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婚約破棄された銀髪令嬢は泣かない~だって王宮スイーツが美味しいから~  作者: 山田 バルス


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第二話 その婚約破棄、相手を間違えていませんか?

第二話 その婚約破棄、相手を間違えていませんか?


 ローザンヌ侯爵の怒声が、大広間に響き渡った。


「――ガレットンッ!」


 その瞬間。

 春の舞踏会から、音が消えた。

 楽団も演奏を止め、貴族たちは息を呑む。

 誰もが、怒鳴られたガレットンではなく――その後ろに立つローザンヌ侯爵を見つめていた。


「ち、父上……?」


 ガレットンは頭を押さえながら、呆然と父を見上げる。

 先ほどまで、自分がこの場の主役だと思っていた。

 カヌレンとの婚約を破棄し、新しい恋人を選んだ自分。

 それが正しい選択なのだと。

 だが。

 父親の顔を見た瞬間。

 その自信は、音を立てて崩れ落ちた。


「……お前は」


 ローザンヌ侯爵は、低い声で呟いた。


「一体、誰に向かって婚約破棄を宣言した?」

「え……?」


 侯爵は答えなかった。

 ただ、ゆっくりと銀髪の女性へ歩いていく。

 先ほどまで騒動など存在しなかったかのように、優雅にミルフィーユを食べていた女性。

 白磁のような肌。

 艶やかな銀髪。

 紫色の瞳。

 どう見ても、二十代半ばほどにしか見えない。

 侯爵はその女性の前で立ち止まると――。

 深々と頭を下げた。


「このたびは、愚息がとんでもない無礼を働きましたこと……心よりお詫び申し上げます」

「まあ」


 女性――マドレーヌは、目を丸くした。


「顔を上げてくださいな。私は別に怒っておりませんわ」

「……寛大なお言葉、痛み入ります」


 侯爵が頭を上げる。

 その額には、うっすらと汗が浮かんでいた。

 会場がざわめく。


「侯爵様が……頭を下げた?」

「一体、あの女性は何者なの?」

「ローザンヌ侯爵が、あそこまで恐縮するなんて……」


 ガレットンだけが、状況についていけていなかった。


「父上……?」

「黙れ」

「ですが――」

「黙れと言っている!」


 再び怒声が響いた。

 ガレットンの肩が跳ねる。


「お前は……自分が何をしたのか分かっているのか?」

「何をって……」

「お前が婚約破棄を言い渡した相手は、カヌレン嬢ではない!」

「……え? それは?」


 ガレットンはまだ分かっていない。

 侯爵は目を閉じ、深く息を吐いた。


「――祖母のマドレーヌ様だ」

「…………」


 その名が響いた瞬間。

 年配の貴族たちから、一斉に息を呑む声が上がった。


「まさか……!」

「マドレーヌ様だと?」

「大陸を股にかける、あの大商会の会頭か?」

「銀髪の魔女……!」


 若い令嬢たちは顔を見合わせる。


「銀髪の魔女って……?」

「知らないの?」


 隣にいた年配の令嬢が、興奮を隠せない様子で囁いた。


「二十年前、大陸を大飢饉が襲ったでしょう?」

「ええ」

「あの時、誰よりも早く穀物を買い集めて、各国へ運んだのがマドレーヌ様よ」

「そんなことが……」

「しかも、ただの慈善ではないわ。各国の商人や貴族と交渉して、流通そのものを立て直したの」

「……すごい」

「その結果、今では大陸中に交易網を持つ大商人になられたのよ」


 別の貴族が口を挟む。


「マドレーヌ様と取引したことのない王侯貴族を探す方が難しい」

「食料も香辛料も宝石も衣料品も……」

「魔導具まで扱っている」

「まさか……」


 若い令嬢が、マドレーヌを見る。


「そんな大人物が……どうしてあんなに美しいままなの?」

「それも昔から有名な話よ」

「え?」

「マドレーヌ様は二十年以上前から、ほとんどお姿が変わらないの」

「……まるで魔女みたい」

「だから銀髪の魔女と呼ばれているのよ」


 そんな噂話が飛び交う中。

 ガレットンは、顔を青ざめさせていた。


「……嘘だ」


 震える声が漏れる。


「だって……この人が、カヌレンの祖母?」

「そうだ」

「どう見ても、カヌレンと姉妹にしか見えない……」

