第六話 グラッセ視点 騎士団長は、大商人の祖母に恋をした
第六話 閑話二 騎士団長は、大商人の祖母に恋をした
――私は、何をしているのだろう。
グラッセ=マロンディアは、馬車の中で一人、深く息を吐いた。
王国騎士団長。
それが彼の肩書きだ。
国王陛下から直接命を受け、王都の治安を守る。
魔物が出れば討伐へ向かい、盗賊が現れれば捕らえ、国に仇なす者がいれば剣を抜く。
それが自分の仕事だと思っていた。
だからこそ。
「……また来てしまった」
窓の外に見える屋敷を眺め、グラッセは小さく呟いた。
目的地は、マドレーヌ=マルセイユ様の屋敷。
先日の暗殺未遂事件以来、グラッセはこの屋敷を訪れることが増えていた。
警備状況の確認。
騎士たちの配置。
不審者の情報。
理由なら、いくらでもある。
しかし。
自分でも分かっている。
本当の理由は――。
「……マドレーヌ様に会いたい」
ぽつりと呟いた瞬間。
グラッセは眉間を押さえた。
「私は何を言っている」
騎士団長として。
王国のために。
重要人物であるマドレーヌを守る。
それだけのはずだった。
なのに。
彼女の顔を思い浮かべるだけで、胸の奥が妙に温かくなる。
穏やかな紫の瞳。
柔らかな笑顔。
そして。
「……ケーキを嬉しそうに食べる姿まで思い出すとは」
グラッセは深くため息をついた。
自分は重症らしい。
◇
「まあ、グラッセ様」
屋敷へ入ると、すぐにマドレーヌが出迎えてくれた。
「今日も来てくださったのね」
「はい」
その笑顔を見た瞬間。
グラッセの胸が、また大きく鳴った。
「本日は警備状況の確認に参りました」
「まあまあ。そんなにカヌレンのことを心配してくださっているのね」
「…………」
違う。
そう言いたい。
だが。
「はい」
結局、そう答えてしまった。
「本当に優しい騎士様かしら」
マドレーヌが嬉しそうに笑う。
グラッセは視線を逸らした。
この方は。
どうして、こうも無邪気なのだろう。
自分がどれほど魅力的なのか。
まるで理解していない。
「グラッセ様?」
「何でもありません」
「そう?」
「はい」
「では、お茶はいかが?」
「……いただきます」
断れるはずがなかった。
◇
庭園のテーブル。
マドレーヌの向かいに座る。
テーブルには紅茶と、焼きたてのチョコレートケーキが並んでいる。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
グラッセは紅茶を一口飲んだ。
以前とは違う。
マドレーヌが好む茶葉を覚えてしまっている。
彼女が甘いものを好むことも。
チョコレートケーキが特に好きなことも。
紅茶には砂糖を少しだけ入れることも。
いつの間にか。
自分は彼女のことばかり覚えていた。
「グラッセ様」
「はい?」
「このケーキ、とても美味しいわよ」
「……では、いただきます」
一口食べる。
「美味しいですね」
「でしょう?」
マドレーヌが嬉しそうに笑う。
その笑顔を見て。
また、胸が熱くなった。
――私は。
この人が笑っていると、嬉しい。
ふと。
そんなことを思った。
騎士としてではない。
仕事としてでもない。
ただ、一人の男として。
「……」
グラッセは手を止めた。
そして。
ようやく気づいた。
自分が何を考えているのか。
(私は……)
マドレーヌを見つめる。
(この方を、お慕いしているのか)
否定できなかった。
むしろ。
気づいてしまえば、すべてが繋がった。
会いたくて屋敷へ来ていた。
笑顔を見ると嬉しかった。
危険が迫ったとき、誰よりも先に彼女を守ろうとした。
帰る時間になると、名残惜しく感じた。
すべて。
恋だった。
「……グラッセ様?」
「はい」
「どうされたの?」
「いえ」
グラッセは微笑んだ。
「少し、嬉しくなっただけです」
「まあ?」
マドレーヌは首を傾げた。
その仕草さえ愛おしい。
(……困ったな)
グラッセは思った。
自分はもう。
この人から目を離せそうにない。
◇
「グラッセ様」
帰り際。
玄関まで見送りに来たカヌレンが声をかけた。
「少し、お話してもよろしいでしょうか?」
