第一話 銀髪美女 婚約破棄されたのは……私ではありませんけれど?
第一話 婚約破棄されたのは……私ではありませんけれど?
フィルモル王国王都。
春の舞踏会は、王都中の貴族が集う一年最大の社交界だった。
巨大なシャンデリアが黄金の光を降らせ、楽団が優雅な旋律を奏でている。
若い令息令嬢たちは未来の伴侶を探し、貴婦人たちは流行のドレスや宝石の話に花を咲かせていた。
そんな華やかな会場の一角で――。
「まあ……!」
一人の銀髪の美女が、目を輝かせていた。
月光のような銀髪。
宝石のような紫色の瞳。
透き通るような白い肌。
誰もが振り返るほどの美貌を持つ女性だった。
けれど。
彼女が見つめているものは、貴公子でも宝石でもない。
――ケーキだった。
王宮専属パティシエが腕によりをかけた菓子が、ずらりと並んでいる。
苺のタルト。
色とりどりのマカロン。
焼きたてのシュークリーム。
チョコレートケーキ。
そして――。
「まあまあ……!」
銀髪の美女の瞳が、ひときわ輝いた。
「ミルフィーユまであるのね!」
数量五十個限定。
王宮特製ミルフィーユ。
何層にも重なったパイ生地。
その間には、たっぷりのカスタードクリーム。
表面には粉砂糖。
「王宮のパティシエは、いい仕事をしているわ……」
感動したように呟く。
そして。
「まずはミルフィーユ」
一つ取る。
「次に苺のタルト」
もう一つを見る。
「それからシュークリーム……」
真剣な顔で考える。
「でも、シュークリームを最後にするとクリームの余韻が……」
ぶつぶつ。
どうやら彼女は、王都最大の社交界で、とんでもなく重要な問題に直面しているらしい。
――ケーキを食べる順番。
「……よし」
決めた。
「ミルフィーユからいただきましょう」
フォークを入れる。
サクッ。
「…………!」
紫色の瞳が輝いた。
「美味しい……!」
幸せそうに頬を緩める。
もう一口。
サクッ。
「まあ……」
さらに一口。
サクッ。
「今年は特に美味しいわ」
完全に夢中だった。
その時。
「――いたぞ!」
怒鳴り声が会場に響いた。
銀髪の美女は振り返った。
人混みをかき分け、一人の赤髪の青年が歩いてくる。
ローザンヌ侯爵家嫡男。
ガレットン=ローザンヌ。
そして、その隣には――。
一人の美しい令嬢がいた。
艶やかな金髪。
華やかなドレス。
愛らしい顔立ち。
そして、ガレットンの腕にしっかりと手を添えている。
誰が見ても、二人の関係は明らかだった。
ガレットンは銀髪の美女の前で足を止める。
「カヌレン!」
「…………」
銀髪の美女は、きょとんとした。
「はい?」
「やはりここにいたか!」
「…………?」
彼女は首を傾げる。
ガレットンの隣にいる令嬢が、くすりと笑った。
「まあ……」
そして、銀髪の美女を見る。
「ずいぶんと余裕がおありなのですね」
「余裕?」
「ええ」
令嬢はガレットンの腕に身体を寄せた。
「これから婚約を破棄されるというのに」
「…………」
銀髪の美女は、瞬きをする。
「婚約……?」
「そうですわ」
金髪の令嬢は、勝ち誇ったように微笑んだ。
「ガレットン様は、私との間に真実の愛を見つけられたのです」
「まあ」
銀髪の美女は目を丸くした。
「そうなの?」
「ええ」
「それは素敵ね」
そして。
またケーキを一口。
サクッ。
「…………美味しい」
「…………」
ガレットンの顔が引きつった。
「おい!」
「はい?」
「僕が何を言っているのか分かっているのか!」
「ええ」
銀髪の美女は、ミルフィーユを食べながら頷く。
「こちらの方と、真実の愛に目覚められたのでしょう?」
「そうだ!」
「おめでとうございます」
「…………」
ガレットンが固まった。
こんな反応は予想していなかった。
「僕は、お前との婚約を破棄する!」
会場中に響き渡る声。
ざわっ、と貴族たちが騒めく。
「婚約破棄ですって!」
「舞踏会で?」
「しかも新しい恋人を連れているわ!」
視線が銀髪の美女へ集まる。
しかし。
本人は。
「…………」
ミルフィーユを見ていた。
あと二口。
「…………」
サクッ。
「あと一口ね」
「おい!」
ガレットンが叫ぶ。
「何をしている!」
「何って?」
「僕は今、お前との婚約を破棄すると宣言したんだぞ!」
「ええ」
「なのに、なぜケーキを食べている!」
銀髪の美女は不思議そうな顔をした。
