86.懐かしのトレーニング
──高科先生と一緒に職員駐車場に向かい愛車にお邪魔した。
「何かこうして高科先生と二人きりで、出掛けるのって久しぶりですよねえ?」
「出掛けるって……病院に送り届けるだけですが」
「高科先生とケーキ食べに行ったのが懐かしい!!」
以前に「可愛いもの探し」で高科先生とデートしたのが、遠い昔のようだった。
「あれ大変だったよな。『くるみ割り』にねじ込むから。お陰でこっちは振り回されるし」
「ねじ込むって??」
「当たり前でしょう? いきなりド素人の学生に、しかもソロパートある曲を与えるわけないでしょう」
「も、もしかしてそれって……」
「魔王が一曲、無理やりねじ込んだに決まってるでしょう」
「それって……大丈夫なやつでしょうか? 私、聞いちゃって」
「まぁ時効でしょうもう。全員を納得させるだけの演奏をしたんだし結果として。その分俺達は大変でしたけどね」
高科先生の苦笑いに驚きと、本当に申し訳ない気持ちで一杯だった。
「あの頃よりは、マシになったんじゃない? 『くるみ割り』は練習しなくても当然余裕だよね?」
今、無駄に1フレーズを強調しませんでしたか?
「た、多分?」
「勘弁してくれよ……俺達も巻き添え食うんですから君の魔王様に。明日朝練の後、例のやるよ」
「……ですよね」
◇
久しぶりに高科先生とゆっくり話せたことに嬉しくなり、足取り軽く高科先生から、先生への差し入れを預かり病室に向かった。
◇◆
冬にしては、温かな陽射しが差す穏やかな昼下がり、とある病院の特上個室では、先程から一触即発の緊張状態が続いていた。
「本人が大丈夫だって言ってるのに問題ない」
「主治医から許可が出てません!」
「なら許可取ってこいよ」
「無理です! 主治医からの許可が出るまで退院は出来ませんからね」
「は? 何の為のマネージャーだよ」
「そもそも貴方が私に直ぐ言わなかったから、こんなことになっているんです。それをお忘れないように。あと頼まれていたPCですが、これも主治医の許可が出てからです。まさかとは思いますが、ここで仕事しようとか思ってないですよね?」
「つかえねぇマネージャー」
「黙れ。では私はこれで失礼します。必要な物があればご連絡ください」
「PC」
「許可出たらお持ちします。では失礼します」
問答無用で部屋を出て行ったマネージャーの後ろ姿を見ながら呟いた。
「最近、あいつ生意気になったよな」
その顔は少し嬉しそうに笑っていた。
◇
──トントントン
「せんせ~~」
「お前、先に開けてるし」
「寂しかった?」
「何でそうなる」
「寂しかった?」
「拷問ですか?」
先生が笑いながら手招きする。
やっと先生の温もりに包まれて至福の時間を過ごす。
「もう少し基礎体力つけなさい」
「今、それ無し~~幸せな時間を奪わないで下さい」
「朝早くから疲れたろ。早めに帰って寝ろよ」
「やだ。ここがいいもん。ここが一番安らげるもん」
先生の心臓の音、先生の体温、先生の匂い。
「そう言えばこのまま先生、禁煙出来そうですねぇ?」
「元々そんなに吸ってませんよ」
「これを機会に禁煙目指しましょう!」
「どんな機会だよ」
優しく撫でられる温かい手のせいで瞼が段々重くなって来る。
「どっちが見舞いなんだか」
男は、両手で抱え込むように自分の腕を掴んで寝入ってしまった少女の手からそっと腕を抜いてその頭を撫でた。
すでに薄暗くなっている窓のカーテンを閉める為にベッドから立ち上がろとすると、少女の声がする。
「いかないで。お願い。私を一人にしないで」
驚いて思わずその顔を見るが、ぐっすり眠っている姿に思わず笑ってしまう。
「置いていけるわけないだろ。こんなに愛しているのに」
男は優しく目の前の少女の頭を撫でた。
そして再びカーテンを閉める為に窓に向かい、すっかり暗くなった真冬の凛とした空を見上げた。
「ありがとう」
その言葉は愛する宝物に向けたのか、それとも天に向けての感謝の言葉かは定かではなかったが、窓に映ったその顔からは、一筋の大粒の水滴がキラリと輝いていた。
