第31話 幸せだよ
――翌朝。
すでに全員が社長室に集まっていた。疲れているはずなのによくこんな朝早くから集まれるな、なんて感心しながら、寝癖のついた頭で部屋に入る。
まぁ、空気は何かに押しつぶされているかのような重さだけどな。
天と希はいない。希が近くにいればひとまず、安心だ。天が休めているならそれでいい。
……天が来ていないことに対して、どこかホッとしているオレがいた。オレのことが分からないと言われた時、何とも形容し難い思いに駆られた。
「よし。みんな揃ったな。朝一で、昨日言っていた一番信頼できる会社にアポを取った。三日後、例の住所に納品予定とのことだ。虎と蘭さんはそこの会社のコンテナに納品物として潜伏するという作戦だ」
「さすがの私たちも荷物として運ばれるのは初めてね? あ、虎は一度誘拐されて車のトランクに入れられたことはあったかしら」
「うるせぇ。思い出させんな」
アイコーポから逃げ出した直後は色々あった。ホントに。大抵のことは経験してきたと思ったが、ここにきてまた新しい経験を積むことになるとは。
「大き目の段ボールを用意して、緩衝材を多量に入れてそこに入ってもらう」
「あらあら。随分とまぁお粗末な」
「こればっかりはどうもならないんですよ。耐えてください」
「仕方ないわね。なるべくふかふかな緩衝材で頼むわ」
ということは、R-METの呼び出しがない限り三日間やることないのか。オレは大きなあくびをして社長室を出ようとする。
「あら、虎。どこに行くの?」
「もっかい寝る。今日はやることないだろ」
「……天くん。診察しに行くわよ」
「オレたちが行ったら天のストレスになるだろうが」
それ以上話すことはないというようにオレは再び足を進める。
「逃げるのを止めなさい。虎」
蘭の低い声が社長室に響く。オレの足は床に吸い寄せられたみたいにピタリと止まる。オレは蘭のことを睨みつけるようにして振り返った。……今、なんつった?
「あー? 聞き間違えか? 誰が逃げてるって?」
「あなた、医者なら治すことだけを考えろと前に言ってたわよね?」
「あぁ。だからだ。今の天には刺激を与えねぇほうがいい。オレたちを見たら、また昨日みてぇになる」
「ああ、そう。私には天くんに会わなくていいように言い訳しているようにしか聞こえないけれど」
「んだと……?」
オレは足音を響かせながら蘭に近づく。いつも医学的根拠を持って判断すれとか言ってくる癖に何で今日はこんなに突っかかってくるんだ。
身長差が嫌になるな。蘭は冷ややかな目をオレに落としてくる。
「過保護過ぎよ。過剰な気遣いや、支援は治癒を遅らせるわ。十分も二十分もお話しするわけじゃない。ただ少し様子を見に行くだけ。……それすらもしないなんて薄情だと思わない?」
「……ッチ。三分だ。とっとと済ませんぞ」
社長室の扉を勢い良く開ける。そして隣の天の部屋へ向かった。
立ち止まる。そして、扉をノックする手も一瞬止まる。
蘭の言葉が頭の中で繰り返される。
『逃げるのをやめなさい』
……逃げてなんか、ねぇ。
オレは、目線をしっかりと上げ天の部屋をノックする。すると、希が扉を開けてくれた。
「あら。朝のミーティング終わったのねぇ? お疲れ様」
「……天は?」
「いるわよぉ」
天はベッドサイドに座っていた。スマホを弄り、動画を見ている。
オレたちが来たことに気付き、目線をこちらに向ける。柔らかな笑顔を浮かべ、いかにも小学生低学年っぽい生き生きとした声で話しかけてくる。
「あれ、昨日のお兄ちゃん? ええと、確か……虎!」
オレの手の指が無意識にピクリと動く。昨日オレ、名前言ったから……名前、覚えててくれたんだな。人懐っこいのも元々か。オレと出会った時も、妙に馴れ馴れしかったのを今でも鮮明に覚えている。
『こんなこと言うと不謹慎なのかもしれないけど、綺麗だった』
