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御神先生の秘蔵っ子─世界編  作者: 蒼良美月
第四楽章 革命のエチュード

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43.世界への挑戦(2)

 ──昨日とは違う意味で緊張する。2000席ぎっしりに埋まった客席の二階席中央のロイヤルボックス席に一際物々しい黒い服の集団。見るからに高貴な佇まいの方々が数名。

 ユーリさんがそっと呟く。


「ウサギちゃん。スマーイル」


 高科先生も微笑んだ。


 うん。今は何も考えまい。

 ただ、船長の示す方向に向かって船をゆっくり進ませることだけを考えよう。


 全員が配置に付き、ゆっくり先生が舞台中央へ歩いて来た。

 優雅にゆっくり観客に挨拶をした瞬間、割れんばかりの拍手が起こった。


 先生が私に軽く会釈をし、全員が胸に手を当て「御神組」の儀式とも言える、偉大なる先輩音楽家の作品を奏でさせて戴く感謝を捧げる。


 先生が指揮台に登壇し、タクトを手に取る。



 バッハ『管弦楽組曲』全4曲の中、1番と3番を演奏する。第3番の第2曲『アリア』が、あの有名な『G線上のアリア』である。


 G線だけで奏でることが出来るからその名前が付けられたが、実際は移調を繰り返し、深く豊かで低い音をずっと響かせないといけない為、誤魔化しの効かない曲である。


 ドヴォルザークの『家路』同様、豊かで情緒深く、そしてバッハ特有の気品高いこの曲は苦手である……

 先生にも何度も注意された……


 しかも今日は管楽器より、殆ど弦楽器中心のプログラム……


 先生のタクトが振り下ろされた。


 気品高い美しい旋律が流れるように、ホール全体に響く。


 ユーリさん上手っ!

 ズルくない? ビオラであれだけ豊かな音って……


 せんせ、笑うの止めて貰っていいですかねぇ……

 G線入るまえに、笑うなあああ!!


 な、なんとか、お、終わった……

 前半の『管弦楽組曲』が終わり、一旦休憩に入った。





 ◇



「せんせーーーひどーーい!! 途中笑わないで下さいよおぉお!!」


「いや、顔怖いからお前」


「肩に力入ってたよねえ? ウサギちゃん」


 そこ、二人笑い過ぎですから。

 君ら二人がおかしいんだってば。

 何でそんなに、全く緊張してないんですかああ!!


「ユーリ水」


「あ、先生何か少し食べます? 朝からまともに何も食べてないでしょう?」


「いや、それよりタバコ吸いたい。今日一本も吸ってない」


「タカシ禁煙するんじゃなかったの? ハイ水」


 ユーリさんが水のペットボトルを先生に渡しながら、ゲラゲラ笑っている。


「かなり減ったろ?」


「まあね。でも俺は、去年の最後しか見てないからねぇ。ヒューイが何回も電話してきたぐらいで」


「ぇ? どういうことですか? ユーリさん?」


「ユーリ」


 先生の低い声が響いた。


「相当荒れてたぽいよ? マイヤー様の子守で。何回もヒューイやミシェルから、戻って来てくれって電話あったから」


「ユーリ。()()付き合いだったな。ロンドンに戻る準備しろ」


「タカシーーーー!!」


「タバコ吸いに行ってくる」


「あーー表は無理だよ?」

「駐車場か……残り何分だ?」


「10分」

「無理だね」


「最悪……」


 先生が天井を仰いだ。

 すいません……なんか申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


 先生が私の手を急に引っ張った。


「?」


 ちょ、せん、せい、い、今っ!! ここで?


 いきなり腕を掴まれ、突然唇を塞がれる。


「控え室でやってくれませんかねぇ? マエストロ殿」


「上着」


 ユーリさんの苦言にも何食わぬ顔で、先生がユーリさんに持たしていた上着を要求する。

 この二人って……

 凄い関係よねぇ……


 先生に絶対服従? って感じでもないけれど……

 プライベート以外「音楽家」の時の先生って基本的に私に何かを「音楽」以外で指図することってない? ような。


 代わりに全てユーリさんに言っているような? あるいは、言わなくてもユーリさんが全て自ら察して動いているのだろうか……


「さて、姫行きますか?」


 ユーリさんの声で思わず先生を見る。

 笑顔の先生に見送られ、舞台に戻り後半戦に備える。



 先生がゆっくり登壇し、後半のメインが始まる。


 最初は『ブランデンブルグ協奏曲』から豊かに始まる。


 まさに弦楽器の共演!

