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御神先生の秘蔵っ子─世界編  作者: 蒼良美月
第四楽章 革命のエチュード

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44.神の領域 

 ──先生がバイオリンを構えた瞬間、歓喜と溜息が客席から漏れる。


 御神 貴志がフルオーケストラ(弦楽器メインではあるが)を従えて舞台上で弾くのは5年振りとなる。その驚きに会場のざわつきが収まらない。


 しかも先生の十八番であり、プロデビュー作の『カプリース24番』の披露である。


 天野先生がスタートに困惑気味な顔をした瞬間、先生がそっと口元に人差し指を軽く添えた。

 ほんの一瞬の出来事に、ホール全体が静まり返る。


 凄っ!

 その様子に天野先生が苦笑いを浮かべたが、直ぐに音楽家の顔に変わった。


 そう言えば先生と舞台で共演するのって初めてかも!

 ワクワクが止まらない!


 天野先生がタクトを振り下ろした。


 ちょ、な、何これ……

 せ、せんせ、い……


 う、うそ……

 驚き過ぎて、思わず弓を落としそうになった。


 最早、同じ曲を奏でているとは思えないくらいの差だった。

 ユーリさんのカプリースも凄いとは思ったけれど。


 もう、そんなレベルの話しではなかった。

 圧倒的な支配感? いや? 全員が固まって我を忘れるぐらいの衝撃だった。


 音の艶? 伸び? そんなレベルではなく、全弦楽器30人の音を支配している。

 その神の音に全員が完全に引き込まれていくのが手に取るように分かる。


 低音部にマイクが装着されている? と言うぐらい低く深く響き、高音部はどこまでも厳かに高く舞う。そもそも、ユーリさん愛用のストラディバリウスは、低く怪しげな音には向いていない。

 先生の名器であるガルネリが本来パガニーニには向いている。


 そんなことは関係ないぐらい、悪魔のような低音部が響き渡り、奏者である私たち全員も地底に引きずられる恐怖に陥る。


 悪魔と天使が交互に繰り返される音の洪水。

 立っているのが精一杯なぐらい足の震えが止まらなかった。


 たったの5分の曲の中に感動? いや、神が舞い降りた瞬間に全てが無となる。


 神をも従える先生の音に全員が息を呑み、呼吸の仕方すら忘れ、瞬きも出来ず全員が固まっていた。


 光の向こうが側が見えた瞬間だった──


 まさに神の領域である。



 真っ白な中、スローモーションでゆっくり映像が流れ始める。

 観客一人一人が、歓喜? いや感動で言葉にならない瞬間を共感し異様なくらい静まり返る空間。

 先生がゆっくり手を広げ優雅に挨拶をした瞬間だった。


 我に戻った人々は、地鳴りのような拍手と共に2000人全員が立ち上がり、目の前の「神」に賛辞を贈った。

 地震? が起きたのではないか? と錯覚するぐらい空間が揺れた。


 ただ一つ違うのは、歓喜ではなく皆の頬に涙が伝う感動の渦だった。

 声にならない高まりを、全員が立ち上がり涙しながら惜しみない拍手を贈り続けた。


「これが本来の音楽家の姿だ」と、()からのメッセージのようなステージだった。




 ◇




「ズルくね? 最後全部持って行くの?」


 ユーリさんが先生に少し、ふてくされた顔をしながら言う。


「これでも酷評したいなら、やってみればいいさハハハッ」


 先生は笑いながら控え室に颯爽と戻って行った。


「久しぶりにタカシの本気が見えたよ。ウサギちゃんのお陰だね」


 ユーリさんが手を差し伸べた。


「有り難う御座いました」


 軽く握手を交わし、先生の後を追い控え室に向かう。



 ◇



「花音、今日だけ目潰れ。着替え済ませて待ってろ」


「何処か行くんですか?」


 先生が真面目な顔して言ってきたので、少し心配になり問いただす。


「一応、礼を尽くしてくる」


 今夜のご来賓の方ですね。仕方ない……


「絶対帰って来るんですよね?」


「当たり前だ。俺が戻る所は一つしかない」


 先生が強く抱きしめてくれ、そのまま唇を塞ぐ。


「せ、せん、せ」


「続きは後で。行ってくる」


 それだけ言って去って行った愛しい人の背を見送った。



 ◇



「Thank you for taking the time to visit us today, Madam.」

(本日はお時間を割いてお越しいただき、誠にありがとうございました。マダム)


