77.100億円の音色
──翌朝、楽しみにしていた工房見学に行く為にロビーに向かう。
「おはようございます!」
「何か変な奴が一人居るんですけど? 御神先生?」
「遠足じゃないんだよ? 桜井」
「ウサギちゃん何持って来たの?」
1時間半ぐらい掛かるって聞いたので、車の中で食べるおやつを持ってきたんですけど?
何でそんなにみんな変な目で見るんですか? 先生は何も言わなかったのに。
◇
「何でこっちに来るんだよ」
「タカシの隣がいい~~」
「邪魔」
「痛いって……」
朝から先生に頭を叩かれるユーリさんに少し笑ったが、一番後ろの三列目に一番に乗って横になった先生を放置し、それぞれが席に座る。
佐々木さんの運転で、お目当ての工房へと向かった。
◇
※以下イタリア語での会話ですが日本語で表記します。
※「今日はお世話になります」
※「タカシ! 会いたかったよ! 久しぶり」
「何語ですか?」
「イタリア語です」
「天野先生分かるんですか?」
「残念ですがイタリア語は半分程度しか」
「それでもすごーい!」
「ユーリは?」
「半分ぐらい」
なるほど。みなさんそんな感じなんですね。
※「どうぞ。此方へ。みなさん」
※「元、ロンドンフィルの首席ユーリ・プリセツカヤです。その前はドイツフィルの」
「Piacere di conoscerla.Non vedevo l'ora di incontrarti. Sono Yuri Plisetskaya.」
(はじめまして。お会いできるのをとても楽しみにしていました。ユーリ・プリセツカヤです)
「流石ユーリさん。流暢な英語での挨拶!」
「桜井……英語じゃなくてイタリア語だ」
高科先生からの冷たい視線が突き刺さる……
で、ですよね? うん。黙っておくべきですね。すいません。
◇
撮影は禁止と言われたが、丁寧な説明をしてくれた。
全て手作りで作られるとは聞いていたが、本当に一から大事に作っているんだと思うと、バイオリンは勿論だけど、一音ずつを大事に奏でないといけないことを改めて実感できる貴重な体験だった。
◇
※「どれにする? タカシ」
※「試しても?」
※「勿論だよ!」
見学を終えて、別室に通された私達の目の前に美しいバイオリンが並んでいた。
「なぁ、これってガルネリじゃないのか?」
「レプリカじゃなくて本物?」
「これは、彼個人の所有するコレクションだ。デル・ジェスのメンテナンスに持って来た時に見せて貰って、俺が弾くときに貸してくれるって約束してたから、今回頼んだんだよ」
「マジっすか!」
「凄っ」
天野先生と高科先生も、食い気味でバイオリンを見つめた。
「デル・ジェス初期の?」
ユーリさんの問いに先生が笑顔で答える。
「現存する最高峰に近いね」
「ちょ、俺も弾くだけ弾きたい!!」
※「俺も触って良いですか? 弾かせて貰っても?」
「ずるくね? イタリア語出来るのって」
高科先生がユーリさんを睨む。
※「是非どうぞ」
※「有り難う御座います!!」
ユーリさんが、工房主のアントニオさんに軽く抱きつく。
「こらこら……」
天野先生の苦笑いも無視して、嬉しそうな顔をするユーリさんにちょっと全員和やかな雰囲気になった。
「タカシどっち?」
「左」
「んじゃ俺右~~」
「良いな~~」
※「うちの首席です。新人ですが。彼女にも貴重な体験をさせてやって貰えませんか?」
※「勿論だよ」
「許可出たぞ。花音」
「うそおおおおお!!」
「カプリース24な」
嘘、これって20億とかいや、もっとするんですよねえ?
それを3挺も持ってるんですか? この御方?
「総額100億越えの演奏しかも、世界ナンバーワンの競演!」
「一人違うのが混ざってるけどな」
そこ二人! 煩いです!
先生を真ん中に私達二人が挟み、先生の合図で始める。
相変わらず、この二人の「音」凄すぎるわ……
にしても、このバイオリンなんですかコレ!
悪魔の音色とは言われるけれど、そんな言葉で表現出来るような簡単な低音部の響きではなく、重く深い音。
途中まで弾いた時点で、先生が笑顔でアントニオさんに話しかけた。
※「流石素晴らしい手入れですね」
※「タカシに弾いて貰えてこの子も喜んでいるよ」
※「どっちにするか決めたかい?」
※「此方をお借りしても宜しいですか?」
※「勿論だよ」
その後、一応形式だけとは言われたが、先生が借用書にサインをして貸借許可書を受け取っていた。
「俺もガルネリ欲しい~~~」
「ロンドン持ってたろ、後期のだけど」
「あれはタカシ……無理でしょう」
「今、所有権あれ国有か?」
「それに近い」
◇
楽しいバイオリン工房見学を無事終え、帰りの車の中で意外な人物から連絡があった。
◇◆
『何回電話しても出なかったが、どうなってるんだ?』
『忙しいんだって移動中なんで切るぞ』
『ちょっと待て貴志。どうなんだ? 佐々木君から連絡は貰ったが』
『佐々木が連絡してるならその通りだろ』
『そうじゃなくて。今の状態だ』
『は? 生きてるから電話で話してるんだろ。何言ってるんだよ。話がそれだけなら切るぞ。スポンサー契約解除したいなら好きにしろ。佐々木とその話はしてくれ。じゃあな』
『待ちなさい。誰も解除するなんて言ってないし。こっちでのメンバーの滞在に関してもウチで面倒みる。それよりお前自身だ。大丈夫なのか? 一人で? そっちに行こうか?』
『は? あんたが来て何の役に? 邪魔なだけ。まだ由紀の方がまし』
『あ! 由紀に行くように言おうか? 明日にでも』
『馬鹿なのか? 二日したら日本に帰るのに。必要ないです。忙しいんで切ります』
◇◆
「ハハハハハッ流石タカシ! パパさん可哀相過ぎる!」
「もう少し言い方があるだろ。貴志お前」
「先生、お父様心配で電話してきてくれたのに……」
「今更、親父面すんな」
小声で呟いた先生は、ふて腐れたような顔をして寝始めた。
何とかなりませんかねえ? この親子本当に。
◇
今日は午前中にバイオリン見学に行っていた為、昼からの練習を少し遅めの15時からの2時間だけにしていた。
昼食を帰りに皆で一緒に済ませ、ホテルの部屋で時間までゆっくり過ごしていた。
「せんせ? 少し横になりますか?」
「そこまで重病人じゃないです」
先生が軽く私の頭を叩いた。
「重病人です! もう!」
先生に腕を掴まれ、ソファに座るように促される。
「もうちょっと端」
膝枕をご所望する王子に従い、愚民の膝をお貸しする。
「せんせ? ちゃんとベッドで寝たらどうですか?」
「ベッド行ったら、抑えれなくなるからここでいい」
そっと先生の額に口付けする。
「おやすみ」
全体練習が始まる来週までは、少し先生もゆっくり出来て、こうして穏やかな時を過ごせる時間をorが取れていた。
普段なら、執筆作業や作曲、企業からの依頼などで忙しくしている先生だが年明けの2月までは、佐々木さんが全ての依頼を断っている為だった。
御神グループがスポンサーに付いたことにより、その間の経費の心配が無くなったことが大きかった。
先生が復帰出来る日まで、全員でサポートする体制が着々と整えられていた。