──トントントン
「失礼します。いかがですか?」
夕方の回診に主治医である天野の兄が病室を訪れてきた。
「あらまぁ」
「申し訳ない。面会時間を過ぎてしまって。起こそうとは思ったんですが」
「気持ち良さそうですからね。分かりました特別と言うことで。どうですか? 変わりないですか?」
「大丈夫です。先生退院はまだでしょうか?」
「明後日、CT検査をして何処にも異常がなければ来週の頭には。ただし、いきなり無理は禁物ですよ。それを守れるのであれば」
「有り難う御座います」
医師が部屋を出たあと、目の前で熟睡している宝物を見ながら苦笑いする。
「どうするかねぇコレを」
気持ち良さそうに自分のベッドに頭をしっかりのせて熟睡中の娘の頭を軽く叩く。
「花音。そろそろ起きろ」
それでもピクリとも動かない少女の背中を今度は軽く叩きながら起こす。
「花音。起きろ」
「んーーん、う。んー。せんせ? あれ?」
眠そうな顔で見上げる宝物をそっと抱き寄せ頭を撫でながら、再度囁くように優しく言う。
「もう夜です。そろそろ帰って寝なさい」
「え? 夜? ええ? 私あのまま寝てしまったんですか? うそおおお! 信じられない! 何で起こしてくれなかったんですかぁあ。せっかくの先生との時間なのにぃ」
今度は泣きそうな顔をして自分に抱きついてくる女に、笑いながら答えた。
「起こしたよ。お前が起きなかっただけで」
「……すいません」
「ほら。帰りなさい」
「やだ……」
「ここホテルじゃないですから。帰って下さい」
「泣いていいですか?」
「駄目です。明後日検査して問題なければ来週には退院出来るってさ。だからもう少し我慢しなさい」
「え? 本当に?」
先生が無言で頷いた。
良かった……
本当に良かった。
「ちゃんと戸締まりして寝るんだぞ。それと明日は家でゆっくりしなさい。毎日じゃなくて良いから病院来るの」
「いやです!! 私の癒やしを取らないで下さい。絶対来ますから!」
「本当に頑固だな」
「師譲りですから」
「おやすみ」
先生がそっと口付けをしてくれ、名残惜しいが病室を後にした。
◇
翌朝6時に、例の軍隊式特訓が再開された。
冬の早朝。懐かしいが寒すぎるでしょうこれ……
「さむっ」
「凍りそう」
久しぶりに校門前に集合した私達は懐かしい道を高科先生を先頭にランニングを開始する。
「は、速いって、た、高科ぜ、ぜんぜえ。はぁ、はぁ」
「以前と同じだ。さぼってるからだろ」
お、鬼がここにもいた……
何とか全員でランニングを終え、今度は例のストレッチに入った。
「まさかまたコレやるとは思わなかったわ」
「ですよね……」
「死ねる」
「そこうるさい」
高科鬼の声が第三講義室に響く。
怖いです。
高科先生……
やっとストレッチが終わり、全員で懐かしの学食に向かう。
「懐かしい~~~私、唐揚げ定食にしよ!」
「桜井、それ昼のランチしかないから」
「あ! 忘れてた!」
寮生の為に学食は開いているが、朝は日替わりのモーニング定食しかなかったんだわ。
「朝から大盛りを頼むのは変わってないわね……」
白井さんに呆れた顔をされた。
「お腹空きません?」
「吐きそうになります……」
朝食の後、お決まりの合同パッセージ練習を終え一旦解散となった。
「どうする? このまま学院残るなら講義室使っていいけど俺、職員室行くから」
「そうですねぇ。先生の部屋って今ってどうなってるんですか?」
「貴志の部屋はあのままになってるよ。魔王の部屋に入る勇気のある奴がここにいるわけない」
「そっか~~んじゃ先生の部屋でちょっとだけお昼寝しよっと」
「なら由紀さんに言えば鍵かしてくれるはずだから」
「は~~い」
「寝過ごして練習に遅刻するなよ」
高科先生の言葉が胸に刺さりすぎる。昨日もやらかしたしな。まさかの病室での爆睡。
気をつけよう……
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