「それは私にもどうしようもありませんわね」


 マドレーヌが小さく笑った。


「生まれつきですもの」

「…………」


 あまりにも場違いな返答だった。

 けれど。

 その余裕こそが、彼女の格の違いを際立たせていた。

 侯爵が続ける。


「そして、まだある」

「……まだ?」

「マドレーヌ様は、《グラン・マルシェ商会》の会頭でもあられる」


 ガレットンの目が見開かれた。


「……グラン・マルシェ?」


 大陸最大の商会。

 王侯貴族ですら、その名前を知らない者はいない。

 そして――。

 ガレットンの父が、冷たい声で告げた。


「さらに言えば、マドレーヌ様の娘の一人はハリボーラ帝国皇帝陛下に嫁いでいる」

「……え?」

「もう一人はシャトレー王国の王家へ嫁いでいる」


 ガレットンの顔から、完全に血の気が引いた。


「つまり――」


 侯爵の声が、大広間に響く。


「お前が先ほど婚約破棄した女性は、ハリボーラ帝国皇太子殿下とシャトレー王国王太子殿下の祖母でもある」

「…………」


 誰も言葉を発しなかった。

 ガレットンは、ゆっくりとマドレーヌを見る。

 先ほどまでカヌレンだと思っていた。

 その女性が――。

 大陸有数の権力者たちと繋がっている。


「そ、そんな……」


 膝から力が抜ける。

 ガレットンは、ふらつきながらカヌレンを見る。


「カヌレン……」


 その声に。

 カヌレンは静かに振り返った。

 泣いていない。

 怒ってもいない。

 ただ、もう終わった恋を見るような、静かな瞳だった。


「ガレットン様」

「待ってくれ」

「何でしょう?」

「さっきのことは……その……」


 ガレットンは言葉を探す。


「誤解だったんだ」

「誤解?」

「そうだ! 僕は君を嫌いになったわけじゃない!」


 会場の令嬢たちから、冷たい視線が突き刺さる。

 カヌレンは小さく首を傾げた。


「では、先ほどの婚約破棄は?」

「あれは……」

「真実の愛に目覚めたのではありませんでしたか?」

「違う!」


 即答だった。

 その必死さに、カヌレンはかえって悲しくなった。

 この人は。

 私自身ではなく。

 祖母の正体を知ったから、態度を変えたのだ。


「ガレットン様」

「カヌレン……」

「私が大切にしているのは、家柄でも財産でもありません」


 カヌレンは、まっすぐ彼を見つめた。


「私を一人の人間として大切にしてくださる方です」

「……」

「ですから」


 一拍。

 そして、微笑む。


「もう、あなたを信じることはできません」

「待ってくれ!」


 ガレットンが手を伸ばす。

 けれど。

 カヌレンは、その手から逃げるように一歩下がった。


「触れないでください」


 静かな声だった。

 それだけで。

 ガレットンの手が止まった。


「今まで婚約者だった方ですから、最後に一つだけ申し上げます」

「……何を?」

「私を捨てたことを、後悔しないでください」

「え……?」

「後悔されても、私は戻りませんから」


 その言葉に。

 何人もの令嬢が、思わず胸の前で手を握った。

 なんて潔いのだろう。

 泣いてすがるのではない。

 相手を恨むのでもない。

 ただ、自分の未来を自分で選ぶ。

 カヌレンは美しく一礼した。


「今までありがとうございました、ガレットン様」


 その瞬間。

 ガレットンは悟った。

 本当に失ったのだ。

 もう、取り戻せない。


「カヌレン……!」


 だが。


「ガレットン」


 冷たい声が響いた。

 ローザンヌ侯爵だった。


「お前は本日付で、次期当主の座から外す」

「……え?」

「後継者は弟に変更する」

「そ、そんな!」

「当然だ」


 侯爵の顔には、情けの欠片もなかった。


「貴族同士の約束事を守れない者に、侯爵家を任せることなどできん」

「父上!」

「婚約者を大切にできない者が、家臣や領民を大切にできると思うか?」

「……」

「お前は家名を傷つけただけではない」


 侯爵はマドレーヌを見る。


「よりによって、マドレーヌ様の前で騒ぎを起こした」

「……申し訳ございません」


 マドレーヌが小さく笑う。


「まあまあ。もういいではありませんか」

