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第23話 五年と、ひとつのノック

――スターが“マスター”から解放されて、もう五年が経っていた。


二十二歳となった今、スターはかつてのような怯えた少年ではない。あの狭く冷たい屋敷の中だけしか知らなかった頃の自分とは、もう違う。

今や彼は《黒魔術師》などと恐れられることもなく、町では『少し変わっているけど、困っている人を助けてくれる不思議な魔法使い』として知られていた。


人々は彼の過去について、時折ひそひそと囁いた。けれどそれ以上に、彼が今、誠実に誰かの役に立っている事実が、噂よりも確かだった。


彼の家も、昔のような冷たく無機質な空間ではなくなっていた。

エリックがくれた本は本棚に綺麗に並び、メイやヘンリーが贈ってくれた小さな飾りが机を彩り、ルナの散らかした楽譜が床のそこかしこに落ちている。


スターはもう、ひとりじゃない。

かけがえのない“家族”が、ここにいた。


けれど――それでも時折、彼の心は遠い過去に縛られていた。


《アリアナ》


その夜もそうだった。

皆が集まり、ケイドが得意げにサッカーの武勇伝を語り、大笑いが響いていた時――スターはふと沈黙した。


いち早く気づいたのは、ニアだった。


「……スター、大丈夫?」


彼は少し迷いながら、ぽつりと呟いた。


「もう……五年、なんだ。」


静寂が落ちた。


「アリアナが……いなくなってから。」


その名が、空気を凍らせた。

かつて死にかけていた彼の手を取ってくれた少女。忠義と温もりを教えてくれた少女。

そして、「どんなに離れていても、あなたはひとりじゃない」と言い残し、去っていった少女。


「……あれから、一度も連絡はない。」

「手紙も……電話も、何も。」


皆は顔を見合わせた。

スターがどれほど彼女を想っていたか、本当は誰もが知っていた。


ヘンリーが前に身を乗り出す。


「……寂しい?」


スターはすぐに答えられなかった。膝の上に置いた手が、無意識に指先で小さく跳ねていた。昔から考え事をすると出る癖だった。


「……分からない。」

「……寂しい。でも……それだけじゃない気がする。」


メイが優しく微笑んだ。


「きっと、大事に思ってるんだよ。」


スターは小さく頷いたが、それでも答えは見えないままだった。


その時、ケイドが茶化すように口を開いた。


「で、肝心なのは――今、アリアナがどこにいるかってことだろ?」


けれど、それが一番の問題だった。


アリアナは『実家へ帰る』と言い残して去った。でも当時のスターは、外の世界が広すぎて、そんなものまで考えが及ばなかった。町の名前も、住所も、知らない。ただ彼女が“いなくなった”という事実だけが残っていた。


「……どうやって、探すんだ。五年も経ったのに。」


その時、不意にテレビが目に入った。

ぼんやりと流れていたニュースが、ふと皆の視線をさらった。


新しく設立された企業の、華やかな式典。リボンカットに集う大人たち。その中に――スターの心臓が止まった。


彼女が、いた。


アリアナ。二十歳になった彼女は、凛とした姿でカメラに映っていた。上品なドレス、丁寧な微笑み。そして隣の男性が、誇らしげに彼女を紹介していた。


――『私の娘です』


画面の下には、会社名と都市名が映っていた。そこが、アリアナの今の住まう場所。


「……アリアナだ。」スターは、夢でも見ているように呟いた。


仲間たちは言葉を失った。


「……場所が分かったな。」エリックが静かに言う。


けれど次の瞬間、スターはもう立ち上がっていた。拳を固く握りしめ、迷いのない目で。


「……会いに行く。」


ケイドが笑った。


「おいおい、ロミオかよ。」


スターは怪訝に首を傾げる。「……何?」


メイは微笑んだ。「そういう意味よ。……でもね、スター。いきなり行っても、きっと驚かせちゃう。」


「……なんで?」


ニアが苦笑した。「サプライズって、そういうもんじゃないの。」


ヘンリーが付け加える。「分かるよ、会いたい気持ちは。でも、落ち着け。相手が留守かもしれないし、忙しいかもしれない。」


スターは渋々座り直したが、その表情には焦りが滲んでいた。


「……ただ、伝えたいんだ。僕が、ちゃんと変われたって。」


ルナがそっと腕に手を置く。


「きっと伝わるよ。でも、ちゃんと順序を踏もう。」


部屋は静けさを取り戻した。けれど、今度はどこか――温かな期待に満ちていた。

五年ぶりに、スターは大切な人と再び繋がる機会を得たのだから。


◆◆◆


翌朝――スターの家には、妙な緊張感が漂っていた。静かで、けれど心のどこかがそわそわと落ち着かない。


皆が出発の準備をする中、ひときわ目を引いたのはスターの姿だった。


普段なら服装なんて気にしない彼が、鏡の前で何度も服を直し、髪を手ぐしで整え、かつての黒いローブまで丁寧に払っていた。それはもう、数年前の薄汚れたものではない。きちんと手入れされた、大切な一着。


ケイドがニヤリと笑う。


「……スター、お前。戦いに行くのか、それともデートか?」


皆がくすくすと笑う中、スターは何も言わなかった。ただ鏡越しに、どこか戸惑った表情を浮かべていた。


ニアが首を傾げる。「……大丈夫? もう二十分は髪触ってるよ?」


スターは手を止めた。「……分からない。」


メイが優しく尋ねる。「何か、考えてる?」


スターはゆっくりと手を下ろした。


「……上手く言えない。ただ……どういう気持ちなのか、自分でもよく分からない。」


怯えではない。けれど、確かにそこにあったのは“迷い”。


誰もそれ以上は問い詰めなかった。ただ静かに、彼と一緒にバスに乗り込んだ。


◆◆◆


道中、スターはほとんど口を開かなかった。車窓を流れる景色に目を向けながら、胸の内で言葉にならない何かと戦っていた。


他の皆は、あえて明るく雑談を続けた。重すぎない空気を保つように。


やがて到着した都会は、スターの住む静かな町とは比べ物にならないほど、賑やかで騒がしかった。


けれど、今のスターは怯えなかった。

あるのはただ――説明できない感情の渦。


道を尋ね、辿り着いた先は、立派な屋敷だった。裕福な家とひと目で分かる佇まい。


そして、ついにその時が来た。

スターが、五年越しに辿り着いた“扉”。


五年。

沈黙の五年。

忘れられたかもしれない五年。


目の前の扉は、ただの木でも金属でもない。

そこにあるのは、“変わった自分”と“言えなかった言葉”を隔てる壁。


ふと頭をよぎったのは――ジェムやライラに裏切られた過去。


(……もし、アリアナも俺を覚えてなかったら?)

(……もし、俺はもう……ただの過去でしかなかったら?)


考える暇はなかった。ここまで来たのだ。

逃げる理由など、ない。


小さく、扉を叩いた――三度。

もう、戻れない。


胸が痛いほど高鳴る中、背後では仲間たちがはしゃぎながら、「どんな子なのかな」「早く会いたいな」と、無邪気に声を弾ませていた。


スターだけが、静かに――息を殺して、その瞬間を待っていた。


◆◆◆


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