第七話 第二王子は、騎士団長を恋敵だと思っている
第七話 第二王子は、騎士団長を恋敵だと思っている
――これは、カヌレンが第二王子ルミアンドから婚約を申し込まれてから、数日後のこと。
「殿下」
王宮、第二王子執務室。
侍従のアーモンドが、いつになく神妙な顔で立っていた。
「どうした?」
「少々、気になる噂がございます」
「噂?」
「はい」
ルミアンドは書類から顔を上げた。
「マルセイユ家に関する噂です」
その言葉を聞いた瞬間。
ルミアンドの胸が、わずかにざわついた。
「……カヌレン嬢か?」
「はい」
やはり。
最近、自分は彼女の名前を聞くだけで、妙に意識してしまう。
「何かあったのか?」
「グラッセ=マロンディア騎士団長についてです」
「……グラッセ?」
ルミアンドの眉が寄った。
「はい」
アーモンドは、少し困ったように続ける。
「どうも最近、グラッセ様がマルセイユ家へ頻繁に足を運んでいるようでして」
「警備のためではないのか?」
「最初は皆、そう思っていたようです」
「ならば問題ないだろう」
「ですが……」
アーモンドが声を潜める。
「警備の確認が終わったあとも、かなり長い時間、屋敷に滞在されているとか」
「……」
「庭園でお茶を飲んでいる姿も目撃されています」
「……カヌレン嬢と?」
「いえ」
「では、誰と?」
「マドレーヌ様です」
「…………」
ルミアンドは黙った。
少し意外だった。
マドレーヌ=マルセイユ。
王都でも名を知らぬ者はいない大商人。
そして。
銀髪の魔女とまで呼ばれるほどの女性商人。
そんな彼女と、王国騎士団長が頻繁に会っている。
「何のために?」
「それが……」
アーモンドが苦笑する。
「王都では、別の噂になっております」
「別の噂?」
「グラッセ様は、カヌレン嬢との婚約を有利に進めるため、マドレーヌ様に近づいているのではないか、と」
「…………」
ルミアンドは、しばらく何も言わなかった。
そして。
「……なるほど」
妙に納得してしまった。
考えてみれば。
カヌレンの祖母は、マドレーヌだ。
大陸有数の商会を持ち。
王族にも顔が利き。
国王ですら一目置いている。
その孫娘と結婚できるなら。
騎士団長にとっても、決して悪い話ではない。
「他にもあります」
「まだあるのか?」
「はい」
アーモンドが少し楽しそうな顔をした。
「市場でマドレーヌ様に同行していたところも見られています」
「……」
「人混みの中でマドレーヌ様を抱き寄せて守ったとも」
「…………」
「さらに、翌日もマルセイユ家を訪問されたそうです」
「…………」
ルミアンドは、ゆっくり椅子へ背を預けた。
「毎日……か」
「はい」
その瞬間。
胸の奥が、妙にざわついた。
グラッセ。
王国騎士団長。
実直で。
有能で。
女性からの人気も高い。
その男が。
カヌレンの祖母に近づいている。
しかも。
カヌレンとの婚約を有利にするためだという。
「……まずいな」
「殿下?」
「いや」
ルミアンドは立ち上がった。
「少し、マルセイユ家へ行ってくる」
「今からですか?」
「ああ」
「執務は?」
「戻ってからやる」
「……」
アーモンドは何も言わなかった。
ただ。
とても楽しそうな顔をしていた。
「何だ?」
「いえ」
「言いたいことがあるなら言え」
「殿下も、ようやく本気になられたのだな、と」
「…………」
ルミアンドは眉をひそめた。
「何の話だ?」
「恋のお話です」
「違う」
「左様ですか」
「……本当に違う」
だが。
自分でも。
何が違うのか。
もう分からなくなっていた。
◇
馬車に乗る。
王宮からマルセイユ家までは、それほど遠くない。
それなのに。
今日に限って。
ひどく長く感じる。
窓の外を眺めながら。
ルミアンドは考えていた。
――カヌレン。
元婚約者マリアンヌの親友だった少女。
彼女と初めて出会ったのは。
もう何年も前のことだった。
◇
マリアンヌは、身体の弱い少女だった。
