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第24話 君が誰だかわからない

ギィ……と、扉がゆっくりと開いた。


そこに、彼女はいた。


――アリアナ。


二十歳になった彼女は、あの頃よりも背が伸びて、どこか大人びた雰囲気を纏っていた。背後に広がる格式ある屋敷にふさわしい、整った服装。髪も丁寧にまとめられ、かつてスターを優しく見つめた瞳は――今や、どこか遠くを見ているようだった。


アリアナは瞬きを一つだけし、無表情のまま口を開いた。


「……どちら様でしょうか?」


スターは口を開いた。だが、言葉が出てこなかった。胸の内で渦巻いていた感情が、一気に押し寄せる。


再会できた喜び。

冷たい口調に対する動揺。

そして、目の前の彼女がまるで“知らない他人”のように振る舞っていることへの困惑――。


ようやく、掠れた声が出た。


「……アリアナ……俺だよ。スター。」


だが、彼女は反応しなかった。


スターは喉を鳴らし、もう一度だけ言葉を絞り出す。


「……君が助けてくれたんだ。あの時、俺は……マスターに囚われて、死にかけてた。君が手を握ってくれて……ずっと、忘れられなかった。」


少しだけ、声が震えた。


「君に……ありがとうが言いたくて。俺はもう、変わったんだ。自由になった。仲間もできた。生きるってことを、ようやく……知ったんだ。」


彼女の目を、ただ、まっすぐに見つめる。

微かな希望を抱きながら――たとえそれが小さくとも、温もりが返ってくることを願って。


けれど。


彼女の表情は、変わらなかった。


扉に添えられた手も、動かない。


「……存じ上げません。」


スターの世界が、音を立てて崩れた。


「……え?」


アリアナの声は、冷たく、それでいて事務的だった。


「……知りません。あなたと面識はありません。」


彼女の視線が、一瞬だけ家の中へと泳いだ。


そして、先ほどよりも冷ややかに言い放つ。


「……もう来ないでください。」


次の瞬間、バタン、と扉は――スターの目の前で、閉ざされた。


……静寂。


耳元で、カチリと鍵がかかる音だけが響く。


スターは、その場に立ち尽くしたままだった。

何が起きたのか、理解が追いつかない。


さっきまで膨らんでいた胸の奥が、今は空洞のように感じられた。


痛みは、刃のように鋭く突き刺さる。


かつてマスターに刻まれた呪印の焼ける痛みよりも、毒に侵された身体よりも、遥かに鋭い――。


これが、“裏切り”というものなのか。


沈黙を破ったのは、ケイドだった。


「……なんだよ、今の……。」


ニアが不安げにスターを見つめる。「スター……大丈夫……?」


スターは答えない。視線は、ただ閉ざされた扉を見つめたまま。呼吸は浅く、乱れていた。


ヘンリーがそっと肩に手を置く。「スター……?」


やがて、ぽつりと呟く。


「……これが、裏切り……?」


仲間たちが顔を見合わせる。


メイが首を振る。「違うよ、きっと……何か事情が――」


スターは、その言葉をそっと遮った。


「……俺のこと、覚えてさえいなかった。」


その声音に、怒りはない。ただ、壊れていた。


エリックが言う。「理由があるかもしれない。何かあったのかも――」


「……もしかして。」スターは囁くように続けた。「……俺は、最初から……何も、意味なんてなかったのかもしれない。」


ルナが、その手をぎゅっと握る。「そんなことないよ。」


仲間たちは、すぐにスターのそばに集まった。かつて、マスターの虐待に耐えていた頃と同じように――彼を守るように。


ケイドが歯を食いしばる。「……何があったとしても、俺たちはここにいる。」


ヘンリーが頷く。「お前は、ひとりじゃない。」


……けれど、スターは答えなかった。


どんなに仲間たちが言葉を重ねても――アリアナの冷たい声だけが、頭の中で何度も響く。


……五年ぶりに味わう、“拒絶”という痛みだった。


◆◆◆


沈黙のまま、スターたちはアリアナの家を離れた。

都会の喧騒が遠く霞むように感じられた。ただ耳に残るのは、あの言葉。


――『存じ上げません。』


胸が痛んだ。それは怒りではなく、もっと深い……拒絶された虚しさだった。


歩きながら、仲間たちはスターを気遣い、そっと視線を送る。