「Let's drop the formalities.Takashi? "I’m almost jealous of how good-looking you’ve become.""I regret breaking up.」

(そんな他人行儀な挨拶はやめて?貴志。悔しいぐらい良い男になったわね。貴方と別れたことを後悔したわ)


「You must be joking."Madam Sara"」

(お戯れを。マダムサラ)


「"You still call me Sarah, don't you?Takashi」

(まだ、わたくしのことを「サラ」って呼んでくれるのね貴志)


「Thank you, I loved you.」

(ありがとう。愛してた)


「You're a much better liar now. Hit me up if you need anything.I’ll always support you.」

(昔より嘘が上手になったわね。何か困ったことがあればいつでも言って来なさい。ずっと貴方を愛している)


「Thank you, Sarah」

(ありがとう。元気で)


 オルレアン公妃と未だ呼ばれる、ヨーロッパ切っての旧名門貴族の家を継ぐ彼女は、かつて本気で愛した親子ほど歳の違う男に、人目も憚らず抱きつき頬にキスをした。


 そして彼女の娘である、政財界の中心人物と結婚した女性も、彼の頬に熱いキスをした。

 その姿を、男は隠れることなくメディアの前で平然と写真を撮らせた。


 彼らの一部始終を遠くから見ていた天野と高科は、驚愕の表情を浮かべた。


「あいつ悪魔だな……」

「絶対逆らえないでしょうもう。オルレアンに逆らえる訳がない」


「しかも計算づくだろこれ。わざわざロビーまで見送りに出てきたのなんて。マスコミに囲まれること分かって」


「まぁこれで明日の一面は決定ですね。暫くは何処も手を出してくることはないでしょう」




 ◇




 ──ガチャ


「帰ろうか」

「何して貰おっかなぁ~~」


「明日は休みだから全てお前にやるよ」

「やったーーかえろ~~せんせ」


 何も言わないけれど優しく微笑む先生の顔は、いつもと変わらない。


 ちゃんと私の目を真っ直ぐ見ながら言ってくれた先生を信じて私も彼に、何もたずねることはしなかった。


「では本物の城でも見に行きますか」

「本当に?」

「日帰りだから近めな所な」

「うんうん!」


「せんせ?」


 そっと瞼を閉じてみた。


「運転中です」

「むうぅ」


 軽く頭を撫でてくれた先生の膝に頭を預ける。

 その優しく温かい手に、瞼が段々重くなり意識が薄れていく。


「よく頑張りました」


 男は、子供のようにスヤスヤ膝の上で眠る少女の頭をずっと優しく撫でていた。






 ◇




 ──翌朝、楽しそうにはしゃぐ声がする。


「せんせい! 見てみて~~凄くきれいーー」


「元気が宜しいことで」


「ほんと、何処にでもウインナーって売ってるんですねえ」


「ドネルケバブな。俺はそれ以外がそろそろ食いたいけどな」


 先生がちょっと渋い顔をする。ホテルでは比較的色々な物を食べることは可能だが、やはり食事に関しては日本のほうが色々ある気がする。

 うどん食べたい!


「バームクーヘン工場ってないんですか?」

「あー確か近くにあるわ」

「いこ?」


 先生ってバームクーヘンの食べ方独特よねぇ。

 綺麗に少しづつ、はがしながら食べるのが可愛い。



 ◇




 結局バームクーヘン工場で焼きたてを堪能し、皆へのお土産を買って、今日のお休みは終盤に近づく。


「明日ってブラームスですよねえ?」

「ハンガリー舞曲な」


「ブラームスいいですけど、次のシューマンが……」

「お前、ことごとくスローテンポ出来ないよなぁ」


「豊かにとか、難しいですよ~~」

「何の為に城とか色々連れて来てるんだか」


「ぇ?」


 軽く先生に頭をこつかれた。


「食うだけじゃないんだぞ」


 先生は呆れ顔で笑うが、城を見て豊かな気持ちって難し過ぎる。


「感動を与える仕事をしている者が、感動を感じれないと、どうやって表現していくんだよ」


 仰る通りで御座います……

 先生の言葉に何も返せない私に、先生が笑いながら頭を優しく撫でてくれた。


 こういう嬉しい気持ちを「音」にしたら良いのか?


 何となく? ほんの少しだけ先生の言った意味が分かったような? 気がした。


◆◆おまけ◆◆


ドネルケバブ:元々はトルコ発祥ですが、ドイツでも有名なフードで、パンにウインナーや野菜を挟んで食べる人気フード。

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