68.変わらぬ信念
チェコでの公演の最終日となった今日、リハ時間に先生がユーリさんに話があると言って出て行った。
今後の彼の復帰に向けてのカリキュラムの話などを進めてくるからと笑顔で去って行ったが、その後の高科先生と天野先生の様子がなんとなく私に対して、よそよそしく感じたのは気のせいかしら?
◆◇
とある病院の検査室前、佐々木は約束の時間になっても中々来ない男にイライラしていた。
そんな中やっと姿を現した男の姿に、ほっとした。
「御神先生遅いですって! 予約時間過ぎてますから!」
佐々木は急いで男に駆け寄り、面倒くさそうな顔をして、ゆっくり歩いて来る男に声を荒げる。
「あ? そんなに暇じゃないの分かってるだろ」
自分を睨む男を無視して受付へ向かう。
「逃げないから帰っていいぞ」
「結果を一緒に聞きますから帰りません。天野先生のご実家の病院にデータを送って頂く手配もありますから!」
「監視かよ……」
彼の性格は知り尽くしている。良くないことを医師から言われた場合、正直に彼が自分に話すはずがないことを。そして医師の勧めを素直に聞かないことも。
自分が医師の説明に立ち会い、彼の今の本当の状態を知ることで、今後のスケジュール変更が必要になる可能性も考えていた。
監視状態の中、ユーリが入院していた同じ病院での師の検査が次々と行われていく。
その間、待ちながらも佐々木は出来る仕事をこなしていた。
◇
「ササキちゃん! 何でいるの?」
「ユーリさん!」
CT検査室の待合室で師の検査終了を待っていると、ユーリが声を掛けて来たことに佐々木は少し驚いた表情を見せた。
「タカシ?」
「天野先生に聞いたの?」
「……うん」
「帰国して直ぐに手術が出来るように、こっちで出来る検査は全てそれまでに行う予定です」
「そ、そんなに悪いの? タカシ?」
ユーリの声が震えていた。
「先生は本当のことを誰にも言わないからね。今日は、だから僕も医師の結果説明に無理やりにでも入るよ」
「ササキちゃん。頼んだよタカシを!」
「ユーリさんは?」
「経過観察? 事故以来撮影してないからって」
「そうか……無事を祈るよ。調子はどう?」
「イタリアの後期には絶対間に合わす。だからタカシは自分のことに専念させて!」
彼の強い意思が伝わってくる決意した視線と、かつての自信に満ちた表情に戻っていたことに佐々木は安堵した。
勿論、師のことが一番の心配の種だったが、このユーリのことも佐々木は心配していた。
師からは詳しく聞けなかったが、何であんな時間にホールとは全く違う場所で、しかも徒歩で事故に遭ったか? 本番前に?
あの日、二人の間に何があったのか?
佐々木は聞かなかったが、ユーリの事故を報告した時の師の顔。
全くといっていいほど体温を感じさせない凍り付いた無の表情と、その後の泣き叫ぶような彼の悲痛な顔を、佐々木は今でも鮮明に覚えていた。
その原因となったユーリが、元の彼の表情に戻ったことに佐々木は心から感謝していた。
「ユーリさん。オケを頼みますよ」
「今度は俺達全員で、タカシのオケを守る番だ」
ユーリが検査室から名前を呼ばれ、笑顔で去って行った姿を佐々木は祈るような気持ちで見守っていた。
◇
──ガチャ
「御神先生!!」
検査を終えた師に走り寄る。
「帰っていいぞ」
「何言ってるんですか! 帰りませんよ!」
「めんどくせー奴」
それが彼と交わした最後の言葉で、待合室で無言のまま二人で医師からの検査結果の説明の時を待つ。
時が止まっているのかと思うぐらい、静かな重い時間が続く。
そんな中、遂にその時が来た。
名前を呼ばれ師が立ち上がる。その後ろからゆっくり続いた。
※「Wer ist die Person neben Ihnen?」※以下会話はドイツ語ですが日本語表記します。
(そちらの方は?)
