35.憧れのドイツ(1)
夏の盛り、朝から賑やかな声が飛び交っていた。
「せんせーーパスポート!」
「いいです俺が持ってますから。貴女は何も持たないで下さい」
「……何時の飛行機でしたっけ?」
「言っても覚えられないでしょう。一時間後に出ますから」
「どうしよう! 忘れ物ないかなあ?」
「足りなければ向こうで買えばいいから。何ヶ月も居るのにどうせ」
ですよね……
お正月休みに一時帰国予定ではあるがそれまで、日本には帰れないのだ。
楽しみ~~!
遂に先生と世界の旅に!
「旅行じゃないから。仕事ですからね」
「はい……」
即座に釘を刺すのは止めてください、魔王様。
「向こうにはユーリ達もいるし、女性陣はミシェルの奥さんとヒューイの妹さんが相談にのってくれるから問題ない」
「だって初めてなんだもーーん」
「最初は皆、初めてですけどね」
先生のその冷静過ぎる対応が悲しい。
背中に抱きついたら逃げられた……
◇
「せんせーーー! 早く~~」
「必要ないですから」
「あ! 白井さん達だ!」
急いで駆け寄ろうとした瞬間、先生に腕を掴まれた。
「絶対、勝手に走るな。俺か天野か高科以外について行くな」
「はい……」
今回の日本メンバーはグループ分けを一応されている。
アカデミーの人達は男女混合で、英語かドイツ語などが理解出来るメンバーを必ず入れており、現地での単独行動は禁止されていた。
アカデミーの面々には海外短期留学の経験者も含まれていたため、先生も比較的心配はしていない様子だった。
そこに、ドイツフィルメンバーが振り分けられていた。
ちなみに私は、先生か天野先生、高科先生、そして現地で待機中のミシェルさんの奥様と、ユーリさんが担当になっていた。
「お前、絶対キョロキョロするなよ。首輪付けときたいくらいだわ」
先生が苦笑いした。
……違う意味でちょっと嬉しいかも。
「阿呆」
あれ? 何でバレた?
先生すごーーい!!
◇
無事、搭乗手続きが終わり、係の人に案内されて機内へと向かう。
「何かドキドキしますねぇ。北海道の時と違ってドイツですよ! ドイツ!!」
「貴志、こいつ大丈夫か?」
「任せるわ、高科」
「無理です」
こら! そこ、メンズ二人!
「ひどおおおい! 天野先生がいるもん!」
天野先生に助け舟を求める。
「無理です。計算できない阿呆な子の面倒は見切れません」
酷すぎる……
全員私のこと阿呆な子だと思ってませんか?
「じゃぁ後でな、貴志」
「頼んだぞ、学生達」
「了解」
「え?」
天野先生と高科先生が、白井さんたちのほうに向かった。
何で?
「何でですか?」
「座席が違うから」
「ぇ?」
「ガダニーニがあるでしょう。ファーストを取ってるから。仕方ないからお前も乗せてやるよ」
「やったーーーー!!」
ひ、広い!
広い客室内に人がまばら。何これ!!
先生が座席に腰掛け、バイオリンを隣の席に置いた。そして自らの腰とバイオリンを繋ぐ手錠を掛ける。仕方ないか……超高額なガダニーニですものねぇ。
「暇になったら、映画でも見てなさい」
「ええええええ。ずっと寝るんですか?」
「他に用事ないし。あっち着くのは同じ日の早朝ですよ。機内で寝とかないと、着いてすぐ移動ですからね」
「うそおおおお!!」
「フランクフルト着くのは、同日の7時です」
「……」
「夜が2回訪れるってことですか?」
「こっちを出るのが昼だから、夕方は少なくとも2回堪能出来ますね」
「それってお得? じゃないですか?」
「その次の日にニューヨークへ飛べば、もっと楽しいぞ」
魔王が楽しそうに笑みを浮かべる……
「……遠慮します」
「今回そんなメニュー無かったですよねえ?」
「ヨーロッパが終わってから順に移動だから、そこまではない」
何かすごおおおい! 世界一周? の旅!!
◇
本当に寝てる……
先生って本当に、どこででもすぐに寝られる人よねぇ。
しかも、寝姿が乱れない!
小さく丸くなる癖はあるけれど、全く崩れない!!
尊敬するわ……
夕食を食べた途端、さっさと熟睡しだした先生の顔を眺めながら、至福の時を過ごす。
ミシェルさんの奥様が作ってくれた、現地のお店のリストや雑貨屋さんなどの案内を見ていると、突然、先生に手首を掴まれた。
「少しは寝ないと、向こうに着いてから倒れるぞ」
「はい……」
先生の温かい手に握られたまま、いつの間にか意識を手放していた。
◇
「せんせ~~朝ですよ~~」
少し前まで暗かったのに、窓から見える景色が紫色からピンク色へと移り変わり、白い霧のようなものが見え始めた。
「おはよ」
少し眠そうな顔でこっちを向いた先生が、突然、私の首に手を回して唇を覆う。
……なんかズルイ、それ。
寝起きでも格好良すぎる先生に、ちょっとだけ嫉妬した。
洗面を済ませ、身支度を整えた先生が座席に戻ってくる。
「あと30分くらいだ。用意してこい」
先生に言われ、私も身支度を整え到着に向けて準備した。
初めての異国の地に、高鳴る鼓動が止まらない。
少しづつ高度が下がってきているのが分かる。窓から見える景色が、刻一刻と変わってきた。
「せんせ、あの川は?」
「ライン川」
蒼とオレンジのグラデーションの中、黄色い太陽が見え始める。眼下に大きな長い川を挟み、街並みがまるでおもちゃ箱のように小さく並んでいる。
だんだんとその景色が鮮明になり、色が変わってきた。青と白の飛行機がたくさん停まっている地上に向けて、少しずつ地面が近づいてくる。
トンっ、と軽く飛び跳ねた瞬間、気づいた時には既に着陸していた。
「すご~~い!! 着いた~~」
先生が軽く私の頭を撫でる。
バイオリンを手にした先生の後ろを歩きながら、その手に引かれてタラップを降りる。
「ドイツだ~~」
「はいはい。行きますよ。キョロキョロするなよ」
初めての異国の地での感動もそこそこに、先生に連行されるように入国手続きを終えた。
高科先生や天野先生、他のみんなとも無事に合流し、迎えに来てくれたヒューイさんたちの案内で、私たちはホテルへと向かった。
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