第29話 忘却
「二人ともおかえ……」
アイコーポの最上階に着くと、愛が出迎えてくれた。天はあの後、目を覚ました。だが、目線は全く合わず虚空を見つめていた。話しかけても、反応がない。「歩けるか」と聞いても、座ったまま動かない。肩を貸してやると、ほんの少しだけ身体を預けてきた。
「虎……? 天……?」
愛が戸惑いを浮かべながら、オレたちの全身をチェックする。聞きたいことは山ほどあるが、聞いていいものだろうかというような表情をしていた。
……とにかく、疲れた。休みたい。
「愛。事情は後で話す。とりあえず、天を運ぶの手伝ってくれ」
「……分かった」
天は何も喋らなくなった。……重たい。ずっしりとした重みが、天が抱えているすべてのものだと思えた。あぁ。こんなに重かったのか。こんな重さをお前は今まで抱えてきたのか。……なぁ、天。オレは、お前に何をしてやれる?
「……愛。ありがとう」
「う、うん」
天を部屋まで運び、制服を脱がせベッドに横たわらせる。
天は目を開けたまま、天井をじっと見つめていた。声をかけても、もう何も返ってこない。 オレと愛はそんな天の様子をベッドサイドで静観することしか出来なかった。
「……何があったの」
「目の前で救助対象者がAIに殺された。その後、救助対象者の配偶者が天に酷い言葉をかけていた。クリエイトの発現時間三十秒を超えてこのざまだ」
「そう……」
オレはフラフラと天の部屋を出ようとした。すると、天の最後の力を振り絞ってやっと出たかのような声が聞こえてきた。
「……もう、楽になりたい」
体温が一気に冷え切る。血管に氷水を流し込んだみたいに。
何も聞こえなくなった。何も感じなくなった。何も見えなくなった。何もかもなくなった。
気づくとオレは、思い切り壁を殴っていた。一回、二回、三回……。四回目を殴ろうとしたところで愛に止められた。
「と、虎! 血、出てる! やめて!」
「……っ」
こんなにも拳が抉れているのに何も感じない。こんなだから天のことも何も察してあげられねぇんだ。自嘲気味に笑う。あぁ、オレはスクラップだ。本当に。
オレは逃げるようにして、天の部屋を後にした。
自室に戻って布団もめくらずベッドに倒れ込む。柔らかい感覚がオレを包んだ。もう、一ミリも動けねぇ。頭の中は天のことだけ。答えが出ない問題ばかりグルグルと巡る。……やめてくれ、もうオレは疲れてんだ。
うつ伏せで寝ていると、身体に柔らかいものが掛けられた感覚があった。
「お疲れ様ね」
「……寝る」
オレは蘭が掛けてくれたタオルケットに潜り込み、解決すべき問題から逃げるようにして瞼を閉じた。
『ひぃっ!? も、もうやめてくれ! 抵抗しない! ぎゃっ!?』
一人。
『お前らのことはもう追わないっ! だから、勘弁……がっ!?』
二人。
『ば、化け物……! 化け物!! ぎぃっ!!』
……三人、五人、十人あたりから数えるのをやめた。
オレは自分の手の平を見る。血みどろのメスと、血みどろの手。そして、足元には数えきれないほどの人々が倒れ、呻き声をあげている。血なまぐさい鉄の臭いがいつまでも鼻腔内に残る。
蘭に言われ続けた。『殺すな』と。その約束だけは絶対に守れと言われていたから。守り続けている。
蘭はオレに日の当たるところで生きてほしいようだ。普段の態度から痛いほどに伝わってくる。……自分は日陰に居続けている癖に。
――でもよ、蘭。
今回ばかりは、オレ、もう日陰側に。いや、もっと。もっと、もっと深淵に。沈むしかないと思うんだ。
『化け物』
何とでも言え。オレは最初から壊れてんだ。
ただ、天。お前が壊れるのは違う。お前みたいなお人好し馬鹿は日の当たるところで、愛や蓮、奏、翔と笑ってりゃいいんだよ。
お前が。お前が守ったこの世界で。お前がもう生きられないって言うなら。
オレが。
