3.嵐の予感(2)
──ビオラを片付けたユーリさんが、此方を向きツカツカと歩いてきた。
そしていきなり私の前に立ち、言った。
「カノンのカプリースを聞いてみたいが? 仲間になった記念にいいかい? レディーカノン?」
おいおい……いきなり喧嘩ふっかけてくるのかよ。
俺は御神先生を見るが無言のままだ。
おいおい、守らないのかよ姫を。
「タカシのガダニーニを受け継ぐ者の音を、聴かせて欲しいな?」
ユーリさんが私の顔を見て、にっこり微笑んだ。
思わず私は先生の方を見るが、先生は先程からサングラスを外すことはなく無言のままだ。
弾けと言われて断ることは出来ない。しかも先に披露された以上……
練習の際にも慣れる為に使いなさいと言われた、先生からのプレゼントである「ガダニーニ」を手に取る。
「花音。普段通りでいい。それ以外何も考える必要ない。あとユーリ、サクライだ覚えておけ」
先生がサングラスを外した。
私の音を出すことだけに集中する。
私のカプリースを。
速い旋律の低音部は軽く押さえただけでも恐ろしいぐらい響く。地鳴りがするぐらい低く甘く。
それに比べ高音部は冷たく強く響き渡り、少しでも気を抜くと音が飛びそうになる。
悪魔の楽器と言われる「ガダニーニ」を弾きこなせるようにならないと。
最後の高速パートを一気に駈ける。
「はぁ。はぁ。はぁ……」
──パチパチパチ
「ありがとう。Puppeちゃん (お人形ちゃん)」
「ユーリ!」
「こわ~いタカシ。正直な感想だけど? 気づいてるくせに? 甘いね自分の女には」
「あ、ドイツ語の方が良かったね。Tschuldigung」
──ガタッ
「先生!」
先生が椅子から立ち上がった。
その瞬間、私が咄嗟に出ようとしたら、天野先生が私の腕を掴んで首を橫に振る。
先生は、そのまま部屋を無言で出て行ってしまった。
「ミスターアマノ。改めて宜しく」
ユーリさんが天野先生に握手を求めたが、天野先生は手を出すことを拒否した。
「Wir helfen einander.ユーリ。僕らは競技じゃない。音楽をやっているからね」
(ここにキミの居場所はないよ)
「ナルホド。そろそろ練習の時間では? ミスターアマノ?」
ニタニタ薄ら笑いを浮かべるユーリさんに、何となく背中がゾクっとなった。
天野先生ってドイツ語も出来たんだ。
ユーリさんが、さっき先生に言った言葉が気になる。
どういうこと?
先生が甘いって?
閉まったままのドアを見つめる。
「天野先生?」
「大丈夫、直ぐに戻るよ」
天野は、この後の光景が想像出来、帰りたくなる気持ちをぐっと抑えた。
間違いなく機嫌が悪くなるマエストロのことを思うと胃が痛くなった。
桜井だけではない。第二バイオリン全員とビオラ入れても「世界のユーリ・プリセツカヤ」に肩を並べれる者など、この日本に存在するわけがない。
唯一彼を黙らせることができる男は、今は奏者ではなく指揮者である。
「とんでもないのが来たな……」
天野は消え入るような声で呟いた。
◇
廊下から足音と、人の声が聞こえてきた。
オケメンが来た?
──ガチャ
先生!
「ビオラに一人追加だ。ユーリ・プリセツカヤ。ドイツ公演から参加する」
「え?」
「タカシ!」
え? 日本公演にはユーリさんは出ないってこと?
「文句があるなら帰っていいぞ。既に日本公演はもう印刷終了している。変更するつもりはない」
先生がいつもの意地悪そうな顔して笑った。
「ユーリ? プリセツカヤ? ロンドンフィルの?? 何でビオラで? 何で日本に?」
「え? バイオリンの人では?」
「ロンドンフィルは?」
オケメンのみんながざわつく。
ロンドンフィルの顔。ファーストバイオリン。そしてその前は先生が引いたドイツフィルの首席を務めた人。
「先程マエストロ様から紹介頂いたユーリ・プリセツカヤです。ユーリって呼んでね? 今回はマエストロ様のたっての要望でバイオリンではなく、ビオラでの参加です。慣れないけど頑張ります。宜しくね?」
「は、はい!」
「あのユーリ・プリセツカヤさんとご一緒できるとは!」
アカデミーの方々に囲まれるユーリさんをずっと怖い顔で睨んでいる先生のことが気になり、視線を先生から逸らすことができない。
そんな私に、ユーリさんが近づいてきた。
「タカシが惚れ込んだって聞いて、気になって見に来たけど、ふつうだったね。タカシがキミに今回どれだけ注ぎ込んでるか知ってるの? 学生のお遊びなら校内でやってなよ。俺達は世界を目指している。タカシの音楽を汚すなら俺はキミを許さない!」
「ユーリ! 失せろ!」
──ドスッ
それは一瞬の出来事だった。
低い鈍い音が聞こえた時には、床に座り込み下腹を押さえる金髪の男性。
「先生!!」
「キャァー」
「御神先生!!」
天野先生をはじめ、オケメンが悲鳴と驚きの声を上げた。
「手を庇ってくれたんだね? タカシ。事実でしょう? このまま板にのせるつもり?」
ユーリさんが下腹を押さえたまま、ゆらりと立ち上がった。
「天野、つまみだせ」
え? 俺かよ……
御神からの視線の圧に拒否することを諦めた天野は渋々ユーリの元に行く。
「Komm,ユーリ」
(ついてこい)
天野は、金髪碧眼のユーリの腕を掴み、引きずるように廊下に連れ出した。




