第十二話 お祖母様、商会を動かします
第十二話 お祖母様、商会を動かします
翌朝。
マドレーヌは、王都の大通りを歩いていた。
隣にはカヌレン。
そして、その少し後ろにはグラッセがいる。
「お祖母様、本当にここへ来るんですか?」
「ええ」
マドレーヌは、目の前にそびえる大きな建物を見上げた。
白い石造りの壁。
正面には、金色の文字で大きく商会名が刻まれている。
――グラン商会。
フィルモル王国でも有数の大商会。
そして。
その商会の会頭こそ――マドレーヌだった。
カヌレンが目を丸くする。
「ここが……グラン商会の王都支店よ」
「お祖母様、本店はもっと大きいのですか?」
「そうよ。でも支店だから知り合いがいればいいのですが……」
マドレーヌは、首を傾げながら答えた。
「ただ、今日は会頭と言うより、ケーキを愛する者としてかしら」
「では?」
「材料を買いに来ただけよ」
そう言って、マドレーヌは笑った。
その笑顔には、どこか楽しそうな色が浮かんでいる。
――久しぶりね。
商会の支店に顔を出すのは……。
マドレーヌはそう思いながら、扉を開けた。
「いらっしゃいませ」
店内には、何人ものスタッフが忙しそうに働いていた。
マドレーヌは受付へ向かう。
受付には、赤髪の若い女性スタッフが立っていた。
「支店長のナッツに会いたいのだけれど」
「ナッツ支店長ですか?」
「ええ」
「申し訳ありませんが、アポイントメントはございますか?」
「いいえ」
「でしたら、お会いすることはできません」
「まあ」
マドレーヌは瞬きをした。
「急ぎの用件なのだけれど」
「申し訳ありません」
受付店員は、丁寧に頭を下げた。
けれど、その目には微かな侮りがあった。
無理もない。
目の前にいるのは、若者向けの服を着た若い女性。
まさか彼女が、このグラン商会そのものを動かす人物だとは思わないだろう。
「それでは、支店長に伝言をお願いできる?」
「はい。お名前をお願いします」
「マドレーヌよ」
「……マドレーヌ様ですね」
店員は名簿を確認した。
しかし、該当する名前が見つからない。
「申し訳ありませんが、お取引先のお名前が確認できません」
「そう」
「支店長への面会をご希望でしたら、まず紹介者の書類を提出していただく必要があります」
「あらあら」
マドレーヌは困ったように笑った。
「ずいぶん厳しいのね」
「規則ですので」
「そう」
マドレーヌは頷いた。
そして――。
「では、仕方がないわ。紹介状を持って出直しましょう」
踵を返そうとした、そのときだった。
「――何をしている!」
奥から、鋭い声が響いた。
店内の空気が一瞬で変わる。
やって来たのは、四十代ほどの男性だった。
整えられた茶色の髪。
眼鏡をかけ、商人らしい鋭い目をしている。
「ナッツ支店長!」
受付店員が慌てて頭を下げた。
「どうして会頭を立たせているんだ!」
「……え?」
受付店員の顔は、意味がわからずに固まっている。
ナッツはマドレーヌの前まで駆け寄る。
そして深々と頭を下げた。
「申し訳ございません、マドレーヌ様!」
「久しぶりね、ナッツ」
「はい! 本当に申し訳ありません!」
ナッツは何度も頭を下げる。
「本来なら、私が入口までお迎えに上がるべきところを……!」
「いいのよ」
マドレーヌは穏やかに笑った。
「それより」
「はい……」
「私が支店に来ないのが悪いのよ」
「……っ!」
ナッツの顔が強張る。
受付女性も、青ざめた。
「でも、自分の商会の会頭の顔ぐらいは覚えてないと。商人として失格よ」
「申し訳ございません!」
マドレーヌは受付店員を見る。
「次からは私の似顔絵を飾っておいてくれるかしら」
「……はい、すみません」
「いいえ、支店長と私にも責任はあるから、良い勉強になったわ」
「はい……すみませんでした」
「他の支店にも私の似顔絵を送らないとね」
「マドレーヌ様」
ナッツが頭を下げる。
「マドレーヌ会頭、そのようにすぐに手配をします」
「お願いするわ」
「はい!」
「ただし」
マドレーヌは微笑んだ。
「美人さんな感じでお願いするわ」
「はい、かしこまりました」
「そうじゃないと、恥ずかしいでしょう」
「……承知しました」
ナッツは頷いた。
