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湯の中の庭園  作者: 三千
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寝返り


「チカゲ」が、自分の意思とは別の人格だということを知る。


すると、やはり「リン」も凛とは別の人格だろう。


そのことが分かると、千景は少しホッとした気持ちを抱いた。


その「チカゲ」のお陰で、シャイル王とアイリの恋は叶った。


「何か、久しぶりに良いことがあったわ」


千景は自分が思いの外、喜んでいることに驚いた。


昼間に寄ったスーパーでも、浮かれて普段なら買わない刺身を買ってしまった。

その刺身を出して、皿へと盛り付ける。


その皿にラップをかけて冷蔵庫へと戻すと、扉を閉めながらもシャイル王とリンの会話を思い出した。


「自由」


言葉にしてみると、本当に重いのだか軽いのだか、判断に困る言葉だ。千景は苦笑するしかなかった。


リンの父親が言ったという、「自由」の定義。


色々な解釈があると、自分が凛に言ったはずなのに、目から鱗とはこの事だろうか。


考えない、とは。


「考えない」を考える時、凛の普段の行動が途端に色を付けて生き生きと思い浮かんでくる。


生きていく上で、「考えない」と同列に置くことが出来る、それらの出来事。


「食べない」の日。「話さない」の日。「寝ない」の日。


母親として、それら全てに何らかの意味や理由を見出そうとして、必死だったような気がしてならない。


それら全てをなぞらえる時、


「食べさせないといけない」の日。「話させないといけない」の日。「寝させないといけない」の日。


そして、それは幾度か歳を重ねるごとに、


「(野菜を)食べさせないといけない」「(幼稚園の出来事を)話させないといけない」「(早く)寝させないといけない(朝起きられないから)」などに変化していった。


けれど、こうも考えられる。


凛にとっては、ただ単純に「食べたくない」「話したくない」「眠たくない」だったのかも知れない。


そして、もうこうやって、ぐるぐると考えを巡らせていること自体、「考え過ぎ」なのだろう。


そう、自分は考え過ぎていたのかも知れない、リンの父親の答えで自分にも答えを出せたようで、千景は不思議に思った。


これからは、この不思議な言葉である「考えない」を、選択肢に入れよう。


「軍師リンのお陰ね。王とアイリさんもうまくいったし、何だか嬉しいわ」


そう呟いて、再度冷蔵庫を開けて、刺身の皿を確認した。


✳︎✳︎✳︎


ドドドっと馬の蹄の音と兵が地を踏みしめる音が緩やかな丘を、地を這うようにして徐々に上がってくる。


最初は聞こえにくいものだったが、次第に大きくなり怒涛のようにうねり狂う。


大きな津波が地響きを上げて襲ってくるような、そんな光景に千景は恐れ慄いていた。


戦争がまた始まってしまう。


どうしよう、どうしたら良い?


