63.思いを馳せて
今日はずっと先生のデビューの地と長年思っていた、チェコのホールに来ていた。
「ドイツじゃないよ桜井。チェコだからね」
天野先生……まだ言いますかそれ?
今回のチェコ公演、その後のポーランド公演は、日本のプレ公演の楽曲の一部がそのまま使用されることもあって、多少ゆっくりとしていた。
チェコ公演はドヴォルザークの『新世界』と、スメタナの『我が祖国』のモルダウを中心とした楽曲で『新世界』に関しては日本公演と同じな為、基本練習に時間を割かない。
ただ最終日に、ドヴォルザークの『弦楽セレナード』を先生が選曲している。
が、ユーリさんが抜けた今、ちょっと不安が残る……
今日は『モルダウ』音合わせになる。
◇
フルートやクラリネットを中心とした管楽器の流れる旋律にのって、モルダウ川を渡って行く。
そして農民たちの結婚式の楽しい踊り。チェコの民族舞踊「ポルカ」が始まる。「交響詩」と言われるだけあって、本当に一つの物語になっていて、とても感動的な情景が描かれている。
みんな上手っ! まだ音合わせなのに。
先生の視線が……スコアに書入れながら睨むのやめて貰ってもいいですか?
これ絶対ホテル帰って怒られるパターンな気がする……
先生の言っていた「レパートリーの差」ってここにきて、物凄く分かる気がする。
ドイツフィルメンバーって「初めて」が無いんだもん……
それってズルイ……
◇
うん。予想通りの展開ですね。
ホテルに帰ってすぐ先生からのお説教が。
いや、とても温かい指導が? 御座いました。
ホールで怒鳴られなかっただけマシ? いや、違うか。貴重なホールでの音合わせの時間が勿体ないから言わなかっただけですね……
「お前さぁ、楽譜入ってないってどういうことだ?」
仰る通りで御座います。間違えた私が悪いです。魔王様。
「ごめんなさい!」
すかさず頭を下げる。
「謝って済む問題だと?」
「すいません!!」
「スコア!」
「はい!」
この後、あの「御神家秘伝の暗譜法」が開始されたのは言うまでもなかった。
「せんせーーーご飯の時ぐらいスコア置いても?」
「あ?」
いやいや、お行儀悪いですしね?
「さっさと覚えろよ!」
こ、怖っ!!
至近距離で睨むのやめて下さい……
先生って普段優しいけれど音楽の時怖いですから……
「5分後に頭から弾け」
「ぇ?」
「あ? 何か文句あるのか?」
「い、いえ。滅相も御座いませんが?」
えっと、前お家でレッスンするの、お嫌いとか言ってませんでしたっけ? あれは聞き間違えでしょうか?
先生の顔を見上げる。
「覚え終わったらのなら、さっさと弾けよ」
「あ、いえ。そうではなくてですね? えっと……」
「あ?」
「い、いえ。何でもごじゃりましぇん」
圧凄すぎ。怖すぎ!
イケメンが無表情で睨むのって、半端なく怖いわ……
◇
やっと鬼の特訓から開放された……
「飯食いに外出るか?」
ぇ? そのギャップは何で御座いましょう? 魔王様?
先程、魔王様、わたくしめに「もう一回、学院戻って基礎からやり直して来い!」って怒鳴りませんでしたっけ?
あれは幻ですか? それとも今のお姿が幻でしょうか?
先生って本当に音楽の時だけは容赦ないですよねぇ……
それでもユーリさん達は、昔よりかなり丸くなったよ? って言っておりましたが……
魔王様、何してたんですか? とは、とても聞ける雰囲気もなく……
「ユーリさんの所は行かなくても?」
「明日でいいや。朝ちょっとだけ様子見たら帰ってくるから、留守番できるか?」
うん。その優しさと、さっきの鬼が同じ人だとは……
「私も一緒に行くのは駄目ですか?」
「今は、やめとけ」
先生が真面目な顔をして言う。
きっとリハビリ中の姿を見せたくないユーリさんの気持ちを考えての発言だろう。
「あ、じゃあ差し入れだけ持って行ってもらっても?」
「いいけど。何を?」
「よっし材料買うぞ~~。先生いこっ!」
「何かまた、ろくでもないこと企んでるだろ」
「ろくでもないって……」
酷すぎませんか?
むうう。
「何食べに行くんですか?」
「寿司屋」
え? チェコで?
「日本人がやってる。チェコは、だからツアーで外せない」
「え? そんな理由で入れたんですか?」
「どうせ通り道だし」
「ぇ? 飛行機移動なら関係ないのでは?」
「どうせドイツから移動する奴も近いからいいんだよチェコは」
先生のチェコ贔屓ってもしかして、お寿司屋さんとかじゃないですよねぇ?
ドイツはドイツフィルメンバーの本拠地ってこともあって5日間公演も理解できるが、オーストリアですら3日だったのに、チェコは前期2日、後期2日と合計4日もあるのだ。
大抵は3日公演の国が多く、中には2日だけのところもある中、何でチェコって4日なんだろ? と、ちょっと不思議だった。
「うどんあるぞ。天ぷらもあるぞ」
「嘘! やったーーーーーーー!!」
◇
「うどん来たーーーー!!」
お寿司屋さんだが、茶碗蒸しや、うどんの付いた定食も置いてあった。
日本食の王道じゃないですか!!
天ぷらセットをお願いした。
「ねぇ、ユーリさんに明日持って行ってあげたらどうですか?」
「花音さん? 彼は日本人じゃないですよ? 別に、うどん食いたいとは思わないでしょう」
「あ! 忘れてた!」
先生が普通に庶民の王道「うどん」を食べている姿が、あまりにも貴重で撮影したい気持ちでいっぱいになったが、恥ずかしいので諦めた。
やっぱり撮影しとけば良かったーー
帰りの車内で落ち込む私に、先生が笑いながら頭を軽く撫でてくれたが、後悔の気持ちでホテルに帰ってからもずっとモヤモヤしていたことは、先生には絶対に言えない……
複雑な夜を過ごした。
「今話より第六楽章になります」
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