受付店員は、もう一度深く頭を下げた。
「申し訳ございませんでした!」
「よろしく頼みますよ」
マドレーヌは優しく笑った。
「次は、全スタッフがわかるようにお願いするわ」
「はい! かりこまりました」
その後。
グラン商会の各支店には、マドレーヌの美魔女姿の似顔絵が配置されたのであった。
◇
応接室。
テーブルを向かい側にして、支店長とマドレーヌにカヌレンが座る。
ナッツが尋ねる。
「ところで、本日はどのようなご用件でしょうか?」
「ケーキ百個分の材料が欲しいの」
「百個分ですか?」
「ええ。小麦粉、砂糖、卵。それから必要な材料を一式」
「かしこまりました」
ナッツはすぐに帳簿を確認する。
「在庫はございます」
「まあ、助かるわ」
「百個分程度でしたら、すぐに用意できます」
「では、ピエール=ピカソンさんの店へ届けてもらえる?」
「もちろんです」
「ありがとう」
マドレーヌはほっとしたように微笑んだ。
これで、ピエールはコンテストに出られる。
だが。
マドレーヌはそこで終わらなかった。
「ところで、ナッツ」
「はい」
「最近、王都の商会で何か妙な動きはないかしら?」
ナッツの表情が変わった。
「……実はございます」
「やっぱり?」
「はい」
ナッツは一枚の書類を取り出した。
「カルトシュガー商会です」
「カルトシュガー?」
「最近、王都中から小麦と砂糖を買い集めています」
「どれくらい?」
「かなりの量です」
ナッツは続けた。
「複数の商会と契約し、通常より高い値段で買い取っています。そのため、小さなパン屋や菓子店が材料を仕入れにくくなっている」
「なるほど」
マドレーヌは目を細めた。
「だから、ピエールさんのところにも値上げを迫ったのね」
「おそらく」
「砂糖は?」
「砂糖も同じです」
「そう」
マドレーヌは指先で机を軽く叩いた。
「では、目的は在庫切れを起こさせることね」
「はい」
ナッツが頷く。
「王都から小麦や砂糖が不足すれば、価格は一気に上がるかしら」
「はい。その後、大量に抱えた商品を高値で売るのではないかと……」
「そんな感じかしら」
マドレーヌは静かに笑った。
「商人として、少し欲張りすぎね」
「……どうされますか?」
ナッツが尋ねる。
マドレーヌは少し考えた。
「商売は、儲けることそのものが悪いわけではないわ」
「はい」
「でもね」
マドレーヌの声が少し低くなる。
「やりすぎてはいけないの」
カヌレンが黙って祖母を見る。
「一時的に儲けても、商品そのものへの信用を失えば、商売は長く続かないわ」
「おっしゃる通りです」
「食べ物は特にそうよ」
マドレーヌはきっぱりと言った。
「生活に必要なものを故意に市場から消して、人々を困らせて利益を得る」
そして。
「そんな商売を続ければ、最後には誰からも信用されなくなるわ」
ナッツは真剣な表情で頷いた。
「では、対策を?」
「ええ」
マドレーヌの口元が、ゆっくりと上がった。
「まず、小麦を買いなさい」
「どのくらいでしょう?」
「できるだけ」
「……はい?」
「砂糖も」
「砂糖もですか?」
「ええ、毎日、安定して届く仕入れルートを確保して」
ナッツは目を丸くする。
「かなりの量になりますが……」
「構わないわ」
マドレーヌは即答した。
「それから、農業が盛んな提携貴族にも連絡して」
「小麦と砂糖を?」
「ええ。今後の供給を確保しておきなさい」
「承知しました」
「ただし」
マドレーヌは人差し指を立てた。
「全部を市場に流す必要はないわ」
「……?」
「一部は、カルトシュガー商会に売りなさい」
ナッツが固まった。
「カルトシュガー商会に、ですか?」
「そうよ」
「ですが、それでは相手の買い占めを手助けすることになりませんか?」
「様子を見て小出しに売りなさい。大量に売る必要はないわ」
マドレーヌは楽しそうに笑った。
「相手の倉庫をいっぱいにするのが目的よ」
「なるほど……」
「そして」
マドレーヌはにっこりと微笑んだ。
「少し高めの値段でね」
ナッツの目が見開かれる。
「……まさか」
「ええ」
マドレーヌは楽しそうに笑った。
「大量に買わせるのよ」
「……!」
「向こうは、これからさらに値段が上がると思っているのでしょう?」
「はい」