全部。全部。全部。全部。全部、全部、全部、全部、全部、全部、ゼンブ、ゼンブ、ゼンブ、ゼンブ、ゼンブ、ゼンブ…………ぜーんぶ。
――ぶっ壊してやるから。
目が覚め、スマホを見るとすでに時刻は二十三時をまわっていた。室内は暗い。蘭は寝ているようだ。
さっきまでのモヤモヤが嘘かのようにオレの頭は、冴え切っていた。
自室を出るとオレは真っ直ぐ天の部屋に向かう。愛に任せきりになってしまった。まずは愛に謝って……。天とは、何を話そうか。
そんなことを思いながら、天の部屋を開ける。……暗い。常夜灯がついている。寝ているのか。
部屋の入り口から見えるソファを見ると、愛が寝息を立てているのが確認できた。天を一人にしないでくれたんだな。
そして俺は部屋の入り口から、ちょうど死角になっていて見えない天のベッドへと足を進めた。
「……?」
天はベッドサイドに腰を掛けていた。そして、手の平をじっと見つめていた。天がじっと見つめているものだから、オレもそれを凝視する。そして、それに気づくのに時間はいらなかった。咄嗟にオレは天の手首を力任せに握りしめる。すると、手の平にあったそれはパラパラと音を立てて床に散らばった。
「あ……」
「何してんだてめぇ」
常夜灯でよく見えなかったが、徐々に目が慣れてきて天の表情が確認できるようになってきた。オレはちょっとした違和感を覚える。……妙に、幼い雰囲気だ。
「お薬の時間だったから」
「薬は飲めば飲むほど効くわけじゃねぇ。今のはオーバードーズだ」
「オーバー……? お兄さん、お医者さんみたいだね?」
お兄さん? お医者さんみたい? 何、ふざけたことを言って……。
「虎……いるの? 電気、つけるね」
オレたちのやり取りを聞いて、愛がもぞもぞと起き上がり電気をつける。天の顔が今一度鮮明に確認することが出来た。そこには数時間前まで無表情で天井を見上げていたのが嘘かのような、キョトンとした顔の天が座っていた。
「あれ、女の人もいる。お姉さんたちは誰? というか、ここ家じゃない? どこ?」
「て、天? え? 何? あはは。冗談やめて?」
「ん? 冗談なんて言ってないよ。ねぇねぇ。お姉さんたちは誰?」
「と、虎……」
愛がオレに説明を求めるかのように見てくる。
……あぁ。そういうことか。心が、自分を守ろうとしてる。
「天。オレの顔、見ろ。気分悪くねぇか?」
「ん? 元気だよ」
「……オレは虎だ。お前の、友達」
「……友達? うーん」
天は首を傾け、オレの顔をまじまじと見つめてくる。そして、無邪気な笑顔を浮かべ――、
「ごめん。分かんないや!」
サァっ、と。血の気が引いたのが分かった。夢の中での決意もどこかに飛んで行った。
――問診。問診、続けないと。あと、何聞けばいい。
指先が震え、視界がブレる。息、し辛れぇ。……苦しい。息、吐け。吐け、吐け……。
「……お兄ちゃん?」
これは、恐らく解離性――。
「……なんで、泣いているの?」
「あ……」
天に指摘されて、オレは頬に伝う涙をぬぐった。オレ、泣いて……?
……ッ? ……痛い? あぁ、痛いんだ。胸の奥がギュッと引きちぎれるように、痛い。
天がオレの頭に手を置いて、オレの頭を力任せに撫でた。
「痛いの痛いの飛んでけ! 母さんがよくやってくれんだ。飛んでった?」
天がオレの目の前で笑う。屈託のない笑顔で。こんな曇りのない天の笑顔を見たのは何年ぶりだ? 思い出せないほどに過去のことに思える。
……眩しい。視界にとらえるのが嫌になるくらい。眩しい。
止めどなく溢れ出て来る涙をオレは流し続けた。天。こんな時でもお前は人の心配か。
……? 誰かが笑ってる? 何がそんなに可笑しいって言うんだ? なあんも可笑しくねえぞこの状況。
……あぁ。
…………笑ってるのは、オレか。
オレは泣きながら笑う。
――誰か。誰でもいい。助けてくれよ。