スターの、いつもの冷静な顔はそこになかった。肩はわずかに落ち、目は遠くを彷徨っていた。


沈黙に耐えかねたように、ルナが口を開く。


「スター……お願い、何か言って。」


スターは、まるで夢から覚めたように瞬きをした。


「……分からないんだ。」


ケイドはため息をつき、頭を掻いた。「あぁ、俺もだ。なんなんだよ、あれ。あんたを助けたんだろ、あの子。なのに……。」


エリックが冷静に眼鏡を押し上げる。「……合理的に考えれば、この五年で何かがあったとしか。人は、そんな簡単に大切な記憶を忘れたりしない。」


ヘンリーも頷く。「絶対、裏に何かある。」


けれどスターの心は、すでにそこにはなかった。

まだ、あの扉の前で、カチリと閉ざされる音だけが響いている。


ぽつりと、独り言のように呟く。


「……俺は、ほんとうに……彼女にとって、それほど小さな存在だったのか。」


ニアは、その痛みに満ちた声に、胸が締めつけられた。


「……スター、人は変わるんだ。」


メイもそっと言葉を重ねた。「でも、それは君のせいじゃない。」


スターは、少しだけ歯を食いしばった。


「……俺にとって、彼女は……最初に“優しさ”を教えてくれた人だったんだ。ほんの少しでも……俺は、彼女にとって特別だと思ってた。」


震える声で続ける。


「……なのに、名前すら……覚えてなかった。」


ルナは、強く彼の手を握る。


「それでも、あの時の想いは消えないよ。彼女は、確かにそこにいてくれた。今がどうでも、あの瞬間は本物だった。」


エリックが肩に手を置く。


「その痛みは、間違ってない。今は……そういう時なんだ。」


スターの呼吸は、ゆっくりと、深く――けれど、心の内では嵐が吹き荒れていた。

これは、アリアナに忘れられたという事実だけじゃない。

五年間抱き続けた希望――『いつかまた笑い合える』という、幼い夢が砕けた瞬間だった。


沈黙が続く中、ケイドがぽつりと言った。


「……もう行こうぜ。こんな所で、立ち尽くしてたって意味ねぇ。」


皆が頷き、スターをそっと導くように、その場を後にした。


◆◆◆


中心街から少し離れた公園に辿り着いた頃には、夕陽が沈みかけ、影が長く伸びていた。


穏やかな場所だった。かつてのスターなら、少しは心が落ち着いたかもしれない。


……けれど、今日だけは違った。


ベンチに腰を下ろし、膝に手を乗せたまま、スターは何も言わず空を見つめていた。

仲間たちは少し距離をとりながらも、彼を囲むように寄り添っていた。


長い沈黙の後、ようやくスターが口を開いた。


「……彼女を……憎みたくは、ない。」


その声は、微かに震え、けれど優しかった。


エリックは頷く。「憎む必要はないさ。」


スターは遠くの空に目を向けたまま呟く。


「……でも、痛いってことは、消せない。」


ルナはそっと、隣に寄りかかる。


「痛むのは当然だよ。弱いんじゃない。」


ケイドは、わざとらしく肩をすくめた。


「感情で弱くなるなら、俺なんかとっくに溶けて消えてんぞ。」


スターは、ほんの僅かに、笑った。


ヘンリーが腕を組む。


「なぁスター……お前がどんなに想っても、去っていく奴はいる。それが人生だ。でも、お前のそばに残った奴らだって、ちゃんといる。」


メイが頷く。「……私たちは、ここにいる。」


胸がまた、痛んだ。けれど今度は、ほんの少し違う痛みだった。

アリアナに背を向けられたその事実は変わらない。けれど、それでもそばにいる人間はいた。


ニアが、静かに言う。


「アリアナは忘れてしまったかもしれない。でも、私たちは知ってる。君が歩いてきた道を。一歩一歩、ここまで進んできたことを。」


スターは、ようやく彼らの顔を見た。


「……でも、もし……また誰かに捨てられたら。」


エリックが眼鏡を直し、静かに答える。


「その時は――俺たちで、受け止める。」


ルナが微笑む。


「……君は、もうひとりじゃない。」


アリアナに扉を閉ざされたその瞬間から、ようやく――心のどこかで何かが変わり始めていた。


痛みは消えない。

けれど、仲間たちの言葉が教えてくれた。


――去っていく人もいる。

――けれど、残る者も、確かにいる。


その事実だけが、今のスターを支えていた。


◆◆◆


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