「構いません」
二人だけになる。
カヌレンは少しだけ迷うような顔をした。
「……一つ、お尋ねしても?」
「何でしょう」
「グラッセ様は」
カヌレンが真っ直ぐに見る。
「お祖母様のことがお好きなのですか?」
「…………」
グラッセの思考が止まった。
「……なぜ、そう思う?」
「見ていれば分かります」
「……」
「お祖母様を見る目が、他の人を見るときと違って優しいです」
グラッセは黙り込んだ。
隠す必要はないのかもしれない。
少なくとも。
この少女には。
「……ああ、確かに」
やがて。
グラッセは静かに頷いた。
「私は、マドレーヌ様をお慕いしている」
「やっぱり……!」
カヌレンの顔がぱっと明るくなる。
「よかった!」
「……よかった?」
「はい!」
カヌレンは嬉しそうに笑った。
「祖父が亡くなって二十年は経ちます。お祖母様には、幸せになってほしいんです」
「……」
「だから」
カヌレンは少しだけ悪戯っぽく笑った。
「頑張ってくださいね、グラッセ様」
「……ああ、ありがとう」
グラッセは小さく笑った。
◇
翌日。
王都の市場。
マドレーヌは買い物へ出かけていた。
「グラッセ様まで来てくださるなんて、大げさねえ」
「念のためです」
「でも、今日は騎士団のお仕事があるのでしょう?」
「問題ありません」
「まあ」
マドレーヌが笑う。
「本当に真面目な方ね」
「……」
その笑顔を見るだけで。
同行してよかったと思ってしまう。
市場は多くの人で賑わっていた。
そのとき。
人の波が大きく動いた。
「危ない!」
誰かが叫ぶ。
マドレーヌの身体が、人混みに押される。
「マドレーヌ様!」
グラッセは反射的に手を伸ばした。
彼女の肩を抱き寄せる。
その身体が、自分の胸元へ触れた。
「……!」
一瞬。
二人の距離がなくなる。
「大丈夫ですか?」
「え、ええ……」
マドレーヌが顔を上げる。
紫の瞳と目が合う。
近い。
あまりにも近い。
「……ありがとうございます」
「いえ」
グラッセはゆっくり腕を離した。
だが。
離した瞬間。
妙な寂しさを感じた。
(……もっと、このままでいたかった)
その考えに、自分で驚く。
マドレーヌは少し照れたように笑った。
「グラッセ様は、本当に頼りになるわね」
「……」
その言葉だけで。
今日一日、ここへ来た価値があると思った。
◇
屋敷へ戻る道。
馬車の中。
マドレーヌがふと窓の外を見ながら言った。
「ねえ、グラッセ様」
「はい」
「私なんて、もう若くないでしょう?」
「……」
グラッセは即座に答えた。
「そんなことはありません」
「まあ」
マドレーヌが驚いたように振り返る。
「あなたは、とても魅力的な女性です」
言ってしまった。
グラッセの耳が赤くなる。
「……」
マドレーヌも黙った。
「……まあ」
頬が、ほんの少しだけ赤くなっている。
「グラッセ様ったら、嬉しいことを言ってくれて」
「申し訳ありません」
「どうして謝るの?」
「いえ……」
グラッセは困ったように笑った。
「本心ですから」
マドレーヌはしばらく何も言わなかった。
そして。
「……ありがとう」
小さな声で答えた。
その笑顔を見て。
グラッセは確信した。
この人を守りたい。
騎士団長としてではない。
一人の男として。
この人の隣にいたい。
たとえ。
すぐに想いが届かなくても。
◇
「まあ、グラッセ様」
屋敷へ戻ると、マドレーヌが言った。
「明日も来てくださる?」
「……私が?」
「ええ」
グラッセの胸が高鳴る。
「もちろんです」
「まあ。ありがとうございます」
「では、明日も参ります」
「ええ。カヌレンも喜ぶわ」
「…………」
やはり。
この方は、自分がカヌレンに会いに来ていると思っているらしい。
だが。
グラッセは、もう訂正しなかった。
「……はい」
屋敷を出る。
馬車へ向かいながら、空を見上げる。
明日も。
あの人に会える。
それだけで。
なぜか、心が軽くなる。
――王国騎士団長グラッセ。
大陸中の猛者たちから恐れられる男は。
今やたった一人の女性の笑顔に、すっかり心を奪われていた。




