84.朝は来る
先程から何度も時計を見てしまう。何だか懐かしいこの気持ち。
寮に住んでいた時は毎日がこんな感じだった。先生からの連絡をずっと待っていたあの頃を思い出すと思わず笑ってしまう。
あれからまだ1年半か。
あまりにも、この1年間色々ありすぎて……
まさか先生と一緒に住んで、本当に先生と同じ舞台に立っているなんて。
未だにまだ夢の中なんじゃないかと思ってしまう。
約束の時間までには少し早いが、逸る気持ちを抑えきれなくて部屋を出て病院に向かった。
◇
案の定、病院には早く着いてしまったが「先生に再び会える!」と思うと、じっとしてはいられなかった。
病院の廊下で待っていると、看護師さんに声を掛けられてしまう。
ヤバイ。不審者かと思われたのかしら。
すいません……決して怪しい者ではないんです。
た、多分? うん。一応許可頂いてます……
看護師さんに事情を話すと、時間まで少し待つように言われ申し訳なく思い、何度も謝って許してもらった。
「早いねぇ。今日は」
聞き慣れた声に振り向くと、天野先生の笑顔でとても安心感を得られた。
「すいません。嬉しくて早く来すぎちゃいました……」
「もう少ししたら兄貴が上がってくるから、それまでここで待ってるかな」
「はい……すいません」
天野先生と廊下の奥にある椅子で待っていると、今回の手術を担当して下さった天野先生のお兄様の姿が見えた。
「お待たせしました。どうぞ」
お兄様の案内で後に続き病室に向かう。
「雪彦は外で」
「え? 俺ダメなの?」
「一般面会まだ禁止」
「一般……」
天野先生が、少しだけ私の顔を見る。
すいません。私もまだ親族ではないんですが……
これも全て天野先生のご配慮のお陰で御座います。
御恩は一生忘れません! お父さん!
病室の入り口手前で、お預けを食わされた天野先生は少し不満そうな表情を浮かべたが、仕方なく先程の奥の椅子に向かって戻って行った。
ごめんよ、お父さん。
──「入りますよ」
お兄様の声で病室のドアが開けられた。
「先生!!」
目の前のベッドに横たわる先生の姿が視界に入った瞬間、再び先生の顔が見えたことに歓喜と感動で思わず走って行こうとしたが、脚が震えてよろけそうになってしまった。
「おっと、大丈夫かい?」
は、恥ずかしい……
天野先生のお兄様にまで恥を晒してしまった。
──「相変わらずだな」
聞き慣れた声。
その声をどれだけ待ちわびたか。
どれだけ、その顔が見たかったか!
涙で視界が滲み、声を発しようとしても言葉にならなかった……
せ、せんせ、い……
声にしたくても、出ない自分がもどかしい。
目の前の愛しい人の顔をしっかり見たくても、止めどなく流れてくる涙が邪魔をして、その顔が見えない──
先生の病気のことを知らされてから、周りの人全員が私の顔を見る度に、まるで何かの呪文のように「大丈夫だから」と言った。
私だってその言葉を信じていた。
でも、頭の片隅から消え去ることがなかった「もしも……だったら」の文字。
先生のその顔を、声を聞くまで拭えなかった不安。
「せんせーーーーー!!」
思わず先生が横になっているベッドに走っていた。
「心配掛けたな」
先生が優しく頭を撫でてくれる。
彼のあの温かく長い指に優しく触れられる感覚が、ほんの少しだけ途切れていただけなのに、こんなに懐かしく、こんなに嬉しいだなんて……
溢れてくる涙を、先生が少しだけ笑いながら優しく拭ってくれる。
先生の頭部に巻かれている包帯はまだ痛々しかったが、それでも微笑む先生の表情に安堵した。
「本当に良かった……」
その後、簡単に天野先生のお兄様である主治医からの説明を受け、心配していた病理検査の結果も問題がなかったと言われ再び涙が止まらなくなってしまう。
その姿に先生も少し苦笑いしていたが「心配掛けて悪かった」と、珍しく何度も先生が私に謝りながら、ずっと背中を撫で続けてくれた。
そして、彼を助けてくれた天野先生のお兄様に何度も頭を下げお礼を言う私に、お兄様も少し苦笑いしながら病室を出て行かれた。
◇
「せんせ? 痛みは?」
「今はないね」
「良かった……」
先生が手を少しだけ伸ばすので、その手を両手で握る。
「ちゃんと握れますか?」
「一応な」
握り返してくれた先生の力は、今までと何も変わらなかった。
良かった……
今日はまだ、先程やっと病室に戻って来たばかりということもあり、面会時間は15分だけと制限されていた為、後ろ髪を引かれる思いで病室を出る為に立ち上がる。
「何か食べたいものありますか?」
「花音」
「……せんせぃ」
即答した先生の顔は、いつもと変わらない優しく穏やかな表情だった。
先生が手招きするので近くに寄ると、彼がゆっくりと瞼を閉じたので、それに応えるように、そっと彼の唇に口付けをする。
互いに離れることを拒むように、何度も愛を確かめ合うが、無情にも終わりを告げる時が来てしまった。
先生の無事を待つ間はあんなに長く感じたのに、一緒にいるとあっという間に時間が過ぎてしまう。
「ちゃんと、言うこと聞いていい子にしていてくださいよ? 明日も来ますから」
「お前、自分の練習もちゃんとしとけよ」
「お任せ下さい! ちゃんとお留守を守り抜きますから」
このままずっと傍に居たい気持ちをぐっと堪え、病室を後にした。
◇
それからは先生の術後の状態も良好で、日毎に面会時間も長くなっていった。
「術後も問題ないですし、来週には一般面会を解禁しても良いですよ」
天野先生のお兄様である主治医の言葉に、私は嬉しくて飛び跳ねるような気持ちで主治医にお礼を述べたが、当の本人はあまり嬉しそうではなかった……
「一般の面会は必要ないけどな」
「先生! 何てこと言うんですか! みんな心配してるのに!」
「まとめて一回でよくないか?」
「先生……それだと絶対ユーリさん泣きますよ?」
「あいつが一番ウザイ」
先生……
その顔をユーリさんが見たら泣きますって……