千景はただ、見ていることしか出来なかった。


ダイン公国と、辺境にあってアルス国と同盟国だったはずのカランダル国が手を結び、アルス国に攻め込んできたのだ。


敵国同士のまさかの同盟だった。


二国の戦力を併せて、その兵の数は二千にも及んでいる。


ここアルスを占領してから、二国で領土を争う気なのだろうか。


それはもう、アルスの命運は風の前の塵に等しかった。


誰もが、植民地になることを享受しなければならなくなった。


圧倒的な力の差に、王でさえ、その戦意を失っていた。


「アイリよ、お前は逃げるのだ。俺と一緒にいては、お前が酷い目に遭うだろう。来世で、またお前と出会えることを願っているぞ。愛している、お前だけを、」


王がアイリを抱き締めている。


アイリの名を繰り返す。


そして、ぐっと離すと、泣き叫ぶアイリを近衛兵の二人が無理にも引っ張って連れて行く。


何ということだ、千景はおろおろとするだけの自分を、とてつもなく無力に感じた。


ここへ来る時に見た、あの大波が押し寄せるような黒い塊。


甲冑を纏った兵が連なる、その大軍。


小国アルス国がこの軍勢を前にして、勝てるはずもなく、そして誰もがその変えようもない事実に打ちひしがれていた。


そんなアルス国の兵は、まだ建て直している最中であったのに。


まだ新兵を募って間もないというのに。


さらに、前回の戦では大活躍であったレイーシン両精鋭部隊は、現在遠征に出ていて不在であった。


その隙を突かれたと言っても過言ではない。


そして、歴然とした兵力の差に、忸怩たる思いで王は皆の前に立っている。


なす術がない、完膚なきまでに手の打ちようがない、そんな気持ちが皆の心を占領してしまっていた。


伝わってくる、この人々の絶望だけが。


千景は皆と同じように、観念した。観念するしか無かった。


こんな場面では、リンの進言も役には立たないだろう。それが分かっているからだろうか、リンの声は聞こえない。


滅びるしかないのだろうか。盛者必衰の理と言う。そうやって、次々に国は滅んでいくしかないのだろうか。


強者に蹂躙され支配されても、その強国すらまた違う強者に倒される。


見ていられない、千景は逃げた。顔を湯から上げた。そして、滴る湯と一緒に、涙も滴らせていった。


✳︎✳︎✳︎


「一時休戦を提案してみましょう」


ユアンが言う。


三日前に降った雨でぬかるんでいたこの地へと進軍してきた敵の兵を前に、シャイル王は決断をしかねていた。


「精鋭部隊が不在だということを知った上での進軍だぞ。休戦の提案などには乗るまい」


「ですが、あと二日ほどは時間を引き伸さなくては」


「伝令を出してください」


王が顔を上げた。手で制して、そこにいる全ての者の動きを止める。


「少し待て、リンが喋っている」


「うちの精鋭部隊が、ダインの王を人質に取ったと、広めたらどうかな。カランダルより、ダインの城の方が警備が手薄であることは、カランダルも知っているから、その情報もあり得ると思わせることが出来るし、確認の人馬を走らせれば、それだけで半日は稼げる。もし、うちがダインの王を人質に取っているなら、昔の同盟のよしみでうちに寝返ることも考えるだろうから、カランダルも色々作戦を練り直すはず。それで更に半日は稼げると思う」


「分かった。ではこうしよう。ダインの王を人質に取ったと告げて、我が国は交渉を持ちかける。その間に油壺の準備を完了させよ」


王がそこまで言って、言葉を切る。


「ユアンにも作戦を詳しく説明し、思惑通りに行くかどうか、聞いてね」


そっと耳打ちをするかのようなリンの声。王は何事もなかったように、ユアンに尋ねた。


「ユアン、この策はどう思うか? リンの策に不備があるなら教えて欲しい」


王が策を説明し始めると、ユアンと呼ばれた黒髪の美丈夫が、一歩前へ出た。


そして、ソウジュの他、将軍数名が王の周りにぞろぞろと進み出た。


半時ほどの間に、彼らは自分の役割を確認すると、ばたばたと部屋から出ていった。


シャイル王がどっかと、椅子に腰掛ける。はあっと息を吐いて、天井を仰いだ。


「リン、お前はそこから見ているんだろう。敵軍の様子も見えているのか?」


「見えているよ。王様、あなたにはこんなことを言ってはいけないのだろうけど、」


リンが言い淀む。


「良いぞ、言え。どのようなことでも、その言葉がお前のものなら、甘言でも苦言でも聞き入れよう」


「凄い数。けれど、その敵軍の兵の一人一人にも、家族がいる」


「……そうだな、愛する人もな。俺と一緒だ」


「あなたは良い王になると思う」


「そうありたいと、常々思ってはいるのだが」


王が苦く笑い、その表情を歪ませる。


「アイリさんがそれを助けてくれるよ」


「相変わらず、お前の言葉は力強い」


はははと豪快に笑うと、


「少し休みを取る」


「おやすみなさい」


王が出て行き、そして部屋は、しんと静まり返った。


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