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第32話 高校教師誘拐事件

***

数分後、警察が学校に突入し、怯える生徒や職員たちを素早く避難させた。


事件の後、学校は混乱の渦に包まれた。

心配した保護者たちが次々と駆けつけ、警官たちは証言を集め、救急隊員は怪我人を確認していた。


だが、その混乱の中で――


アリアナがいなかった。


彼女のクラスの生徒たちは、まだ震えながらも無事だった。

涙ながらに警察や報道陣に語ったのは、彼女がどれほど勇敢だったかということ。


――先生が、私たちを守ってくれた。

――先生が、あの強盗たちと戦ってくれた。

――私たちを逃がすために、自分を犠牲にしたんだ。


その話は、あっという間に世間に広まった。


夕方には、あらゆるニュース番組がその話題で持ちきりだった。


『高校教師、武装襲撃から生徒を救うも誘拐される』


テレビにはアリアナの写真が映し出されていた。

それは、彼女の卒業アルバムの一枚。


彼女の勇気は誰の目にも明らかだった。


だが――


今、彼女はいなかった。


***


スターの手は、リモコンを握りしめたまま震えていた。

画面には何度も同じ見出しが映し出されていた。


『高校教師、武装襲撃から生徒を救うも誘拐される』


アリアナの顔が映るたび、胸が締めつけられる。


頭が真っ白だった。


隣にいたルナの息を呑む音さえ、遠く感じた。

部屋に重たい沈黙が落ちる。


「……あいつらしいよな……」


スターはかすれた声でそう呟いたが、最後まで言い切ることはできなかった。

声が震えていた。


「スター、落ち着け――」

エリックが言いかけたその瞬間、スターは立ち上がっていた。


「もう座ってなんていられない!」


ドアへと向かって歩き出す。


「待て! 今は計画を立てるべきだろ!」

ケイドの声も、もう彼の耳には届いていなかった。


ルナ、ニア、ケイド、ジェイクは、顔を見合わせた。

誰も彼を止めることができなかった。


「私たちも行く。」


それだけを告げて、彼の後を追う。


スターは自分の高級車に飛び乗った。

ハンドルを握る手は、今にも壊れそうなほどに力がこもっていた。


本来なら時間がかかるはずの街への道のり。

だが彼は、感情と焦燥に突き動かされ、猛スピードで車を走らせた。


誰にも止められなかった。


車内には、張り詰めた空気が流れていた。


ニアは携帯を何度もチェックし、

ケイドは拳を握りしめ、普段の軽さは消えていた。

ルナはシートベルトを掴み、顔を青ざめさせ、

ジェイクはただ、黙ったまま。


時間の感覚さえ曖昧になる中――


車は目的地に到着した。


スターは勢いよく車を降り、混雑した街の中を駆け出す。


彼女を探さなければ。


何かをしなければ。


だがその時――


「っ!」


誰かと衝突した。


勢いでお互いによろけたが、スターはすぐに立ち上がった。

謝ろうとしたその瞬間――彼の動きが止まる。


ぶつかった男も、同じように焦りの色を浮かべていた。

スーツは乱れ、顔には疲労と不安の色が濃く浮かんでいる。


それは――


アリアナの父だった。


数秒の沈黙。


二人の視線がぶつかり合う。

その瞳には、同じ焦り、同じ絶望が宿っていた。


先に口を開いたのは、アリアナの父だった。


「……お前が、スターか?」


スターは、かろうじて頷く。


男は深く息を吐き、震える手で髪をかき上げた。


「……彼女は……連れ去られた。あの連中に……私は……っ」


その声はかすれ、誇り高かった彼の姿とはかけ離れていた。


スターの拳が強く握りしめられる。


「どこだ?」


