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湯の中の庭園  作者: 三千
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自由な鳥


「これからは、ダイチの代わりにリンを軍師とする。リンの言葉は、俺が皆に伝える」


さあ、困ったぞ、そう千景は思った。この思わぬ展開は、相当に千景を動揺させた。


五歳の娘が、一国の命運を握る軍師に。


千景はもう、苦く笑うしかなかった。


どうしようか、だからと言って代われるはずもないのだが。


「まずは国を建て直す。けれど、今後の戦略も練っておきたいと思う。政治の方はユアンに任せるが、街を建て直すのは、ソウジュの治安部隊に命ずる。国民の意見は皆、ソウジュの元へ集めろ。ソウジュ、良いか」


「御意」


一歩、進み出たのは若いとも若くないとも見える、口元に髭を蓄えた男だった。


治安部隊と言っていた。警察のようなものだろうかと、千景は考えた。


「では、頼んだぞ」


身体を翻して執務室から、シャイル王が出ていった。そして、それぞれが席を立つ。


先ほど指名されたソウジュと呼ばれた男は、黒髪を腰まで伸ばしているユアンという宰相と話をしている。


治安部隊の部隊長であるのに相応しく、ソウジュは筋骨隆々といった体躯を晒していた。


その身体から発せられる声も、太く低く、耳に響くようなものだった。


「なあ、ユアン。影の軍師が表舞台に出てくるぞ。どうだ、お前は賛成なのか?」


賛成でないことが分かるような物言い。


「そうですね、反対したいところですが。けれどまあ、他に丁度いい者もおりませんから」


「いるだろ、ヤンとか、ツモリとか」


「ダイチほどでは……」


「姿が見えねえってことがなあ、ひっかかるんだよ」


少しだけ声を落として言う。


「陛下の狂言、とは考えにくいですよ。ダイチに匹敵するほどの戦術を出してきますから」


千景は、おや、と思う。それは本当のことなのか?「網」に関わる作戦で、子どもの浅知恵だと苦虫を噛み潰したのは最近の事だ。


明日、凛にどんな風に今までアドバイスをしてきたのかを確認した方が良い、そう思い直して、更に耳を傾ける。


「まあ、ダイン公国も今回の戦でかなり戦力を減らしましたから、当分はリンの出番は無いと思いますが」


そして、二人は話を続けながら、部屋を出て行った。


そちらの動向も気にはなったけれど、シャイル王がどう考えているのかが気になり、王の側へと視点を移動させる。


「リン、リン、そこに居ないのか? お前、一体どうしたと言うのだ。どこへ行ってしまったのだ。お前を我がアルス国の軍師にしたぞ、出て来ぬのか」


まったく、ぶつぶつと独り言を言いながら、ベッドにごろりと横になる。


「なあ、リンよ。前にお前と自由について話したな。俺は好きな人に会いに行くことを自由と言ったが……」


ふ、と笑う。


「会いたくてたまらない、アイリに」


手を頭の下へと滑り込ませて枕にする。


「アイリの好きな相手とやらは誰だろうと考えるだけで、気が狂いそうになるのだ」


シャイル王は一呼吸置いてから続けた。


「俺は一度、問い詰めたことがあった。お前に愛されている者は一体、誰なんだと。けれど、アイリは言わなかった。それも、アイリの自由というわけか」


顔が、表情が歪む。何かをぐっと堪えるようにして、目を瞑っている。


「自由とは、何とこのように縛られるものなのだ」


「自由ってね、人によって解釈が違うんだよ、お母さんがそう言っていた」


その声で、びくりと千景の身体が動く。


「お前の母親がか? やっと出てきたな、リン」


凛はまだお風呂に入っていないはずなのに。


今日は仕事の都合でいつもより遅くなる克幸のために、先にお風呂を済まして待っている予定で、テレビを見ている凛にもそのように告げて、自分一人で入ったのだから間違いない。


まだ、テレビのアニメ番組は終わっていないはずだ。それが、どうしてここにいるのか?