王命によって決められた、自分の婚約者。
幼い頃から病気がちで。
周囲からは。
「婚約を解消した方が、殿下のためでは?」
そう何度も言われた。
けれど。
ルミアンドは、一度も頷かなかった。
婚約者だから。
王命だから。
そんな理由だけではない。
マリアンヌを守りたかった。
彼女が笑っていられる場所を、失わせたくなかった。
そんなマリアンヌには。
一人の親友がいた。
カヌレンだった。
『今日ね、カヌレンがとても面白い話をしてくれたの』
『カヌレンは本当にすごいのよ』
『私の病気に効く薬がないか、海外の商会まで調べてくれているの』
マリアンヌは。
カヌレンの話をするとき。
嬉しそうに笑った。
だから。
ルミアンドも、自然とカヌレンのことを知っていた。
自分の時間を削って。
商人たちに話を聞き。
珍しい薬が入れば調べ。
遠い国に治療法があると聞けば、問い合わせる。
そのせいで。
カヌレンは、とても忙しかった。
けれど。
彼女は一度も文句を言わなかった。
マリアンヌのためなら。
何でもしようとしていた。
だからこそ。
ルミアンドは知っていた。
ガレットンが。
そんな彼女の忙しさをいいことに、別の女性と親しくしていたことも。
それでも。
止めなかった。
カヌレンがしていることを。
止める理由など、どこにもなかった。
マリアンヌが。
いつか元気になるかもしれない。
その可能性を。
誰よりも信じていたのがカヌレンだったからだ。
けれど。
奇跡は起こらなかった。
マリアンヌは。
静かに亡くなった。
◇
葬儀の日。
ルミアンドは。
自分でも驚くほど泣いた。
だが。
その隣で。
もっと泣いている少女がいた。
カヌレンだった。
「……マリアンヌ……」
何度も。
何度も。
名前を呼んでいた。
「私……もっと探せばよかった……」
「カヌレン嬢」
「もっと薬を探して……もっと……」
「君は十分にやった」
「でも……」
「マリアンヌは、君に感謝していた」
「……」
「君が来てくれることが、一番嬉しいと言っていた」
「……本当ですか?」
「ああ」
カヌレンの瞳から。
大粒の涙がこぼれた。
「……よかった」
その一言。
それだけだった。
「それなら……よかった……」
ルミアンドも。
もう涙を止めることができなかった。
その日。
二人は。
マリアンヌを失った悲しみを分け合った。
だから。
カヌレンが婚約破棄されたと聞いたとき。
どうしても気になった。
あの少女が。
また傷ついている。
しかも。
王都では彼女への悪い噂まで広がっていた。
婚約破棄された令嬢。
彼女にも原因があるはずだ。
そんな評判が広がれば。
次の婚約相手を探すことは難しくなる。
ならば。
自分が彼女を支えればいい。
そう思った。
最初は。
ただ、それだけだった。
けれど。
侯爵邸で。
彼女が自分に向かって笑った瞬間。
胸の奥が。
大きく鳴った。
――笑った方が、ずっと綺麗だ。
口にしてから。
自分自身が驚いた。
どうして。
あんなことを言ったのだろう。
けれど。
もう。
気づいてしまっていた。
自分は。
カヌレンに惹かれている。
守りたい。
笑っていてほしい。
幸せになってほしい。
できることなら。
その隣にいるのは。
自分でありたい。
だから。
婚約を申し込んだ。
けれど。
今。
その決意を揺るがしかねない男がいる。
グラッセ王国騎士団長。
しかも。
カヌレンの祖母、マドレーヌに接近している。
ルミアンドは拳を握った。
「……負けるわけにはいかない」
◇
マルセイユ侯爵邸。
「まあ、ルミアンド殿下」
出迎えたマドレーヌが笑う。
「今日はどうされたのかしら?」
「少し、カヌレン嬢と話したくて」
「まあまあ」
マドレーヌの瞳が輝く。
「ちょうどいいところにいらしたわ」
「……?」
「カヌレンなら庭にいるわ」
「ありがとうございます」
庭へ向かう。
すると。
そこには。
カヌレンがいた。