その声は、静かで冷たかった。


アリアナの父は、虚ろな目で彼を見つめた。


「……誰にもわからない。」


スターの中の血が凍りついた。


彼の仲間たちが追いつき、息を切らして彼の後ろに立つ。


そして、全員が――現実を理解した。


アリアナは、いない。


行き先も、手がかりも、何一つない。


――その頃……。


アリアナの手首には、きつく縛られた縄が食い込んでいた。


部屋は薄暗く、汗と煙、そして古い血の匂いが充満している。

壁は冷たく、空気は重く、どこまでも不吉な気配が漂っていた。


ここは“ブラックウルフ”のアジト。

世間の噂通り、無法者たちが集う、外界から隔絶された危険な拠点だった。


銃を肩にかけた男たちが、獣のような目で警戒しながら巡回している。

その隣では、失敗した学園での誘拐計画について、残忍な冗談を交わす声が聞こえた。


アリアナは冷たい床に座り、壁にもたれて荒い呼吸をしていた。

両腕には、既にいくつものあざ。

――罰と称して、彼らから浴びせられた平手、蹴り、脅しの痕だった。


それでも、彼女の心のどこかに、奇妙な安堵が残っていた。


(……子どもたちは、無事だった……)


その事実だけが、アリアナにわずかな力を与えていた。


だが――それも長くは続かなかった。


ギィィィ……


重く錆びついた扉が軋む音と共に、空気が凍りついた。


現れたのは、一人の男。


場違いなほど白いスーツに身を包み、つややかに撫でつけた髪、磨かれた革靴、そして――あの嫌悪すべき、不敵な笑み。


アリアナの心が、一瞬にして沈んだ。


(……ロジャー・レイラー……)


かつて彼女に銃を突きつけ、「結婚しろ」と迫った、狂気に満ちた元婚約者。


彼は、くすりと笑った。

「ふふ……まさか、またお前に会えるとはな」


アリアナは歯を食いしばった。

「……あんた、なんでここに……?」


「消えたと思ったか?」

ロジャーの声は、どこか艶めいていたが、その奥には鋭い毒が潜んでいた。


「お前の“魔術師”の友達が全部台無しにしてくれたあの事件の後……確かに警察に捕まったさ。でも、俺は学んだんだ――“自制心”ってやつをな」


彼はゆっくりと歩きながら、アリアナを見下ろす。


「いい子を演じたさ。笑って、振る舞って、“完璧な息子”って評価をもらった。そして今じゃ、親父の会社を継いで、立派な社長様だ」


アリアナの腹が、不快感でねじれる。


「けどな、アリアナ……」

声が低くなった。


「金や地位なんかじゃ、満たされねぇんだよ。だから、俺は“彼ら”を見つけた」


ロジャーが顎で示した先では、ブラックウルフの男たちが不気味に笑っていた。


「俺が奴らに“後ろ盾”を提供する。そうすりゃ、あいつらは自由に稼げるし、俺も“頼み事”を聞いてもらえるってわけさ」


アリアナの血の気が引いていく。


(最低……)


ロジャーは顔を近づけてきた。

「そして、こんなチャンス――お前をまた手に入れるなんて、運命ってやつだな?」


「……相変わらず最低な男ね」

アリアナは怒りを抑えきれずに言い放った。


一瞬だけ、ロジャーの笑顔が崩れた。


が――すぐに、怒りを宿した表情に変わる。


「口の利き方を忘れたようだな」

腰から鞭を外すと、ロジャーはそれを高く振りかぶった。


ビシィッ――!


部屋中に乾いた音が響いた。


アリアナの肩に激痛が走る。

それでも、彼女は叫ばなかった。唇を噛んで耐える。


ロジャーは嬉々とした笑みを浮かべた。

「今度は、“あの魔術師”はいないぞ?」


ブラックウルフの連中が嘲笑する。

残酷で、無慈悲で、冷たい笑い声。


(逃げ場なんて……どこにもない……)

(この男が……また、私を……!)