 しかも今回弦20人で奏でる。それにチェンバロを用意し天野先生が奏でる。

 天野先生って器用よねえ。チェンバロも少し練習しただけなのに……


 ブランデンブルグが終わり、ついに今日の目玉が……


『2つのバイオリンの為の協奏曲 ニ短調』に入る。


 先生が私とユーリさんに会釈をし、タクトを振り下ろす。


 最初に私が入り、まったく同じ旋律をビオラでユーリさんが追う。第一楽章は同じ旋律の掛け合い。

 そこに全弦楽器が寄り添いながら、天野先生のピアノが花を添える。


 ユーリさん、リハより何倍も上手っ!


 ユーリさんとほぼ一騎打ち状態の中、ソロに入る。


 何十回、いや、数え切れないほど先生に怒られたパート。

 第二楽章の豊かな旋律へ向かう。


 ユーリさんと先生に何度も怒鳴られたのが鮮明に脳裏に浮かぶ。


 第一楽章と違い、豊かで艶やかな伸びのあるパートばかりが続く中、一切の誤魔化しは効かない中、全弦楽器を引っ張らないといけない。


 お、終わった……

 残すは最後の第三楽章のみ。

 アレグロの早さに乗って、全員が同じ旋律を奏でフィナーレへ向かって一気に駆け抜ける。



 ──お、終わった。


 はぁ、ハァ、ハァ……


 先生がゆっくり指揮台から降りて観客に優雅に会釈をした瞬間だった。



 ──ホールが揺れた。


 その言葉しか思いつかないほど、群衆の歓喜でホール全体に地震が来た? と思うくらい、揺れた。


 鳴り止まる大歓声の中、先生がゆっくりと私とユーリさんの手を取り、観衆に応えるように深く頭を下げる。


 ユーリさんがビオラを抱え、私に拍手を贈ってくれる。

 その瞬間、再び大きな声援に包まれた。


 先生が私の手を取り観客にアピールする。


「おめでとう。デビュー」


 優しく微笑みながら先生が声を掛けてくれる。


「生涯の宝になる瞬間だ」


「はい……」


 溢れる涙に先生がハンカチを差し出し、再び観衆に手を上げアピールした。


 鳴り止まない歓声とスタンディングオベーションの中、舞台袖へと戻る。





 ◇




「せんせーーーーーー!」


 思わず抱きついていた。


「カプリース24な」


「ぇ?」


「アンコール」


「ぇ?」


「あれなら練習してなくてもいけるだろ。ユーリ、バイオリン貸せ」


「ぇ?」


「俺バイオリンがいいのに~~」


「お貸ししましょうか?」


 何か申し訳なく、ガダニーニを先生に差し出すが、先生に頭を軽く叩かれた。


「出せ」


 ユーリさんが渋々控え室に向かった。


「バイオリンだけでいいや。舞台戻れ」


「天野、指揮して」


「は?」


「だって俺バイオリン弾くし」


「えええええええ?」


 また無茶苦茶を言い出した先生に皆が口を開けていた。


「デビュー記念な」


 先生がにっこり笑った。


「お、出た! ストラディ! お前これもう要らなくね? くれよ」


「ガルネリと交換ならいいすよ?」


「あっちのほうが高いわ阿呆か」


「スコア配ってやって高科」


「お前ら無しな前列」


 ……ですよね。



「何で俺が……」


 ブツブツ言いながら天野先生が舞台に歩きだした。


「ジュリアノ主席ってのは嘘か? 卒コンでやったろ? それとも出来ないとか?」


「出来ます! やれば良いんでしょう! やれば!!」


「あ、入りだけで充分ですから、後は俺は引っ張るから」


 再び舞台に戻った瞬間、先生が軽く手を上げ観客にアピールする。


 もう何でもありだわ……

 それに習うように、ユーリさんも手を振っていた。


「笑えよ」


 無茶言わないでくださいよ……

 アナタ達と違ってプロ初舞台に、しかもリハなしぶっつけ本番ですよ?

 しかも最難関曲で……


「間違えても知りませんからね?」


「大丈夫だって俺いるし」


 先生が天野先生に目配せした。


 もう、どうなっても知りませんからね?


 天野先生指揮によるパガニーニ作曲、無伴奏のバイオリン奇想曲より『カプリース24番』が、遂にスタートした。



◆◆おまけ◆◆

チェンバロ:バッハなどのバロック音楽でよく利用されるピアノの前進と言われる「ハープシコード」鍵盤楽器。キラキラした華やかな金属音が特徴。

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