警察十人メスで切って動けなくして、出た感想が『綺麗だった』って……。本当、昔から抜けてるって言うか馬鹿って言うか……。
目をキラキラと輝かしている天。オレは中腰になり、天と目線を合わせる。
「天。苦しいとか、辛いとか。そういうのはないか?」
「ないよ! 虎は? 昨日あんな泣いてたじゃんか。今日は大丈夫?」
「……それ、あんまみんなが居るとこで言うな」
「あ! ごめん」
天の笑顔を見て、オレも自然と表情が和らぐ。英雄という肩書きがないと、こんなにも天は楽しそうに過ごせるのか。改めて、英雄という枷が天にとってどれだけ重いものだったのかを思い知らされる。
「天は今幸せか?」
オレの口から零れ落ちた。医者として聞いたわけじゃない。友達として聞いたわけでもない。ただ、目の前の天があまりにも幸せそうに笑うから。自然と、零れ落ちてしまった。
天は無邪気な表情のまま口を尖らせながら考えていた。
「うーん。ここはさ。退屈なんだよね。なんもやることないし。今だって動画見るだけしか暇をつぶせなかったし」
「それは幸せな悩みってやつじゃねぇのか?」
「えぇ? そうなの? 俺さ。友達と遊んだりして友達が笑ってるのを見たりするのが好きなんだよね。蓮も奏も忙しそうだし、遊べてないし、幸せじゃないよ今」
天はムッとした表情を浮かべていた。……天は、小さい時から自分のことじゃなくて他人のことをまず考える奴だったんだな。そして、他人の幸せを自分の幸せのように噛みしめることが出来る人間だった、と。
随分とまぁ……、はぁ……眩しい奴だ。
「ねぇ。虎。虎は今幸せ?」
聞かれると思わなかった質問をされて、オレは目を見開く。幸せか……って。
オレは天の顔を見たまま固まる。天は真っ直ぐな瞳を俺に向けながら黙って待ってくれている。そんな純真無垢な姿を目の当たりにすると、自然にオレの口は開いていた。
「……天。今のお前には、何を言ってるのか分かんねぇかもしれないけど聞いてくれるか?」
天は、黙ってうなずく。
「十年前、下水道でお前と会わなかったら……オレは今も地べたを這いずり回って生きてたと思う。医者にだってなってなかった」
互いに視線を外さず続ける。
「決して褒められるような人生は送ってきていなかった。力で全部を解決して、化け物なんて言われて。でも、そう言われても仕方なかったんだ。そういう生き方をしてきたから」
オレは一呼吸置き、天の肩に両手を置く。
「……そんなオレを救ってくれたのはお前だ。天。日の当たる方へ引き上げてくれたのはお前なんだよ。オレは……お前と出会ってからずっと幸せだよ」
天は言葉の意味を完全には理解できていないようだったが、オレの真剣な眼差しを受け止め、嬉しそうに「うん!」と屈託のない笑顔を浮かべる。
「虎が幸せなら、俺も幸せかな!」
「……まぁ、天がやりたいように過ごせ。今はそうだな。夏休みみたいなもんだ」
「俺、夏休みあんま好きじゃないんだよなぁ。暇なんだよ」
「あー? 暇ならよ。宿題出してやるよ」
天は「えー」と文句言いたげな表情を作る。
「文句言うな。……毎日、その日楽しかったこと三つでいいから探せ。そしてオレに教えろ。いいな?」
「そんなのでいいの?」
「……漢字の問題集でもネットから拾ってくるか?」
「えー、嫌だ嫌だ。分かったよ。三つでいいんだね」
「……あぁ」
天が天井を見るようにして、楽しかったことを考えているようだ。そんな様子を傍目にオレは天に背を向け、部屋を出ようとする。
「虎! また来てね」
オレは振り返らず、片手だけを上げて部屋を出た。
蘭も後ろからついてくる。
「……何、にやけてんだ」
「え? あら嫌だわー。後ろに目でもついてるのかしら」
「うぜぇ」
連日の出動と心労でオレの身体は疲れ切っていた。自室に戻り、R-METの出動要請が来ませんように、と祈りながらオレはベッドに身を沈めて静かに目を閉じた。