「マドレーヌ様……」

「若い方は失敗するものですもの」


 そう言って。

 マドレーヌはテーブルの上を見た。


「それより……」


 紫色の瞳が、残っていた皿へ向く。


「チョコレートケーキは?」

「…………」


 会場中が固まった。

 カヌレンが額を押さえる。


「お祖母様……」

「なぁに?」

「今、とても重要な場面だったのですけれど」

「そうなの?」

「はい」

「でも、ケーキがなくなってしまうわ」

「……もう」


 カヌレンは呆れたように息を吐いた。

 けれど。

 口元には、笑みが浮かんでいた。


「お祖母様らしいですわ」

「だって、美味しいものは待ってくれないでしょう?」

「それは……そうですけれど」


 二人が顔を見合わせる。

 そして。

 カヌレンが笑った。

 今度こそ。

 心から。

 もう、後ろを振り返る必要はない。

 そう思えた。

 その時だった。


「マドレーヌ殿!」


 大広間の扉が開く。

 現れたのは――。

 フィルモル王国国王、その人だった。


「お待たせして申し訳ありません」

「まあ、国王陛下」


 マドレーヌが優雅に頭を下げる。


「ごきげんよう」

「本日の交易協定について、ぜひお話を――」

「あら」


 マドレーヌが、申し訳なさそうに首を傾げる。


「その前に、一つだけお願いがあるのだけれど」

「もちろんです。何なりと」

「チョコレートケーキを一皿、取り置きしてくださらない?」

「…………」


 国王が沈黙する。

 そして。


「ははははは!」


 大きな笑い声を上げた。


「もちろんです! 王宮料理長に、最高の一皿を用意させましょう!」

「まあ、嬉しいわ」


 マドレーヌの紫色の瞳が、少女のように輝く。

 その姿を見て。

 カヌレンは思った。

 祖母は、昔から変わらない。

 皇帝陛下に頭を下げさせるほどの力を持っていても。

 大陸中の商人から恐れられていても。

 国王陛下と交易協定を結ぶような人物であっても。

 本人が一番大切にしているのは――。


「お祖母様」

「なぁに?」

「ケーキを食べたら、ちゃんと交易協定のお話をしてくださいね」

「もちろんよ」


 マドレーヌはにっこり笑った。


「ケーキを食べながらでもいいかしら?」

「……もう」


 カヌレンは吹き出した。

 その笑顔を見ていた国王も、楽しそうに笑う。


 そして。

 会場にいた令嬢たちも、次々と微笑んだ。

 婚約破棄された令嬢。

 その祖母は大陸一の商人。

 けれど本人たちは、そんな肩書きなど気にも留めず。

 ただ、美味しいケーキを楽しんでいる。

 そんな二人の姿が、妙に微笑ましかった。


 ――翌朝。

 王都中に、春の舞踏会の噂が広がった。


『ローザンヌ侯爵家の嫡男が婚約破棄をしたらしい』

『しかも、婚約者の祖母がマドレーヌ様だったとか』

『大陸一の商会の会頭だぞ?』

『しかも帝国皇太子と王国王太子の祖母だ』

『……どうしてそんな相手に喧嘩を売ったんだ?』

『さあ……』


 そして。

 最後には、決まってこう続く。


『あの男、婚約破棄する相手を間違えたんじゃないか?』


 その噂は瞬く間に王都を越え、大陸中へ広がっていった。

 けれど。

 カヌレンにとって、それはもうどうでもよかった。

 婚約者を失った。

 確かに、少しだけ寂しい。

 けれど。

 失ったもの以上に。

 これから手に入るものの方が、ずっと大きい気がしていた。


「カヌレン」


 祖母の声がした。


「はい、お祖母様?」

「明日から、一緒に商会へ行きましょう」

「商会へ?」

「ええ」


 マドレーヌが、楽しそうに笑う。


「あなたにも、そろそろ商売の面白さを教えてあげようと思って」

「……私に、ですか?」

「もちろん」


 そして。

 マドレーヌは、意味深に紫色の瞳を細めた。


「あなたの人生は、これからが本番なのよ」


 カヌレンは知らなかった。

 この日を境に。

 自分の前に――。

 商売、王族、そして。

 まだ見ぬ一人の男性との運命的な出会いが待っていることを。


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