42.世界への挑戦(1)
──無事全曲の総リハを終え、先生が燕尾服に着替え終わり舞台袖の椅子に座っている時だった。
開演まで残り1時間を切ったところで、周りが一気にザワつき始めた。
何事?
ホール入口付近が物々しい雰囲気に包まれる。
沢山の黒いスーツを着た人と、ドイツ警察の制服を着た人達が辺りを囲む。
「せんせ? これって??」
「そろそろ着いたのか? 思ったより早かったな。佐々木挨拶に行ってこい」
「分かりました。御神先生は行かないんですか?」
「俺、行くのおかしいだろ。あ、一応ユーリ行かすわ」
「ユーリ、佐々木と一緒に出迎えに行ってこい」
「俺が? タカシの元カノでしょ? タカシが行けばいいじゃん!」
「ぇ?」
「ユーリ? 殺されたいのか?」
「え? 嘘? 言ってなかった? ごめんーーーーー出迎えに行ってきます!!」
先生が椅子から立ち上がろうとした瞬間、私は先生の腕を掴む。
「どういうことですか? せんせ?」
先生は、私の問いに額に手をあて天井を仰ぐ。
「座ってください先生。どういうことか説明してもらえますか?」
「貴志もしかして!? オルレアン公妃が来るのか?」
高科先生が、近づき先生に詰め寄る。
オルレアン公妃? 誰それ?
「う、嘘だろ?」
天野先生も硬直している。
「ユーリが言ってた、すんごい人ってオルレアン公妃? もしかして? ウィーンから??」
「元カノってどういう意味ですか? せんせ?」
先生に矢継ぎ早に私達3人から質問が集中した。
そんな中、先生は額に手を当て、瞼を閉じたまま微動だにしない。
「高科先生、知ってるんですか? 天野先生も?」
私の質問に、高科先生と天野先生が即座に逃げるように立ち去ろうとする。
「説明してもらいましょうか? そこの二人!」
「貴志……」
高科先生が、先生に助けを求めるような顔をした。
「だから彼女じゃないって。昔世話になった人だ」
先生が少し俯き加減で言いにくそうに言う。
「本当に?」
「ドイツに来て直ぐの頃、世話になった人で、ガルネリの所有者だ。旧ドイツ貴族の公爵家の血筋を引く家系の方で今はオーストリアに嫁いでる。ヨーロッパ社交界で彼女の力は今でも絶大だ。音楽会含めな。彼女に逆らってこのヨーロッパで舞台に立つことは出来ない」
「何でそんな凄い方が? わざわざ?」
「お前の為だ。もういいだろ」
先生が無表情のまま立ち上がり、去ろうとする。
─◇
「まさか本物の姫に頼るとはな……」
高科と天野はヒソヒソと二人で話す。
「これでグラスノーも二度とちょっかいは掛けて来られなくなりましたねぇ。とっくに切れてると思ってましたが……」
「関係は切れてるだろ。向こうももう人妻だし」
「母親のほうだとずっと思ってました……」
「どっちもだよ」
「ええ?!」
高科の言葉に、天野は驚きのあまり声を上げたが、直ぐに周りを見回した。
「何もないのに20億ポンと出すわけないだろ」
「……恐るべし。当時先生ってまだ17歳とかですよねぇ?」
「オルレアンがパトロンだったのは有名な話だろ」
「そこ二人、煩いよ?」
あまりにも男二人の会話に、堪え兼ねて注意した。
「お前さぁ、先に言ってくれよ。今日どっち来るんだ?」
「両方……」
珍しく小声で、ばつが悪そうな顔をする男に驚く。
「は?? 親子両方来るのか? 実際どっちと? 一時期オルレアン家にお前住んでたよなぁ?」
「もういいだろ、その話。そんな10年も前の餓鬼の頃の火遊びなんか」
「火遊びって……人妻だろ。貴志の初めての人ってオルレアン妃?」
「あ! 高科先生。それ違うと思いますよ。ジュリアノの教授でしょう? 多分。でもあの頃ピアノ科の子たちを、沢山連れてましたよね?」
「はぁ? ニューヨーク時代ってまだ15歳だろ?」
高科は、天野の話に驚愕した。
「お前ら音楽家やめてマスコミにでも就職したら? 花音に言うなよ」
立ち去ろうとする男に、笑いながら止めを刺した。
「貸しな。俺たち正直者だから何かの時にポロっと出ちゃうかもだし? な? 天野?」
「まさかとは思いますが、これから各国全てで、先生の元カノ来ませんよね? あの有名な女優さん名前何でしたっけ?」
「あーーーあったなぁ! バレエダンサーも居たろ? もう多すぎて分からん」
「くだらない話をしてないで、さっさと用意しろよ!」
それだけ言ってスタスタ早足で、舞台のスタンバイへ向かって歩いて行く男の背を二人で少し笑いながら眺めていた。
◇
「花音。今日だけ許せ。終わったら何でも言うこと聞くから」
先生が私に頭を下げた。
「もう……過去なんですよね?」
「それだけは約束する。今は勿論、これから先もお前だけだ」
まっすぐに私の瞳を見つめ、視線を逸らすことない彼の顔は、真剣そのものだった。
「ムカつくけど……仕方ないです。先生が私の為に無理してくれた気持ちも分かりますし……」
「愛してる」
そっと唇を軽く覆う。彼の髪を普段よりほんの少しだけ強く掴む。
「今度、本当に名前書いちゃおうかなあ~」
「彫らないから」
「分かってます……」
「夜な。残る程付けるなよ」
「やったーーー」
「分かったからスタンバイしなさい」
はぁ……最悪だ。
ユーリ死ねよ。
本番を前に、男は珍しく少しだけイライラした様子だった。
◇
「御神先生、今、お席にお通ししました。市長も先程お越しになり1席増やしましたが」
「は? 何で市長なんかにロイヤルボックスを与えるんだよ」
マネージャーである佐々木を睨む。
「警備に入った市警から聞いたんじゃないですか?」
「今までいくら税金払ってやったと思ってるんだよ。そんな奴に席与えるぐらいなら、本当に来たかった人に譲れよ。クソが」
「せんせ?」
「何でもないです。花音、今日が本当のデビューだ。いつもと同じで良い」
「はい」
そして、先生がいつもと同じように、舞台を指さした。
「彼処はお前の為に用意された場所だ。思いっ切り楽しんで来なさい」
「はい!」
軽く先生が抱きしめてくれ、ユーリさんと高科先生にエスコートされ、舞台にゆっくり歩く。
今日が本当の初舞台。
先生や、他全員が今日の為に奔走し頑張ってくれた。その思いを無駄にしない為にも、全員の気持ちを一つにして。
これから世界を取りに行く旅が始まる──
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