」
「まあ」
「特別高価な材料を使ったものじゃありませんでした。でも、僕が落ち込んでいると、母はいつも小さなケーキを焼いてくれたんです」
ピエールは少しだけ遠くを見る。
「食べると、不思議と元気になれました」
「素敵なお話ね」
カヌレンが優しく微笑んだ。
「だから僕も、誰かを笑顔にできるケーキを作りたいんです」
その言葉を聞いて、マドレーヌの目が柔らかくなる。
「なるほど」
そして、店内を見回した。
「それなら、今日はあなたのケーキで私を笑顔にしてもらいましょうか」
「はい! 頑張ります」
ピエールの顔がぱっと明るくなる。
「本日は春の新作をご用意しております!」
「まあ、新作なのね」
マドレーヌの目が輝いた。
「それをいただこうかしら」
「すぐにお持ちします!」
ピエールは嬉しそうに厨房へと姿を消した。
◇
ほどなくして。
四人の前にケーキが運ばれてきた。
「わあ……」
カヌレンが思わず声を漏らす。
白いクリーム。
真っ赤な苺。
中央には、小さな花の形をした砂糖菓子。
春の庭を、そのまま小さなケーキに閉じ込めたようだった。
「綺麗……」
「春の新作――『春摘み苺のミルフィーユ』です!」
ピエールが胸を張る。
「どうぞ、召し上がってください!」
「いただきます」
カヌレンはフォークを手に取った。
サクッ。
軽いパイ生地がほどける。
そのあとに、苺の甘酸っぱさが広がった。
ふわりとしたクリームが舌を包み、最後に蜂蜜の優しい香りが残る。
「……!」
カヌレンの瞳が輝いた。
「美味しい……!」
「本当ですか!?」
ピエールの顔がぱっと明るくなる。
「はい! すごく美味しいです!」
「よかった……!」
ピエールが胸を撫で下ろす。
その様子を見て、ルミアンドも微笑んだ。
けれど。
彼が見ていたのは、ケーキだけではなかった。
「カヌレン嬢」
「はい?」
「そんなに美味しいですか?」
「ええ!」
カヌレンは嬉しそうに頷く。
「はい、ルミアンド様も召し上がってください」
「では、いただきます」
ルミアンドが一口食べる。
「……確かに美味しいですね」
「でしょう?」
カヌレンが嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て。
ルミアンドも、自然と頬を緩めた。
――ケーキそのものより、この笑顔を見られたことの方が嬉しい。
そんなことを思ってしまった自分に、ルミアンドは少しだけ驚いていた。
◇
その隣では、マドレーヌが静かにケーキを味わっていた。
一口。
もう一口。
そして、フォークを置く。
「ピエールさん」
「はい!」
「あなた、才能があるわね」
「……!」
ピエールの目が輝いた。
「本当ですか!?」
「ええ」
マドレーヌは頷いた。
「味の組み合わせもいい。見た目も可愛い。何より、人を笑顔にするケーキを作りたいという気持ちが、ちゃんと味に出ているわ」
「ありがとうございます!」
ピエールは嬉しそうに頭を下げる。
けれど、マドレーヌはそこで終わらなかった。
「ただし」
「ただし?」
「このケーキ。もっと美味しくできるわ」
ピエールの表情が一瞬で真剣になった。
「どこを直せばいいでのしょうか?」
「苺の酸味を、あと少しだけ強くしてみなさい」
「酸味を?」
「ええ。今の甘さも悪くないけれど、もう少し酸味が立てば、クリームの甘さがさらに引き立つわ」
「なるほど……!」
ピエールは必死に頷く。
「それから、クリームをほんの少しだけ軽くする」
「軽く……」
「そう。そうすれば苺の香りがもっと前に出るでしょうね」
「すぐに試してみます!」
ピエールは目を輝かせた。
「勉強になります!」
カヌレンが苦笑する。
「お祖母様」
「何かしら?」
「いつの間にか、すっかり評論家になっていますよ」
「あら」
マドレーヌは楽しそうに笑った。
「私は商人よ」
「はい。マドレーヌ様のことは、予約に来た商会や王宮の方々から聞いております」
「まあ」
「素敵なマダムだとお聞きしています」
「お恥ずかしいかしら」
マドレーヌは嬉しそうに笑った。
「美味しいものを見つけたら、たくさんの人に知ってもらう。それも商人の仕事なのよ」
「……!」
ピエールは目を見開いた。
そして、その言葉を大切な宝物のように胸へ刻み込む。
「素敵なお考えですね」
ルミアンドが微笑んだ。
「さすがマドレーヌ様です」
「まあ、殿下もお上手ね」
マドレーヌが笑う。
◇
その隣で。
グラッセは黙々とケーキを食べていた。
いつもの鋭い表情。
けれど、フォークを動かす速度が妙に速い。
マドレーヌがそれに気づいた。
「グラッセさん」
「はい」
「気に入ったの?」
「……はい」
「まあ」
マドレーヌが嬉しそうに笑う。
「そんなに正直に答えてくれるなんて」
「マドレーヌ様が勧めてくださるものなら、間違いありません」
「まあ!」
マドレーヌの頬が嬉しそうに緩む。
「グラッセ様は本当に素直ね」
「事実ですから」
グラッセは真顔で答えた。
カヌレンは、そんな二人をじっと見つめる。
――まただ。
グラッセ様は、お祖母様の前だと少しだけ違う。
いつもの厳しい騎士団長ではない。
ほんの少しだけ優しい顔をする。
そして、お祖母様も。
グラッセ様と話すときは、どこか嬉しそうだ。
カヌレンは小さく笑った。
――やっぱり、お二人は仲がいいんだわ。
「それなら、また美味しいお店を探さなくてはいけないわね」
マドレーヌが言うと、
「ぜひ、ご一緒します」
グラッセが即答した。
「まあ、嬉しいわ」
「……」
カヌレンは思わず目を細めた。
やっぱり。
どう見ても、グラッセはお祖母様のことを――。
そこまで考えたところで、カヌレンは慌てて首を振った。
――いえ、二十五歳ぐらい差があるのよ。
きっと気のせいよ。
◇
楽しい時間が流れていた。
けれど。
ケーキを食べ終えたころ。
ピエールの顔から、笑顔が消えた。
「……実は」
「どうしたの?」
マドレーヌが尋ねる。
「お話ししたいことがあるんです」
「私に?」
「はい」
ピエールは拳を握った。
「来週――王都の広場でケーキコンテストが開催されるんです」
「まあ、それは楽しみだわ!」
カヌレンの瞳が輝く。
「ピエールさんも出場するのですか?」
「はい」
ピエールは頷いた。
「僕にとって、ずっと憧れていた大会なんです」
けれど。
その表情は晴れない。
「それなら、どうしてそんなに困った顔をしているの?」
マドレーヌが優しく尋ねる。
ピエールは声を落とした。
「実は出場を辞退しろという商会があるんです」
「商会?」
ピエールは唇を噛んだ。
「王都最大手のフード商会――カルトシュガー商会です」
その名を聞いた瞬間。
マドレーヌの笑顔が消えた。
「……カルトシュガー商会」
低い声だった。
カヌレンが祖母を見る。
そこにあったのは、先ほどまでの優しい祖母の顔ではない。
商人としての鋭い光。
それが、紫色の瞳に宿っていた。
――お祖母様が、本気で怒っている。
カヌレンは、そう感じた。
そして。
マドレーヌは静かに尋ねた。
「何をされたの?」
ピエールは、ゆっくりと顔を上げた。
その目には、悔しさが滲んでいた。
「……それが――」