アリアナの意識は、絶望の底へと引きずり込まれていった――。


スターは、今や見る影もなかった。


胸は激しく鼓動し、手は震え、思考は闇へと沈んでいく。普段は冷静で自信に満ちた有名なマジシャンとしての顔はどこにもなく、そこにいたのはただ一人の人間——大切な人を失いたくないと必死に走る、取り乱した男だった。


都市の通りを駆け抜けるスターに、仲間たちは必死についていく。


「スター、待て! こんなの意味ないだろ!」

カイドが彼の腕を掴んだが、スターはそれを振り払い、荒く息を吐いた。


「止まっていられない! 何もしないなんて、俺には無理だ!」


その声は震え、恐怖に満ちていた。彼のそんな姿を、仲間たちは今まで一度も見たことがなかった。


アリアナの父は焦りながらも、落ち着いた口調で言った。


「こんなふうに走り回っても無駄だ。娘は連れ去られた。どこかに隠されているに決まっている。」


その言葉は、スターの心をさらに押し潰した。何か、何かできる方法はないのか——。


そのとき、ジェイクが閃いたように叫ぶ。


「そうだ、スター! 君の魔法があるじゃないか!」


スターは瞬きし、少しだけ荒い呼吸が落ち着いた。


「黒魔法を使えば、彼女を探せるだろ!」


アリアナの父は驚きと困惑が入り混じった表情でスターを見た。


「黒魔法……? 君はただのマジシャンじゃなかったのか?」


ルナがすかさず言葉を挟んだ。


「ええ、彼は確かにマジシャンです。でもその魔法は、人を傷つけるためじゃない。助けるために使ってきたんです。信じてください。」


カイドも続ける。


「彼はたくさんの人を救ってきました。それに……それ以上に——」

一瞬だけ間を置き、アリアナの父と視線を交わす。

「彼は、あなたの娘のことを……本気で想ってる。」


スターは顔を背け、小さく呟いた。


「黙れ……」


それでも、アリアナの父は怒らなかった。


むしろ、その目に浮かんだのは安堵だった。目の前の男が、ただの義務感や友情で動いているのではないと、ようやく理解したのだ。


数秒の沈黙ののち、父はコートの内ポケットから一枚の布を取り出した。アリアナのスカーフだった。


「もしその魔法で手がかりが掴めるなら……これを使ってくれ。彼女のものだ。」


スターは震える手でそれを受け取り、そっと目を閉じた。スカーフに宿る微かな気配——彼女の痕跡が、彼の黒魔法に反応していく。


低く呟くように呪文を唱えると、黒い魔力が彼の周囲に静かに渦巻き始めた。普通の目には見えないが、魔力に敏感な者にははっきりと感じられる気配だった。


やがて、スカーフはほんのりと闇色の光を放ち、彼にしか見えない道筋を示す。


「見つけた……彼女の気配だ。」


そう呟くと、スターはすぐさま車に乗り込む。


「乗ってください。」

その声には、先ほどまでの取り乱した様子はなかった。明確な目的と決意が宿っていた。


アリアナの父も、少し躊躇いながらも助手席へと乗り込む。


「しっかり掴まっててください。」

スターはそう言ってアクセルを踏み込んだ。


エンジンの唸りとともに車が疾走する。仲間たちの車もすぐに後を追い、アリアナ救出の旅が始まった。


都市の通りを抜けて走る中、スターの目はずっと前を見据えていた。彼にしか見えない——アリアナの魔力の糸が、光の灯火のように彼を導いている。


助手席の父は、スターが使用したスカーフを手にしながら、彼をじっと見つめていた。黒魔法への不信感、娘への不安、そして——この若者がどれほど娘を想っているのかという気づきが、心の中を巡っていた。