※「親族です」
自分の回答に師が少し俺の顔を見たが、今回の件で電話した者で彼の代理人を務めていることを伝えると、同席を許された。
医師が検査結果のCT画像や、他の結果を自分達に説明し始める。
想像していたより結果が芳しくなかったことに、俺は思わず俯いてしまう。
※「データをお渡しする手続きをしますので、此方の同意書にサインをお願いします」
医師に言われ師がサインをしている姿を見ながら、佐々木は気持ちを入れ替えた。
医師から、今なら完治をまだ望めると言われ、それに掛けるしかないと前向きに考えるように努めた。
※「紹介状をこれから書きますので、お待ち頂けますか? データは用意でき次第ご連絡します」
医師の話に、佐々木は頷き自分の連絡先を伝えた。
今日の検査結果を簡単に記した紙を受け取り、部屋を静かに出る。
無言のまま帰りの車に乗り込んだ。
◇
「こちらは私が天野先生に託します。今日から本番以外は禁止ですからね」
佐々木は帰り車の中で、師である男に強い口調で言う。
「は? イタリアまでは自由にってお前言ったろ?」
彼が自分を睨みながら低い声で言うが、それを遮り無視するかの如く続ける。
「それは状態が良かった時の話です。今日の医師の説明を聞いたでしょう! そうでなくても光の中なのに何を言ってるんですか! 寧ろイタリアの舞台に立つことすら自殺行為です!」
「今夜1回とポーランド2回、イタリア2回だぞ。問題ない」
あの説明を聞いても、淡々と語る彼の姿に対して苛立ちを感じたが、ここは冷静に話すべきだと思い続けた。
「イタリアの最終日にユーリさんが復帰するそうです」
「は?」
「先程、検査に来ていたユーリさんと会いました」
彼の驚く表情に淡々と答え、佐々木は続ける。
「ユーリさんも今、自分の置かれた立場を理解した様子でした。もう大丈夫だと思いますよ。だから先生は、ご自分の身体のことだけを考えて下さい。暫くの間はユーリさんの復帰に向けて練習に付き合うからと、周りには説明しますから。先生は公演日の本番まで安静にしていて下さい」
「はあ? お前、馬鹿なのか?」
「馬鹿は貴方です! これは決定事項です! 否は認めません! 天野先生と高科先生とも話し合い、私の決定に二人も従うと既に合意済みです」
「何だそれ」
「先生が文句を言うなら、本番も天野先生が指揮台に立つから。と言っていました」
「お前ら好き放題だな」
笑いながら答えた彼の顔は、先程までの明らかな不快感はなく、少し晴れ晴れとしていたことに佐々木は内心ほっとしていた。
「リハを任せることで、彼らの結束力が高まるのは良い方向では?」
佐々木は、彼が考えている構想は前から気づいていた。
自分の後続を育てたい気持ちが強い彼にとって、原因は望まない不幸ではあるが、それによって周りが「自分達でやらないと」と気持ちが変わるきっかけになると佐々木は思っていた。
彼の病気のことを話してからの、ユーリをはじめ、高科や天野も明らかに変わってきた。
「おかげで隠居生活出来そうだな」
「貴方にはもう少しまだ、頑張って貰わないといけませんからね。もう少し働いて貰いますよ。5年以内に御神グループに全て返済して貰います!」
「3億だぞ? それに金利がまだ付くのに、あのクソが」
「3億円を何の担保も無しにポンと出す銀行が他にあるなら、どうぞご自分でお探し下さい」
「5年で四分の一だろ返済率」
「本当にそう思っていますか?」
「3年で全額利息つけて返してやるよ」
当時17歳だった少年に自分の人生を掛けることを決意した時に見た彼の顔と、今、自分に見せた顔は何一つ変わらない全く同じ自信に満ちていて、前をしっかり見ている顔であった──
神様頼みますよ──




