85.魔王の復活祭
先生の手術が無事成功してから一週間が経ち、経過も良好と言うことで昨日から一般面会の許可が出た。
ただし今回の入院は極秘事項のため少人数による交代制での面会となった。
「おめでとうございます」
「本当に良かったです」
「またご一緒出来るだけで幸せです」
今日は先に帰国しているアカデミーのメンバーが、先生のお見舞いに来ていた。
「ありがとう。心配掛けてすまなかった」
先生の頭にあった大きな包帯も今は傷口だけを保護する小さなものになっていて、見た目だけは入院する前とそんなに変わっていなかった。
本人は「これを機会に髪の毛を短くしようかな?」と言っていたが、ユーリさんに昨日「止めてほしい」と泣きつかれ諦めたようだった。
白井さん達と今後のカリキュラムなどの話を終え、先生の身体を考慮し早めに帰って行った彼女達をエレベーターまで送ってきて、病室に戻って来た。
◇
「疲れてないですか?」
「問題ない」
「今日の検査はもうないんですか?」
「午後はないね。帰ってお前も練習しなさい」
先生が笑いながら言うが、その顔はとても穏やかで優しい表情だった。
「寂しいでしょ? 一人だと? ちゃんと朝と夜してますから大丈夫ですよ~~」
「寂しいより暇だ」
「もう! 寂しいでしょ?」
「久々に一人でゆっくり寝れるからな。それなりに満喫しております」
いつものちょっと意地悪そうな顔に、今日は懐かしくて嬉しかった。
「何が可笑しいんだよ」
「ううん。また先生のその意地悪な顔が見れたことに嬉しくて」
「なんだそれ」
少し呆れた顔をした先生の頬に軽く口付けをしようと近寄ったら、腕を掴まれ強く抱きしめられる。
「び、病院ですよ。ここ?」
「バレなきゃいいんだよ」
悪戯っ子のような顔をして笑いながら言う先生が堪らなく愛おしくて……
本当に良かった。
「泣くなよ」
「うれし涙です……」
先生のその笑顔が再び見れたことに嬉しくて涙が止まらなくなり、声を上げて泣いてしまった。
「だってぇ、大丈夫だと思ってもぉ、うわぁああん~~バカ。せんせーのばかあああ」
先生の胸をドンドンと叩いたが、笑いながらずっと優しく頭を撫で続けてくれた。
◇
束の間の緩やかな時間? に終了を告げられる時が訪れた。
「嘘ですよねえ? 病室からリモート?」
クリスマスNY公演に向けての練習が明日から始まるのだが、なんと先生が病室よりその風景をリアルタイム配信で見ると言い出したのだ。
「見るだけですが?」
そんなわけないですよね……
魔王様が、黙って静かに閲覧だけで終わりませんよね?
個室しかも特別室を用意して頂いた、天野先生のお父様である院長先生の大変有り難いご配慮により、リモート閲覧許可が出た。しかも、院長先生も練習風景を見てみたいと言い出して……
「ここ病院ですよ? 見るだけですよ?」
絶対黙って見るだけで終わるわけないですよね? その顔は……
「リハビリも兼ねてちょうどいいので、ゆっくり鑑賞させて頂きます」
こ、怖っ。
その微笑み……
背筋が凍りそうなぐらい美しいが、目が笑ってないんですけど……
イケメンが真顔で微笑むのは止めて貰っていいですかねえ?
◇
先週までの二人だけの甘~~い時間が終了した。
先生、見るだけって言いましたよね?
