真実との対峙
「・・・コレッティア、」
「あっ、殿下! やっと来てくださったんですね!」
薄暗く狭い牢の中で、暗く濁った視線を湯かに向けていた彼女は、牢の前に立つ私に気付いてパッと瞳を輝かせた。
「こんな場所で一人閉じ込められて何度お願いしても殿下に会わせてもらえなくて、私、とっても寂しかったんですよ」
頬を膨らませて拗ねるような態度を取られても、もう愛しさに胸を締め付けられるような感覚に襲われることはなかった。
「ねぇ、殿下。私をここから連れ出しにきてくださったんでしょう? 早くここから出して。早く殿下の腕に抱かれたいわ、いつものように私に愛の言葉をちょうだい・・・?」
鉄格子にしがみつくようにして私を見上げ、瞳に涙まで浮かべてみせる彼女は、しかし自分の罪を認めているようにはとても思えなかった。
彼女が言葉を重ねる度にあの日と同じ、いや、それ以上の悪臭が鼻につき、反射的に鼻を押さえるが、この悪臭は実際に鼻で嗅ぎとっているわけではないからなんの打開策にもなっていない。
「コレッティア、今日は話を聞きに来たのだ。ここから出すことは、まだ出来ない。だが、正直に全てを打ち明けてくれたなら、この場所から連れ出すことができるかもしれない」
私の言葉に心底安堵したような表情を浮かべたコレッティアに、心の中ですまないと一言詫びてから練習してきた魔法の文言を短く呟いて、持ってきていた魔石に力を込める。
すると何かを喋ろう開いた口をはくはくとさせた後、異変に気付いた彼女の眉がつり上がり、その瞳は剣呑な光を湛えて暗く輝く。
「ちょっと、なに、何なの?! 私に何をしたのよ!」
今まで私に見せてきた姿とのあまりの違いに、驚きのあまりしばし固まってしまった。
そんな私に、場違いにも明るい女の声が掛けられる。
「殿下~、そろそろ魔法効いてきました~?」
「ああ、もう出てきて構わない」
私の言葉に、女が嬉々とした様子で現れる。
マリアンヌとの婚約を破棄しようとした時に文句を言いに来た、妙な女だ。
女は感慨深げに呟いた。
「やっとマリアンヌ様のお役に立てるわ・・・」
この妙な女とは、コレッティアへの処罰を考え直すように言われ悩んでいるときに学院内で再会した。
「お悩みですか?」
コレッティアが私を真実愛していたわけではないと知ってしまった東屋でベンチに腰掛けぼんやりとしていると、聞き覚えのある声に問いかけられた。
顔を上げると、女が満足げな笑みを浮かべて立っている。
一瞬、誰だと思いかけて、あの時のマリアンヌを敬愛してやまないと言い切った女だと気付く。
剣のある表情しか見ていなかったから、一転して好意的な表情に気付くのが遅れた。
「お前か・・・」
「お前とは失礼ですね」
「仕方ないだろう、私はお前の名前も知らないんだから」
「貴女とかなんとかあるじゃないですか。まあ、いいですけど」
呆れたように言って、女は隣に座っていいかと声をかけ、返事もしない内にさっさと座ってしまった。
「まだ許可を出していない」
「いいじゃないですか、この方が話しやすいですよ」
「お前と話すことなどない」
「話した方が楽になりますよー。私はただの庶民ですから、何を聞いてもそれを伝える相手も、伝えたところで信じる人もいません」
なんて図々しいと眉を寄せるが、女は気に止める素振りもなく、勝手に話始める。
不敬であるが、それを咎める気力もない。
「コレッティア様、やっぱり魅了を使っていたようですね」
「・・・なんで知っている」
まだ一般には公開していない情報だ。
「殿下が魅了の力に惑わされていたなんて、醜聞もいいところですからね。おおっぴらには話せませんけど、学院内で起こったことですし、みんな知ってますよ。人の口に戸は立てられないってことです」
当たり前のことだと、そんなことも分からないのかと言われているような気がして思わず頭に血が上るが、結局は女の言っていた通りだった負い目があるから拳を握ってやり過ごす。
「それで、殿下は何を悩んでるんですか? って、どうせコレッティア様のことなんでしょうけど」
お前に私の気持ちが分かるものかと思いつつも、以前話した時の女の言葉を思い出す。
まるで見てきたようにコレッティアの言葉を言い当てた女だったら、もしかするとこの悩みを払拭する何かを知っているんじゃないかと考えてしまう。
ぽつりぽつりと話す私に、女は真面目な顔をして唸りを上げる。
「うーん、そうですねぇ。私には殿下の背負うものの重さだとか責任だとか、さっぱり分かりませんから、そういうことはマリアンヌ様に相談してください」
「マリアンヌに相談なんかできるかっ」
「なんでですか?」
きょとんとした顔で見上げてくる女に思わず溜め息をつくと、ふんっと鼻を鳴らして睨まれた。
なんて女だ。
「他の女とか部下にかっこつけるのはいいですけど、マリアンヌ様にくらい甘えて頼ってみたらいいじゃないですか。きっとお喜びになりますよ。好きな男を支えたくて、頼られたい一心であれほどご立派な方になられたんですから」
「・・・それは、善処する」
満足げに頷いた女は、上機嫌に話し出す。
とても分かりやすい。
そんな女が少しだけ羨ましいような気がした。
「あ、でも、コレッティア様のお考えだったら、私に任せてください。あの女の企み・・・暴いてやろうじゃありませんか」