やがて、静寂の中で彼が口を開いた。


「……その魔法、本当に信じていいのか?」


スターは目を離さず、短く答えた。


「この繋がりがある限り……外れたことはない。」


父の目が、一瞬だけ柔らかくなる。


「君は——本当に、彼女のことが好きなんだな。」


スターは無言だったが、その沈黙が全てを物語っていた。


後ろの車では、カイド、ルナ、ニア、ジェイクが焦りをにじませながら運転を見守っていた。


「スターがここまで取り乱すなんて……初めてだ。」

カイドが低く呟く。


ルナも小さく頷く。

「うん……今回は、違うね。」


ジェイクは後部座席で頭を掻きながら言った。

「彼、いつも魔法には本気だったけど……今のは、それ以上だ。」


その瞬間、スターの車が急カーブを切る。舗装されていない森の中の道へと入り込んだ。


「こんなところに何が……?」

アリアナの父は思わず目を見開いた。


スターは何も答えず、アクセルを踏み込む。


魔力の糸はさらに強く輝き始め、彼らをある場所へ導いた。


——それは、森の奥深くにひっそりと佇む、古びた倉庫だった。


ブレーキがきしむ音とともに、スターの車が停止する。埃が舞い上がり、仲間たちの車もすぐに追いつく。


彼女は……この先にいる。


_ _ _


黒狼ブラックウルフの拠点は、まさに噂通りだった。


倉庫の周囲を取り囲むように、粗暴な男たちが銃を抱えながら巡回している。出入りするその顔ぶれは、誰もが目を合わせれば最後、すぐにでも引き金を引きそうな気配を漂わせていた。


建物の入り口には、黒く唸る狼の顔──血のように赤く光る目を持った「黒狼団」の紋章がスプレーで描かれている。


その姿を見た瞬間、スターの拳は自然と握り締められていた。


「突っ込むだけじゃ無理だ。あいつら、武装してる」


カイドが冷静に告げた。


「だが……俺の娘が、あの中にいるんだぞ」


アリアナの父親が、低く唸るように呟いた。


ルナは不安そうに唇を噛む。「どうする? 作戦を立てないと……」


だが、スターの声がそれら全てを遮った。


「俺が行く」


その瞬間、スターの身体から黒い魔力がほとばしった。


空気が重く、鋭く変わる。


それはまるで、ただの有名マジシャンではなく──


大切な人を取り戻すためなら、どんな闇にでも手を染める覚悟を持った存在のようだった。


「ついて来い。後ろは任せた」


冷徹にそう言い残し、スターは黒狼団のアジトへと足を進めた。


彼の後ろには、カイド、ルナ、ニア、そしてアリアナの父が続く。父は娘のスカーフを胸に抱き、スターの背中を見つめていた。その眼差しには、恐れと、期待と、どこか祈るような想いが込められていた。


倉庫の入り口には、銃を持った男が二人立ちはだかっていた。


「止まれ。ここは関係者以外立ち入り禁止だ」


スターは、一言だけ返した。


「どけ」


男たちは嘲るように笑い、ひとりが銃をスターに向けた。


だが次の瞬間──


「……眠れ」


低く呟かれたスターの呪文と共に、黒い魔力が風のように駆け抜ける。


男たちの目が虚ろになり、まるで糸の切れた操り人形のように銃を下ろすと、そのまま横に退いた。


「なっ……今のは……?」


アリアナの父が驚愕の声を漏らす。


「催眠……あれだ。昔、あの学校で見た……!」


ジェイクも驚きの声を上げた。


ニアは小さく頷く。


「スターの黒魔法は、人を傷つけるためじゃない。守るためにあるのよ」


そして、彼の進撃は止まらなかった。


倉庫の内部に入ると、黒狼団の構成員たちが次々に現れる。怒声を上げ、銃を構え、襲いかかろうとする者たち──だが、その度にスターは静かに呪文を唱える。


黒い魔力が糸のように周囲に広がり、敵の意識を支配していく。


一人、また一人と、敵は味方を撃ち始め、混乱が倉庫全体に広がっていく。


銃声が響くたび、スターの前には黒い魔法のバリアが張られ、弾丸を難なく弾いていく。


「すごい……」


アリアナの父が、言葉を失ったように呟いた。


「こいつ、本当にただのマジシャンか……?」


「もう違うわ」


ニアが静かに答える。


「スターは……もうただの魔術師じゃない」


そして、彼らが倉庫の奥へと進むにつれ、スターの顔がますます険しくなる。


スカーフに残された魔力の糸を辿りながら、彼は確信していた。


アリアナは、ここにいる。


必ず、取り戻す。


どんな闇の中だろうと──必ず。


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