真顔で睨み続けるのって半端なく圧が……
止めて貰って良いですか? その無表情……
『くるみ割り人形』バリエーション(チャイコフスキー)は以前、春コンで演奏していたので今回は練習時間をあまり取っていない。
その分バッハとシューベルトの定番曲と最終日の『第九』までの総練習がメインとなる。
『くるみ割り人形』バリエーション(チャイコフスキー)
『主よ、人の望みの喜びよ』(バッハ)
『アヴェ・マリア』(シューベルト)
『交響曲第9番 ニ短調 作品125』いわゆる第九である。
この4曲を主に、他クリスマスソングなど含めNYで3日間行われる。
そのうちの、バッハとシューベルトの練習が本日開始されたが……
バッハの主題が始まったと同時に先生の雷が落ちた。
◇◆
『それは、どこかの小学生の発表会か? 弦楽器全員前出ろ!』
せんせ、そこ病院。病院って分かってますよね? しかもアナタまだ病人です……
『天野、音鳴ってない!』
「聴覚神経に問題がないことは喜ばしいが……魔王に戻るの早すぎだろ」
「あ?」
「何でもないです。1段目から再度行きます」
ユーリさんが今日は検診があり、病院に寄ってからの参加となる為、天野先生が皆をまとめていた。
そこから例の「公開処刑」が始まった。
練習とはいえ、本番までもう20日間を切っていた為、先生が少しのミスも許さないのは理解出来るが……
今は、ご自身のお身体をご自愛することを最優先して頂いても宜しいでしょうか。魔王様?
◇
一旦休憩に入った時、ユーリさんが病院から帰り合流した。
問題ないと医師から言われ、今日で受診が終了したと報告を受けて皆が安堵した。
……のは束の間であった。
魔王と鬼による、容赦ないスパルタ式「ドイツフィル伝統軍隊式練習」が厳かに始まった。
「Wie oft soll ich es dir noch sagen, du Schnecke? 弓離すのが遅いって今、言ったろバカなの?」
(何度言ったらわかるの?このノロマ)
ユーリさん……ドイツ語。
そして早口過ぎるから聞き取れません……
『ユーリ第一入れ、ヒュイ、ビオラ』
「Alles klar.ユーリビオラ貸して」
(了解)
『バッハ通しで。天野カウントと時間』
「了解です」
◇
「ハァ……ハァアァ。は、吐きそう……」
「誰が休憩って言った? さっさと構えろよ」
ユ、ユーリさん怖いです……
1時間ぶっ通しでバッハ弾きます? ありえないでしょう?
『第一全員前出ろ。ユーリ、クリアするまで続けろ』
「Alles klar」
(了解)
い、今、何て言いましたか? ま、魔王様? 気は確かですか?
嘘ですよね?
先程、通しでやりませんでしたか?
『構えろ』
悪魔の囁きから1時間、やっと解放された。
と、安堵した瞬間だった。
再び、爆弾が投下された。
『10分休憩挟んで、シューベルト』
はぁ?
ええええええええ?
死ねる……
100メートル走全力ダッシュを二時間行った後、再度走るような感覚に陥った。
◇
「し、死ぬ……」
「ウサギちゃん、一から体力作りしたほうがいいよ~」
「は、は、い……」
心臓が口から出そう……
合ってるよね?
『高科。早朝基礎練習、明日から』
う、嘘ですよねぇ?
「おめでとう! ハハハッ、ハハハハッ」
鬼の高笑いって何かムカつく……
マイクを付けているのがユーリさんと天野先生とヒューイさんしかいない為、先生に何かを言おうと思っても私の声は無情にも届かなかった。
モニター画面が真っ黒に切り替わったところで、ドイツメンバー以外全員が床に座り込んでいた。
真冬であるにも関わらず全員が上着を脱ぎ、半袖ティシャツ姿で汗を拭いている姿は異様な光景であった。
「ウサギちゃん。このあとタカシの病院行くの?」
先生といいユーリさんといい、この変わり身の早さに……毎回ついていけない。
先程、アナタ私に「馬鹿」って連呼しませんでしたっけ?
人間不信になりそうです。
「行きますよ?」
「これ渡しといて」
ユーリさんが、先程練習に使った「総譜」を差し出す。
大半をドイツ語で書かれている為、内容はよく分からなかったが、恐ろしい程こまかく書き込まれていることに驚いた。
しかも、自分で演奏しながら全ての音を覚えているだなんて……
先生の頭の中も理解出来ないけど、ユーリさんも凄い……
天野先生が無言で近づいてきた。
「流石だね」
総譜を覗き込んだ天野先生が、短く一言だけ言って練習室を後にした。
バイオリンを学長室に預け、その足でタクシーを待つ為に下のバス停に行こうと思っていたら、高科先生に呼び止められた。
「病院行くんだろ? 俺もそっち方面にこれから用事あるから乗せていってあげるよ」
ありがとうお母さん!
久々に高科先生と二人っきりに──