「だから、いろんな人に、自由とは何かを聞いた方が良いと思うよ」


一丁前なことを言っている、そう思うけれど、横から口は出せない。


「アイリにもか、」


「うん、アイリさんにも」


王が、はは、と笑う。


「お前はいつも、真っ直ぐだな」


千景はその時、子どもとはもちろんその人生経験の無さから考えが浅いのは否めないのだが、けれど時にはそのシンプルで真っ直ぐな考え方が、正解となることもあるだろうと、前々から思っていたことを思い出していた。


きっと今、王はそう考えているのではないか、そんな自然な微笑みだった。


心が軽くなったのだろうか、王が独り言のように言う。


「そうだな、一度聞いてみるか。次のお茶の時間にでも」


頑張れ、そう言いたくなるのを呑み込んで、千景は遠くから聞こえるキッチンタイマーの音を、認める。


湯から顔を上げると、そこに凛の笑顔があった。


「ママと、一緒に入ろうと思って」


更に、にっと笑うと、水切りの良い網の袋に入っていたアヒルのおもちゃを浮かべ始めた。


千景は何か違和感のようなものがあったが、凛の笑顔にそれは掻き消されていった。


✳︎✳︎✳︎


「なあ、お前にこんなことを聞くのも何だがな、『自由』とはどういうことだと思う?」


ティーポットを傾けていた手を止める。アイリが首を傾げて、シャイル王を見た。王は真剣な表情を崩さなかった。


その顔を見たアイリは、真摯に答えなくてはと思ったが、けれど思いがけないこの難問に、苦笑するしかなかった。


「少し、考える時間を頂きとうございます」


「ああ、そうだな。時間はやろう、変なことを聞いてしまって……悪いな」


シャイル王が、フォークを取り上げる。目の前にあるフィナンシェを刺して口に運ぶ。


「美味い、さすがだ」


「ありがとうございます」


アイリが微笑を浮かべる。ティーカップになみなみと紅茶を注ぐと、それを王の前に差し出した。


アイリは王の前に立つ時、いつも身体に力が入り硬直するのを感じていた。


以前より、何かを差し出す時など王の側へ近づく拍子に、手をぐいっと掴まれ引っ張られたり、抱き締められたりすることがあったからだ。


警戒していないと、簡単に王の腕の中へと倒れ込んでしまうので、そうならないようにと自然と力が入ってしまう。


けれど最近では、そのような乱暴とも言える強引さを感じることが無くなった。


慕っている人が他にいると告げた時からは、それは誰なんだと問い詰められることも度々あったが、そのような叱責にも似た問いかけも、ここ最近では無くなった。


少しだけ、ほっとする。


あのように、力づくで来られると、拒否できなくなってしまう。


アイリは自分の気持ちを抑えようとして、ティーポットを握る手に力を込めた。


知られてはいけない、王への恋慕の情を。


けれど、あまりの身分違いに、手だけでなく足までも、震えてくる。


「また明日にでも、お答え致します」


そう言うと、アイリはティールームからそっと出て行った。


王はその後ろ姿を、閉じられた扉を、ずっと見つめていた。


そして、日をまたいだ同じ時間、ティーカップを持った手を止めて、アイリが答える。


「陛下、昨日の問いでございますが、自由とは、空に羽ばたく鳥のようでございます」


あれから、シャイル王に真摯に応えるべく、アイリは自室で眠りにつく前まで考えに耽っていた。


小さい頃、籠に入れて小鳥を飼っていたことを思い出す。


その小鳥を、幼く拙い考えから逃がそうとして空に放ったことがある、その幼心で「自由」を考えたような気がした、これでこの小鳥は自由になった、と。


そう、王に話す。


シャイル王は、フィナンシェを食む手を止めた。


「そうか、それはまた美しい表現だ」


アイリはそう言われ、恥ずかしげに顔を赤らめ俯いた。


長い睫毛が伏せられる。瞳が揺れて、湖に映りその身を揺らす月の影のようだ、とシャイル王は思った。


「……では、俺も籠で小鳥を飼うのを止めねばならぬ」


王が俯いた。フィナンシェが綺麗に並べられている皿を見つめている。


「お前と、お前の好いた者の婚儀を取り持とう」


アイリは余りの驚きで、サイドテーブルの上にガチャンと皿を落とした。


バラの縁取りにピキッとヒビが小さく入り、小さな欠片が散る。


「も、申し訳ございません」


慌てて、皿を手に取る。


「俺は、」


言葉が一瞬呑み込まれる。


「俺は、お前を諦める。今まで無理強いをして、嫌な思いもしたであろう、悪かったと思っている。俺の気持ちを一方的に押し付けても、お前の心は手に入らない。心は、自由でなければならない。お前は、お前が慕う者の元へ行くがいい」


その小鳥のようにな、そう呟くと、すくっと立ち上がり、踵を返して部屋を出て行った。


アイリは、砕け散った皿の欠片を手の平で掻き集めた。


その散った皿の欠片のように、王の言葉が痛みとなって、アイリの中へと広がっていった。


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