第3話 絶体絶命
廊下側から入ってくる煙の量が徐々に増えてきている。教室の扉の窓から火が覗き込んできているのが見えた。生徒たちには姿勢を低くしてもらい、ハンカチを口に当ててもらっている。これは煙を完全に防ぐものではない。でも、何もしないよりはいい。
「西園寺先生」
安田さんが僕の近くに来て、不安げな表情を浮かべていた。
「……安田さん。不安だよね。もう少しで、救助が来ると思うから頑張ろう」
「不安……だけど、西園寺先生が冷静で優しいからみんな落ち着いてられるんだと思う」
「……優しい、か。正直、気の利いた言葉が浮かばなくてさ。親友の言葉を借りてしまった」
「親友?」
「あぁ。僕の一番の親友さ」
そう言った瞬間、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。それと同時に、明らかに緊急車両とは違うエンジン音が近づいてくる。生徒と共に外の状況を確認すると、普通乗用車が校庭を爆走し急ブレーキを踏んでいる様子が見えた。
素早く車から降りる、レスキュー隊の鮮やかなオレンジ色の制服を着て赤毛をたなびかせる男。そのがっしりとした背格好は僕の知人の中で一人しかいなかった。
「やっときたか……! 天!」
生徒たちが、わっ、と沸く。
「あれって英雄じゃない?! 英雄の小鳥遊天だよ!」
「うわぁ! 本当だ! 本物だ!」
……すごいな、天は。あんなに不安がっていた生徒たちの表情が一気に明るくなった。
「蓮! 無事か! 教室内の人数は! 負傷者はいる!?」
生徒たちの目線が僕に集まる。……天と友人だということは生徒たちには言っていない。言う必要がないから。
「西園寺先生、英雄と友達なのかよ……!」
「うわー! あとでサインもらってくださいね!」
生徒たちの羨望の眼差しを受けながら、天に向かって叫ぶ。
「人数は三十一人! 負傷者はいない! 教室の扉、まったく開かない! 煙も充満してきている!」
「分かった! 窓から降りる準備する! えぇと、アッコさん?」
「翔からはアッコちゃんと名付けられている」
「……アッコちゃん。救助用のネットを展開できる?」
天は珍妙なロボットと何やら作戦会議をしている。会話から推測するに、救助用ロボットといったところか? アイコーポの新しいロボットだろうか? 人間の赤ん坊ほどの大きさで、コンセントのような尻尾がついていてぷかぷかと浮いている。大きな目とそのフォルムでマスコット人形を彷彿させられた。
僕が思案していると、助手席から小柄で金髪の髪を後ろで結った男が出てきた。虎も来ていたのか。僕に向かってひらひらと手を振っている。天とは対照的な紺色の制服を着ている。確か虎は今研修医だったよな。あの様子だと、天にR-METへ勧誘されて出動しているといったところか。
「西園寺先生、あの柄の悪そうな人とも知り合いなんですか?」
「あれも友達だ」
生徒たちがざわつく。どういう交友関係しているんだろう、という声が聞こえてきた。
サイレンの音が近づき、レスキュー隊も到着。天の指示で、校舎内に入ってきた。これで校内に取り残された他の人たちも救助されるだろう。
僕の眼下ではアッコちゃんと呼ばれたロボットが救助用のネットを張り巡らせていた。丈夫なネットに見えるが大丈夫なのだろうか。
「蓮ー! 準備完了! 飛び降りて!」
ここは三階。度胸のある人でも躊躇する高さだ。生徒たちはもちろん、たじろいでいる。
「アッコちゃんが、心配だったら重めのものを落としてみろだって!」
……机を網に向かって落としてみる。すると、網は机を包み込むようにして衝撃をおさえていた。バウンドしてどこかに飛んでいかないかだけ不安だったが、杞憂のようだ。想像以上の衝撃吸収だ。どのような素材で構築されているのだろう?
「なんかあったら俺が必ず何とかするから! みんな安心して降りといで!」
生徒たちは互いに頷き合い、順番に降りていく。天は生徒たちが着地するのを見守り、虎が生徒たちを校庭の真ん中あたりまで誘導して体調確認をしていた。
最後の生徒が飛び降りたのを確認し、いよいよ最後は僕の番になった。
「生徒三十一名。避難完了。あとは蓮だけだ!」
天が笑顔で僕の方を見ている。僕は机の上に立ち、飛び降りようとする……が。
……? 雨? 頭の上に水滴が落ちる感覚。それは、僕の頭に落ちると頬を伝ってきた。不快な感覚に僕は思わず、頬を撫でる。――生暖かい、液体。
眼下の天が先ほどの笑顔から一転、驚愕の表情を浮かべているのを見て僕は天の言葉を待たずとして教室に飛び込んだ。
「蓮!! 逃げろっ!!」
後ろ向きにジャンプした僕の身体は、背中から思い切り教室の床に叩きつけられた。苦悶の表情を浮かべつつ、教室の外を凝視していると、人……の、形をした何かが学校の壁に蜘蛛のように張り付き涎をたらしながら、僕のいる教室を覗き込んでいた。関節が軋むの音なのだろうか。ギチギチと不快な音を動くたびに鳴らしている。
「正午だぞ? 返事は?」
「……学校をこんなにしてそれはないだろ」
「正午まで何もしないとは言っていないからなぁ?」
首をあり得ない角度に曲げ、壊れたラジオのように機械音が混ざりつつ笑う黒ずくめ。こいつは……人間じゃなくアンドロイドだったのか!
「返事の前に一つだけ聞いていいか?」
「あぁ? 答えられる範囲ならなぁ?」
「最近起きている災害は全部……お前たちの仕業か?」
「さぁな? そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないなぁ!? あぁああぁ?! さっき英雄もいたのが見えたなぁ? あいつを殺、殺し、殺したらボス喜ぶなぁあああ? あがっ、あがああはっ、ははははあああはあっはあは!!!!」
ビキビキと音を立てながら、異形なモノへと形を変貌させていく。言葉を発しているようで、それはもう言葉と認識できないくらい壊れているものだった。身体がどんどん再構築されていく。尾、足、鋏のような手、三日月のように避けた口、鋭く尖った牙……。蠍を彷彿させるような化け物へと変貌した。
「ヘ、ンジ……ハ?」
「…………っ」
「ハ、ハ、ハ。ジカン、ギレェ」
蠍AIは尾を僕の方へ向けると細かい粒子のようなものを出してきた。微細な黒い粉のようなものが教室中を漂う。体の中に入れてはいけないものだと瞬時に判断し、僕はハンカチで鼻と口を覆う。
「……オレ、ナニモカンガエラレナクナッテ? アァ? ア? マ、イッカ? ヤケシネ。ギャ、ギャギャギャギャギャッ!!」
蠍AIは壁を滑るように降下していく。追いかけるようにして窓の外を見る。
アッコちゃんの張ったネットがあったが……自慢の鋏でネットを切り刻んでいた。そして、蠍AIと天・アッコちゃんが対峙するような形になってしまった。
僕の後ろでは火の手が教室前まで迫ってきているのが確認できた。そして、教室の中は黒い粒子が浮遊している。こちらも絶体絶命だ。
僕は右のこめかみをトントンとノックする。教室に漂う黒い粒子はなんだ? 毒物? アッコちゃんのネット破壊。窓からの救助不可能。敵の目的は僕から天へ変更。天は救助活動を行えない。他の隊員の到着を待つか? いや、そんな時間はない。
……自力で脱出するしかない! 僕は外の様子を確認する。目測、十数メートル先の中庭に木が二本。これは……使える。