「なら、喜んで買うでしょうね」
マドレーヌの笑顔が深くなる。
「買わせてあげなさい」
「そして……?」
「在庫を山ほど抱えさせるのよ」
カヌレンが思わず息を呑んだ。
「お祖母様……」
「うふふ」
マドレーヌは楽しそうだった。
「値段が上がると思って買った商品が、値下がりしたらどうなると思う?」
「……大量の在庫が、損失になります」
ナッツが答える。
「その通り」
マドレーヌは頷いた。
「こちらは王都への供給を確保する」
「はい」
「向こうには在庫を抱えさせる」
「はい」
「そして、買い占めによる品不足そのものを起こさせない」
マドレーヌは優雅に微笑んだ。
「商売は、相手を潰すことではないの」
少し間を置いて。
「相手が勝手に転ぶような状況を作るのよ」
「……恐れ入りました」
ナッツは思わず苦笑した。
昔からそうだった。
マドレーヌは、真正面から力でぶつかる商人ではない。
相手より一歩先を読む。
相手が欲しがるものを知り。
相手が見落としている場所に手を伸ばす。
気がついたときには――。
もう勝負が終わっている。
「ただし」
マドレーヌは念を押した。
「王都の人たちが困らないよう、必要な小麦や砂糖はきちんと流通させるのよ」
「もちろんです」
「商売は、お客様がいてこそ成り立つものだから」
「はい!」
ナッツは力強く頷いた。
◇
話が終わる頃には、すべての手配が決まっていた。
ピエールの店には、すぐに百人分の材料を届ける。
小麦と砂糖は大量に確保。
提携貴族からの供給も増やす。
そして。
カルトシュガー商会には、別の商会を通じて少しずつ商品を売る。
マドレーヌは満足そうに頷いた。
「これでいいわ」
「はい」
「では、私は帰るわね」
「もうお帰りになるのですか?」
「ええ」
マドレーヌは立ち上がった。
「一週間後に、また来るわ」
「かしこまりました」
「それまでに、状況を整理しておいて」
「承知しました」
扉へ向かいながら、マドレーヌはふと思い出したように振り返った。
「そうそう」
「はい?」
「私、今はちょっと忙しいの」
「何か大きな商談でも?」
「いいえ」
マドレーヌは楽しそうに笑った。
「ケーキコンテストがあるでしょう?」
「……」
ナッツは一瞬、言葉を失った。
天下のグラン商会の会頭が。
悪徳商会との商売戦を仕掛けながら。
次の予定がケーキコンテスト。
「……マドレーヌ様らしいですね」
「そうかしら?」
「はい」
ナッツは微笑んだ。
「では、コンテストのほうも頑張ってください」
「ええ」
マドレーヌは扉の前で振り返る。
「ピエール君がね」
「はい」
「優勝するのよ」
その笑顔は、とても楽しそうだった。
「だから、その邪魔をする人には――」
マドレーヌの瞳に、商人としての鋭い光が宿る。
「少しだけ、商売の厳しさを教えてあげようかしら」
そう言って、マドレーヌは支店を後にした。
◇
その日の夕方。
カルトシュガー商会。
「何?」
大量の買い付け報告書を見た男が、嬉しそうに笑った。
「小麦も砂糖も、さらに確保できるだと?」
「はい」
「よし」
男は満足そうに頷く。
「このまま王都から商品を集めろ」
「はい!」
「一週間もすれば、価格はさらに上がる」
誰も気づいていなかった。
その買い付け先の一部が。
すでにマドレーヌの手のひらの上にあることを。
そして。
その頃、別の場所では。
「お祖母様!」
カヌレンの声が響いていた。
「何かしら?」
「ピエールさんのお店から連絡が来ました!」
「どうだった?」
「材料が届いたそうです!」
マドレーヌは嬉しそうに笑った。
「そう」
「ピエールさん、すごく喜んでいました!」
「それはよかったわ」
マドレーヌは窓の外を見る。
王都の夕焼けが、街を赤く染めている。
「さて……」
マドレーヌは小さく呟いた。
「次はケーキコンテストね」
けれど。
その瞳の奥には。
すでに別の戦いの火が灯っていた。
――カルトシュガー商会。
あなたたちは、まだ知らない。
自分たちが喧嘩を売った相手が。
いったい誰なのかを。
そして。
王都最大級の商会の会頭である銀髪の魔女マドレーヌが、本気で動き始めたことを。
甘いケーキの香りの裏側で。
商人同士の、静かな戦争が始まろうとしていた。