「そう簡単にはいかないんじゃないか? 上がってきた報告によると、どうやらまともなことは何も言わず、わけの分からない言葉をわめき散らしていて、気でも違ってしまったのではないかという話だ」
コレッティアへの罰を考え直す材料とするため、彼女の尋問を担当した者に話を聞いたが、真実しか話せなくなる魔法を使ってもわけの分からないことを訴えるか、色仕掛けで脱出を試みるか、魔石で押さえ込まれていて使えるはずもないのに魅了の力を遣おうとして倒れるかするばかりで、まともな会話も成立しないらしい。
せめて彼女の本当の目的を、その企みの全てを暴くことができれば、この胸のうちに重くのし掛かる迷いも払拭できて、彼女に正当な罰を与えることに躊躇いもなくなるのではないかと思ったのだが。
「大丈夫ですよ、コレッティア様のわけの分からない言葉、私には理解できますから。・・・私に、任せてください」
「・・・私は何をすればいい?」
自信に溢れた女の言葉に賭けてみたくなって、そんなことを聞いてしまった。
任せたところで解決する確証もないのに。
「まずはコレッティア様とお会いする手筈を整えてください。逆上して掴みかかってこないとも限らないので、牢から出す必要はありません。殿下だけ先にお会いになって、牢から出られるという希望を与えて安心したところで真実しか話せなくなる魔法を使ってください」
「希望を・・・?」
「殿下が現れるだけで十分、牢から出られるという希望になります。そこに言葉でも安心を与えてください。殿下はだいぶ舐められてますから、難しいことはないでしょう。あとは私の出番です」
「・・・ふむ」
「いつまでも殿下がうじうじ悩んでいたら、マリアンヌ様
お心まで曇ってしまうじゃないですかっ! 男なら腹括ってコレッティア様とのことを精算して、マリアンヌ様とちゃんと向き合ってください!」
どうにも引っかかる言葉があったが、飲み込んで考える。
一度この女に賭けてみるのもいいだろう。
自分の不利も考えずマリアンヌの無実を訴えに向かってきた姿を思い出すに、女がマリアンヌに心酔しているのは間違いないだろう。
それに、最後の言葉が私の背中を押した。
「わかった。今日中に手配して明日にはコレッティアにあえるようにしよう。明日の昼頃、お前の家に迎えを寄越すから、準備しておけ」
「さて、それじゃあ、ここからはしばらく任せてください。殿下には意味の分からない言葉が出てくるでしょうが、質問は後にしてください」
「わかった」
神妙に頷けば、女が私を庇うように私の前に出た。
仁王立ちで牢の前に立つ姿は、女にしておくのが惜しいくらいには勇ましい。
「初めまして、コレッティア」
「・・・誰よ、あんた」
「私の名前は・・・そうね、昔は植草茉莉と呼ばれていたの。あなたには馴染み深い響きでしょ。貴女の名前は?」
「・・・しらな、っ、っ! あきも、り、れい、っな」
「ふーん、秋森玲奈、ね。やっぱり日本人だったんだ」
「あ、あんた、なんで・・・っ」
所々、上手く聞き取れない言葉を交えながら二人は会話を続けていく。
コレッティアは仇を見るかのような鋭い視線で女を睨み付け、女の方はそんなコレッティアを嘲るように笑っている。
「転生者があなただけとは限らないでしょう? まあ、私はモブだけど」
「ふんっ、たかがモブの癖にヒロインの私に楯突いてんじゃないわよ。私の殿下に近付かないでっ」
私の殿下、その言葉に思わずコレッティアを見つめると、女がゴミでも見るような冷たい目で私を見た後、にっこりと音が出そうなほどの笑顔を浮かべてコレッティアに向き直る。
「ねえ、秋森さん。あなたは殿下を愛しているの?」
「もちろん、愛して・・・っ、ない、わ」
勢いよく愛していると続けられるかと思った言葉は途中で詰まり、コレッティアは首を振り口を手で覆い、言葉を続けるのを押し留めようと必死に堪えようとしていた。
だが、魔法の効果が切れるまで、コレッティアは真実しか口にできない。嘘もつけなければ、心にもない愛の言葉を囁くことなどできないのだ。
彼女に愛を囁かれてきた記憶が、ガラガラと音を立てて崩れ去っていく。
「じゃあ、あなたが本当に愛しているのは、誰?」
「っ、あ、アル、ベルト・・・っ」
「アルベルト様のことを愛しているのね。殿下を愛していると言っていたのは全て嘘だった、と、そういうことでいい?」
悔しげに顔を歪めながらも、その唇ははっきりと真実の言葉を紡いでいく。
「っ、っ、っ、なんなのよ、もう! 殿下なんて愛してないわよっ! アルベルト様に会うために攻略してやったのに悪役令嬢との婚約破棄すらまともにできないで、変な魔法まで使ってきて、使えないったらないわ! こんな役に立たない顔だけ男なんていらないわよっ!」
「うーわ、悪役令嬢モノの典型的な転生ヒロインちゃん思考だわ・・・」
呆れたように呟いて、女が振り返る。
どうする?とでも問いかけるように首を傾げる女は、もっと詳細を聞きだすように言えばそう出来るのだろう。
だが、もう十分だった。
コレッティアと過ごした甘い記憶が音を立てて崩れ去り、その穴を埋めるように暗いものがふつりふつりと沸き上がる。
全てが計算だったのかと思うと、怒りも悲しみも通り越して、いっそ笑いが込み上げる。
「もう、いい。行くぞ」
「はーい」
気を抜くと笑ってしまいそうになるのを懸命に堪えて、コレッティアに背を向ける。
まだ何事か叫んでいたが、今はもうそれらを耳に入れることすら煩わしかった。