87.祝退院
──昨夜は嬉しすぎて何度も夜中に目が覚めては時間を確認した。
こんな嬉しい朝を迎えるのって、春に先生が日本に帰って来た日振りかもしれない。
先生が帰って来るーー!
「忘れものは~~うん。大丈夫」
広いリビングを見渡す。
ちゃんと窓も全て閉めたし、先生の着替えは昨日届けて貰った。支払いは後日佐々木さんが行うって言ってたから大丈夫。
高鳴る気持ちを抑えるのが精一杯で、何度も部屋の時計を見る。
部屋のチャイムを鳴らす音が聞こえた。
「ぴったりだわ! さすがお父様と由紀様!」
「は~い今、降ります」
約束の時間の10時ちょうどに、マンションまで迎えに来てくれた、お父様と由紀様が待つ一階エントランスに急いで降りた。
◇
「おはようございます。すいません。わざわざ寄って頂いて」
「いいのよ。どうせ同じ所だし、それに、ね? 花音ちゃんが居ないと……ねぇ?」
由紀様が、少し言いにくそうな顔をして、お父様の方をチラリと見た。
ですよね……
先生のことだから、お父様一人で病院に迎えに行くと、絶対また「帰れ」って言いますものね。
お父様が大事そうに抱えている花束がちょっと気になった。
私の視線に気づいたのか、由紀様が小声で私に耳打ちする。
「ご自分で花屋に行って選んだのよ。ふふふっ」
「あら? そうだったんですね」
先生がどんな顔をするか、ちょっと楽しみだわ。
◇
──トントントン
「おはようございま~~す」
病室のドアを開けると、ちょうど主治医である天野先生のお兄様と、そのお父様の院長先生が既に部屋に来られていた。
「これはこれは先生方、わざわざ有り難う御座いました」
お父様が、天野先生のお兄様とお父様に深々と頭を下げ挨拶をするので、由紀様と私もお礼を述べる。
「いえいえ。良かったですね、術後の経過も良好ですし後遺症の心配もほぼ無いと思っています」
天野先生のお兄様の言葉に、由紀様と肩を抱き合って喜んだ。
先生が、二人の主治医にお礼の挨拶を済ませたところで、先生方が病室を去って行った。
「貴志、退院おめでとう」
お父様が、先生に花束を差し出す。
少し先生が怪訝そうな顔を浮かべたが、由紀様が小さな声で先生に囁いた。
「お父様がお一人で花屋さんに昨夜行ったのよ。しかも自分で運転してね」
その声を聞いて、先生がお父様に呆れたような表情を向ける。
「せんせ?」
ちゃんとお礼を言いましょうね?
「ありがと」
小さな声で、少し恥ずかしそうに言う先生がとても可愛くて印象的だった。
由紀様と二人でその姿を笑っていると、先生が少し怒った顔で私達を見てきた。
「帰る」
ナースステーションの方々に挨拶をし、エレベーターに乗り込む時、先生がそっと私の手を握ってきた。
ちょ、お父様もお姉様もいるのに……
驚いて先生の顔を思わず見てしまう。
玄関ロビーに着いたと同時に、先生がタクシー乗り場に行こうとしたら、お父様に止められた。
「たまには昼飯に付き合いなさい」
「あ? なんでアンタと」
お前から、アンタに昇格しただけ、ましかしら? と由紀様と思いながら先生の手を引いて、お父様の後を歩いて着いて行く。
「行きますよ。貴志さん」
「めんどくさ」
◇
何ですかここは? 旅館ですか?
こんな都会に、こんな静かな場所があるだなんて!
美しい日本庭園の奥に、古民家のようだがとてもお洒落な建物が見える。
途中見える池には、色とりどりの鯉が優雅に泳いでいた。
上品な佇まいをした和服姿の女性が笑顔で出迎えてくれ、部屋へ通された。
広すぎず狭すぎず、ちょうど良い空間の中、席についた。
「食前酒は如何いたしましょう?」
「アルコールが入ってないもので」
お父様が和服姿の女性に答え、私達に挨拶をして彼女が出て行った後、微妙な沈黙の中、四人で料理が運ばれてくるのを待った。
何ですかこの宝箱のような美しい黒い箱は? 玉手箱? 白い煙? 出てるんですけど!!
「玉手箱? 煙出てる!」
「ドライアイスな」
「……すいません」
由紀様とお父様がほんのすこし笑いながら、玉手箱の蓋を開けた。
「かわいい!」
胡瓜や蕪に綺麗な細工をした酢の物? や、これまた綺麗な切り込みが入った人参などの炊き合わせなどが少しづつ入った弁当箱だった。
お箸で食べれるのって嬉しい!!
これだけかな? と思っていたら、次々と運ばれてくる美しい料理に都度感動していたら、お父様が微笑みながら恐ろしいことを言った。
「帰りに弁当を頼んでいます。うちの者に学院に配達させる手はずになっているから」
「ぇ?」
「留守を皆さんで守ってくれたんだから、これでは足りないぐらいです。本当にありがとう」
お父様が私に深々と頭を下げた。
「余計なことするなよ。なら俺が払う」
先生が少し不快な表情を浮かべ、お父様に言った。
「せんせ。たまには甘えてみましょう? ね?」
相変わらずの先生に、由紀様と二人で笑う。
先生はその姿にちょっとだけ、ふて腐れた表情を見せたが、美しい料理と静かな空間に流石に声を荒げるような無粋なことはしなかった。
「夜食用に差し入れとして届けるから」と言うお父様の言葉に、私はお礼を言って、マンションの前で二人と別れた。
◇
──ガチャ
「お帰りなさい先生」
「ただいま」
ちょ、せ、せんせぃ……
いきなり抱き上げられ寝室に連れて行かれた。
「せんせ……」
強く手を掴まれ、息が出来ないぐらい長い口付けの中、先生の手が少しづつ下がってくる。
「せ、せんせ。まだお昼なのに」
私の言葉を遮るように再び唇を塞がれた。彼の想いに応えるように身を任せ深い愛に悦びを感じる。
長い長い彼の愛に包まれた至福の時間が静かに終わり、先生が頭を優しく撫でた。
「止まらなかった」
「大好き!」
少し申し訳なさそうに背中を向けて言う彼に、強くしがみつきながら再び愛を請う。
無言のまま私の想いを叶える為、再び強く彼が愛してくれた。
何度も互いの愛を確認し登りつめたあと、先生が耳もとでそっと呟いた。
「ありがとうお前のお陰だ」
その言葉に私は無言で首を横に振った。
◇
「立てるか?」
「無理~~~」
「今日練習休んでいいよ」
「今日は17時からだから大丈夫ですよ。先生は留守番ですからね?」
「分かってるよ」
来週の検査結果で、今後の復帰時期の話をすることになっていた為、それまでは先生はリモート参加となる。リモートでも充分怖いですけどね……
寧ろリモートのほうが怖いかも。
ユーリさんも言っていたが、画面が真っ黒に切り替わってからの魔王様の声の怖さときたら半端なく怖い……
「ちゃんと晩ご飯食べて下さいよ? せっかくお父様から頂いたんですし」
「ラーメン食いたい」
「先生……」
「出前取ろうかな」
「先生……」
せっかくのお父様の気持ちを……
でも先生って比較的庶民的なもの食べるわよねえ。
あの御神 貴志がラーメンとポテトサラダが好きって。
絶対言えない……