「だって……」
最後の一口を口へ運ぶ。
サクッ。
「美味しいもの」
「…………」
会場の令嬢たちから、小さな笑い声が漏れる。
「ふふっ」
「かわいい……」
「婚約破棄よりケーキなのね……」
ガレットンの顔が赤くなる。
「笑うな!」
しかし、銀髪の美女はそんなことなど気にしない。
空になった皿を見つめている。
「……もう一ついただこうかしら」
「まだ食べるのか!?」
「ええ」
「僕との婚約破棄より大事なのか!」
「婚約破棄?」
銀髪の美女は首を傾げた。
「でも、私、あなたと婚約していないわよ?」
「…………」
ガレットンが固まった。
「……何?」
「ですから」
銀髪の美女はにっこり笑う。
「私たち、婚約していませんでしょう?」
「…………」
会場が静まり返る。
ガレットンは銀髪の美女を見つめる。
銀髪。
紫色の瞳。
美しい顔。
確かに、婚約者のカヌレンも銀髪だった。
だが――。
「そんなはずは……」
その時。
「ガレットン様!」
別の声が響いた。
人混みをかき分け、一人の少女が駆けてくる。
淡い水色のドレス。
銀色の髪。
紫色の瞳。
そして。
ガレットンを見つけた瞬間、少女は不思議そうに首を傾げた。
「ガレットン様?」
「…………」
ガレットンの顔が凍った。
隣の金髪令嬢も。
周囲の貴族たちも。
そして。
全員が。
目の前の二人の銀髪女性を見比べる。
ガレットンの視線が。
ゆっくりと動いた。
銀髪の美女。
そして。
本物のカヌレン。
「…………え?」
誰かが呟いた。
「え?」
ガレットンも呟く。
「え……?」
もう一度。
銀髪の美女を見る。
そしてカヌレンを見る。
「…………」
顔面から、血の気が引いていく。
カヌレンが不思議そうに尋ねた。
「ガレットン様?」
「君は……」
「はい?」
「本当に……カヌレン?」
「はい」
少女は頷いた。
その瞬間。
会場中に、ざわめきが走った。
「では……」
「今までガレットン様が話していた相手は……」
「婚約者ではない?」
「ということは……」
銀髪の美女が、ようやく事情を理解したらしい。
「あら」
彼女はカヌレンを見る。
「あなたがカヌレンなのね?」
「はい。そうですが……」
「まあ」
銀髪の美女は嬉しそうに微笑んだ。
「やっと会えたわ」
「……え?」
カヌレンが目を瞬く。
目の前にいるのは、先ほど自分と間違えられて婚約破棄を言い渡された女性。
どう見ても、自分と同じぐらいに見える。
けれど。
その紫色の瞳には、どこか懐かしい温かさがあった。
「幼少の時以来かしら?」
「ま、まさか……」
「まあ……本当に綺麗になって」
マドレーヌは嬉しそうにカヌレンの頬へ手を伸ばす。
「お、お祖母様なのですか?」
「あら、忘れちゃったのかしら?」
カヌレンの声が小さくなる。
次の瞬間。
「お祖母様!」
カヌレンはマドレーヌに抱きついた。
「まあまあ」
マドレーヌも嬉しそうに孫を抱きしめる。
「大きくなったわねえ」
「お祖母様こそ……どうしてここに?」
「あなたの顔を見に来たのよ」
「私に?」
「ええ。王様に呼ばれて、王都に来たのよ」
そう言って、マドレーヌは優しくカヌレンの髪を撫でる。
その光景を。
ガレットンは呆然と見つめていた。
「……祖母?」
ようやく、頭の中で一つの言葉が繋がった。
自分が先ほど婚約破棄を宣言した女性。
カヌレンではなかった。
では――。
「ま、待ってくれ」
ガレットンが震える声を上げた。
「ということは……」
マドレーヌが振り返る。
「はい?」
「あなたは……カヌレンの祖母なのか?」
「そうですけれど?」
「お、おかしいじゃないか! どう見てもカヌレンと同じ年齢にしか見えないぞ」
「あら、嬉しいことを言ってくれるのね」
マドリーヌは、にっこりとほほ笑む。
ガレットンは驚きで目が大きく見開いてた。
会場中の貴族たちも、孫と同じ年齢に見える祖母を不思議そうに眺めていた。
「孫と祖母が同じ年齢なのか?」
「いくらなんでも若すぎるだろう」
「あの女性は、カヌレン嬢ではなく、祖母だったのか?」
誰かが小さく呟いた。
すると。
大広間の奥から、地鳴りのような怒声が響いた。
「――ガレットンッ!」
びり、と空気が震えた。
貴族たちが一斉に振り返った。
そこに立っていたのは――顔を真っ赤にして怒るローザンヌ侯爵の姿があった。