そして。
その向かいに。
「……グラッセ」
騎士団長が座っている。
「ルミアンド殿下」
グラッセが立ち上がった。
「お久しぶりです」
「ああ」
ルミアンドは笑った。
だが。
内心では。
まったく笑っていない。
(……やはり)
グラッセは。
カヌレンの近くにいる。
しかも。
ここ数日。
毎日のように。
これは。
間違いなく。
カヌレンとの婚約を狙っている。
「殿下?」
カヌレンが首を傾げる。
「どうかされました?」
「いや」
ルミアンドは微笑んだ。
「少し君に会いたくなっただけだ」
「……!」
カヌレンの頬が。
ほんのり赤くなる。
それを見て。
ルミアンドの胸が温かくなった。
だが。
その隣で。
グラッセが微妙な顔をしている。
(……焦っているな)
ルミアンドは、そう判断した。
グラッセが。
自分を恋敵として警戒している。
ならば。
こちらも。
遠慮するつもりはない。
「カヌレン嬢」
「はい?」
「明日、王都へ出かけないか?」
「明日ですか?」
「ああ」
ルミアンドは穏やかに笑った。
「君に見せたい場所がある」
「……分かりました」
カヌレンが嬉しそうに頷く。
その瞬間。
「あら、いいわね。私もスイーツの美味しいお店を見つけたの。一緒に行きましょう」
マドリーヌが同行を申し出た。と同時にグラッセが口を開く。
「では、私は護衛として付いて行きます」
「あら? グラッセ様も来てくださるのかしら?」
「カヌレン嬢とマドリーヌ様を守るが、私の仕事ですので」
「ありがとう。カヌレン、良かったわね」
マドリーヌは笑顔をカヌレンに向けた。
「ならば」
少しだけ声を低くする。
「明日は私がリードする番だな」
「……殿下、私はあくまで護衛です」
二人の間に。
再び。
静かな火花が散った。
◇
その日の帰り。
ルミアンドは馬車の中で。
一人、考えていた。
グラッセは。
間違いなくカヌレンを狙っている。
しかも。
マドレーヌに近づき。
カヌレンとの婚約を有利にしようとしている。
ならば。
自分も。
王族としての立場に甘えている場合ではない。
カヌレンに。
自分を見てもらわなければ。
ただの第二王子ではなく。
一人の男として。
「……カヌレン」
名前を呟く。
すると。
自然に。
彼女の笑顔が浮かんだ。
――私は。
本当に。
あの人のことが好きなのだろう。
そう思った。
胸が。
少しだけ痛む。
けれど。
嫌ではなかった。
◇
一方。
マルセイユ家の庭では。
「グラッセ様」
「はい」
「先ほどの殿下ですが」
マドレーヌが楽しそうに笑った。
「ずいぶんカヌレンを気に入っているようね」
「……そうですね」
グラッセは頷いた。
「やはり王族ですもの。カヌレン様には、殿下のような方がお似合いなのでしょう」
「まあ」
マドレーヌが目を丸くする。
「そんなに簡単に諦めていいの?」
「……諦める?」
グラッセは首を傾げた。
「私は、別にカヌレン様との婚約を望んでいるわけではありません」
「まあまあ」
マドレーヌは笑った。
けれど。
グラッセは。
まだ知らない。
王都中で。
自分が。
「カヌレンを狙っている騎士団長」
だと思われていることを。
そして。
ルミアンドも。
知らない。
グラッセが毎日のようにマルセイユ家へ通っている本当の理由を。
ただ。
グラッセが見つめているのは。
カヌレンではなく。
その祖母。
マドレーヌだった。
「グラッセ様」
「はい?」
「明日も来てくださる?」
「もちろんです」
グラッセが嬉しそうに微笑む。
マドレーヌも。
嬉しそうに笑った。
その光景を。
もしルミアンドが見ていたなら。
きっと。
こう思っただろう。
――またカヌレンに会いに来たのか。
だが。
現実は。
まったく違う。
完全なすれ違いだった。
そして。
この大きな誤解が。
後に王都を巻き込む。
とんでもない恋愛騒動へ発展していくことを。
このときの二人は。
まだ知らなかった。




