69.告白
本番まで30分足らずとなったところで、先生がホール舞台袖に姿を見せた。
「先生!」
「悪い、渋滞に巻き込まれて」
先生が苦笑いしながら、軽く抱きしめてくれた。
「準備は大丈夫か?」
それでも私の心配をする過保護な先生に少し笑った。
「大丈夫ですって~~」
「御神先生これを。日本公演時とあまり変わってないので。変更箇所は無いです」
天野先生が総リハの最終チェックスコアを先生に渡しに来た。
今日の演目は日本公演で行っていたドヴォルザークの『新世界』だったため、総リハもスムーズに終わった。
先生が、天野先生から受け取った総チェック済スコアを見ながら、軽く天野先生と話しを終え戻ってきた。
「さて、参りますか姫」
「はい!」
慣れたこのやり取り。先生に手を取られ舞台袖ギリギリの所まで一緒にエスコートされながら行き、先生に「楽しんでおいで」と言われ送り出される光の中へ。
その後、全員のスタンバイを待ち、先生が大歓声の中指揮台へ登壇する、ワクワクする瞬間。
それが当たり前だと思っていた──
◇
無事チェコでの公演が終わり、夕食に向かう車の中、先生が何も言わず手を握ってきた。
「せんせ?」
舞台が終わってからも、いつもと何となく雰囲気が違う様子の先生にちょっとだけ心配していたが……
「イタリア公演の最終日終わってその足で、緊急帰国することになったから、そのつもりで用意しとけ」
「え? その後の公演無くなるんですか?」
先生が苦笑いしながら続けた。
「違うよ。NYまで期間あるから一旦帰国して、日本で調整してクリスマス前に現地に向かうことになった」
なるほど! それは良いですねぇ! こっちに居るより練習場も確保出来るし!
でも? 公演終了後にわざわざ夜中の飛行機に乗ってまで急ぐ必要があるのかしら?
「せんせ? それは良いとは思うんですが、終了後に夜中の飛行機に乗ってまで急ぐ理由があるんですか?」
私の質問に先生が握った手が強くなった。
「晩飯、ホテルの部屋でいいか?」
「ぇ? いいですけど??」
チェコでの最後の夜と言うことで、先日先生が連れて行ってくれた「日本料理」を出してくれる店に行く予定だったが、突然先生が変更を提案してきた。
何となく、その理由を聞いてはいけないような気がして、その提案を素直に受け入れた。
◇
ホテルの部屋に着き、先生がルームサービスをお願いした。
本来は20時までのサービスだが、軽食であれば用意してくれる。
「軽食だけどな。明日昼こっち立つ前に飯屋予約しとくわ」
「あ? 無理しなくても良いですよ? もう少し待てば日本に戻れるんですよね?」
「デザート多めにあるから」
先生が笑いながらじっと見つめる。
「せんせ? 話って?」
私の問いに少し驚いた表情を見せた先生に、そのまま続けた。
「何か私に話があったから、外じゃなくてホテルの部屋にしたんですよね? それに今日の先生やっぱり何か変だったもの。隠し事はしない約束ですよね? せんせ?」
「とりあえず、それ食ってからな」
先生の普段と変わらない顔に少し安堵したが、それでも「何かある」が気になって、いつもよりお腹がいっぱいになるのが早かった。
「はい。どうぞ、何を聞いても驚きませんから! あ、別れ話以外でお願いしますよ?」
「それはないって。そもそもお前に記入した用紙預けてるだろ。お前が全て記入して勝手に出されたらその時点で逃げれませんし」
「逃げるって~~ひどーーーーい!! 春になったら一緒に行くんですよね?」
「YES」
良かった……
それだけで充分です先生。
先生とずっと一緒に居られるだけでそれ以上の贅沢は望まない。
「先生とずーーっと一緒に居られたら、それ以外は私は何も要らないですよ?」
「イタリアの後、帰国して直ぐ入院が決まった。20日に天野の実家の病院で手術を受ける」
え?
い、いま?
な、なんて言いました?
入院? 手術??
せ、せんせ?
「せ、せんせ?」
「ごめん、今まで黙っていて」
頭の中が真っ白になって、その後の先生の言葉が何も入って来ない。
「花音! 花音! しっかりしろ! 花音!」
「せ、せ、せんせ? ご、ごめんなさい。私ったら」
先生に強く抱きしめられて、先生の心音と温もりを感じ、白い世界から映像が戻ってきた。
「大丈夫か?」
先生が、近くにあった紙袋を私の口元に当て、背中を擦りながらゆっくり息を吐くように言う。
「もう大丈夫です。ごめんなさい。あまりに驚いてしまって。ごめんなさい」
「いや、俺が悪い。いきなり言ったから」
「せんせ? 手術したら治るんですよね? 元の先生に戻るんですよね? 死なないんですよね? ずっと一緒なんですよね?」
ポロポロ涙を流しながら、何度も質問してくる目の前の少女のような顔した宝物に、俺は安心を与える嘘をつくことは出来なかった。
それが本当は正解かもしれないが、その嘘を正解とするような愛を本物とは思いたくなかった。
「50%だ。命まで無くなる可能性は今はまだ低いらしいけどな。元通り音楽家として復帰できるようになる可能性の話だ」
先生の真剣な眼差しから、意を決したように語られた言葉に私は絶句した。
「それって……でも手術を受けなければ、音楽家に復帰どころか先生の命自体の保証が無くなるってことですよね?」
「直ぐにって訳ではないけどな」
「じゃあ手術しか選択肢はないですね。大丈夫です。先生さえ生きていてくれたら、私が養うって約束しましたから!! 任せて下さい!」
「いや、待てまて。別にさぁ、舞台に上がるのが厳しくなるだけで、仕事全てが出来ない訳じゃないから。作曲や他にもありますし。元々ある程度したら後続を育てたいとは思ってたから。まだお前達を食わして行く程度なら大丈夫ですよ? 花音さん」
先生が苦笑いしながら私の頭を軽く叩くが、その手を掴んで私は先生の胸に顔を埋める。
「せんせ。ごめんね? 一人で怖かったし不安だったでしょ? 何でもっと早く言ってくれなかったんですか? 大丈夫ですよ? 私、絶対に先生を元の光の中に戻して見せますから!」
先生の頭を撫でようと背伸びをしたら、腕を掴まれ激しく唇を覆われた。
「せんせ、きっと大丈夫ですからね」
「ありがとう」
互いの小指を絡ませながら、再び不安な気持ちを誤魔化すように求め合った。
それは、まるで暗いトンネルの先に必ず待っている希望の光を焦がれるように──




