21.合同練習(1)
朝から引っ越しですか? と、言うぐらい学園に大きなトラックが入ってきた。
「しかし、練習段階から音楽堂貸切るとはな……」
高科先生がその光景を見ながら呆れた様子で眺めていた。
「ピアノ結局もう1台運ぶんだろ? 桜井?」
天野先生が私に聞いてくる。
「ご実家のリビングにあるのを持って行くらしいですよ」
「御神先生、何台スタインウェイ持ってるんだよ……」
天野先生が苦笑いした。
「ご自身のは2台では? リビングのは由紀様のって言ってたから」
私の返事に、天野先生が苦笑いしながら言う。
「274フルモデルをポンって2台直ぐ揃えれる御神家、何か嫌……」
「そこは今更だろ天野……俺達とは次元が……」
高科先生の言葉に私は、ちょっと悲しくなる。2人が次元が違うなら私はどうすれば良いのでしょうか? と。
「すいません愚民の分際が……」
二人の憐れむような視線が悲しい……
──「運び出し終了しました。此方にサインをお願いします」
その声に高科先生がサインをした。
アカデミーにある打楽器や譜面台など、大物の移動を業者にお願いしていたからだ。
一応、大事な楽器が含まれる為トラックに高科先生が同乗し、天野先生が後から付いていくという、徹底ぶりだった。
◇
「久しぶり~~~」
『御神音楽堂』総席数2000名の音楽を中心としたコンサートホール。
御神グループ所有の日本でも有数のホール。
なんと、そのホールを日本公演本番までの間、練習用に貸してくれると。とんでもない話しになったのです。
5月15日より3日間、全国ツアーに向けてのお披露目会。本番は秋の9月より初演はドイツで公演予定である。それに向けての今回は挨拶代わりとメンバー紹介だと。先生は言うが……
それにしては先生の本気度が……
と、思っていたらユーリさんに「アレはずいぶん優しいほうだと思うけど? あんなに優しいタカシなら苦労しなかったよ」と言われ、先日ウチのメンバー全員が絶句した。
先生ってドイツ時代、一体何をしたんですか?
とは到底怖くて聞けませんでしたが……
「先生!」
先生を見つけ走って行く。
「転ぶぞまた」
「すいません……」
「あとピアノの調律待つだけだから。飯食いに先に行ってていいぞ」
「先生は?」
「行けないでしょう?」
先生の苦笑いに納得。流石に調律師さん放置しては出れないですよね……
「ですよね……何か買ってきましょうか?」
先生と話していたら天野先生がやって来た。
「あ、御神先生いいですよ。俺、留守番するんで今日はまだ練習だし、俺も様子見たいですから」
「すいません、俺は役立たずで」
近くにいた高科先生が苦笑いする。
基本的にピアノの調律は調律師さんに任せるが、実際に弾く者が最終的に自分で弾いてみることは珍しくない。舞台で弾くのは自分なのだからその「音」は命である。
「先に行ってくる。花音出るぞ」
「あっ! はい」
◇
「いよいよですねぇ。何かドキドキします」
「今回のは半分お祭りと思って楽しんだらいいよ」
「ぇ?」
「プレ公演なんてそんなもんだろ。まぁ金取る以上はそれに見合うだけのステージにはするけどな」
先生がニヤニヤ笑う。
その笑いが一番怖いんですけど……
本番まで後20日……長いようで早かったような。
「20日間で、海外組と合わせることって出来るんですか?」
私が一番気になっていたのはそれだった。
「充分だろ。短いときだと2週間ないぐらいでやって来たし」
「え?」
「仕事ですから。普通に会社に勤めたら8時間は働くだろ。同じだよ」
そっか!! そんな風に考えたことなかった!! 先生凄い!
「ちゃんと給料として金貰うんだから、その分働けよ?」
先生のそのニヤニヤした意地悪そうな笑顔が刺さりすぎる。
「早く食べなさい」
「はい……」
◇
練習時間近くになると続々とメンバーが集まってきた。
初日の演目であるホルスト作曲の『惑星』より『木星』の通し稽古が始まった。
全曲で7つに分かれていて、『火星』から最後の『海王星』まで通しで約50分。
今日はその中でも一番人気曲の『木星』(ジュピター)を合わせる。
ドイツフィルの人達がスタンバイを終え、先生が客席の5列目中央に座った。
初合わせの為、全体の反響を確かめる為だ。
先生の合図でスタートとなる。
その瞬間を皆が全神経を集中して待つ。
最初の入りの合図だけを行い、今はタクトを振ることはない。
それでも先生のオーラでホール全体が静まり返る。
合図だ!
出だしはちゃんと出れた。
後は皆に合わせ流れるように。
と、思った矢先だった。
マイクを持った先生の雷が落ちた。
「やめろ。聞くに堪えれんな」
日本語が分からない人に、ユーリさんがドイツ語で通訳を行っている。
先生が、マイクを置き舞台に上がってきた。
全員の緊張度が一気に増す。
「花音。お前今、何を思って弾いた?」
「……」
「聞こえなかったのか?」
「すいません。みんなに合わせないと、と思って。それに一生懸命で……」
「第二をやりたいなら、そっち行けよ」
先生が第二バイオリンの方を見る。
「すいませんでした」
頭を下げることしか出来なかった。
「最初からもう一回」
例によって入りの合図だけを先生が行う。
「やめ! 花音お前やる気あるのか?」
「すいません!」
このあとも、何度も同じところで先生に止められた。
「タカシ……そこまで追い込まなくても、まだ初日だし」
「ユーリ、第一入れ」
その言葉にざわついた。
「タカシ!」
下ろされた?
「さっさとしろよ! ユーリ!」
「バイオリン持って来てないんですけど? 今日」
「花音、ユーリに貸してやれ」
「タカシ!!」
それってもう私は用済みってこと?
しかもこのバイオリンって……
先生に言われた通りにユーリさんに、先生からプレゼントしてもらった「ガダニーニ」を差し出す。
「サクライ……」
ユーリさんに、笑顔でバイオリンを渡した。
「頭から通しで」
私の存在など忘れたかのように、先生の指示が飛ぶ。
用済みとなった私は、そっと舞台の袖へ隠れるように下がった。
泣いては駄目。
音楽に対し常に平等で、信念を絶対に曲げることがない神からの宣告に、私は受け入れようとしたが、どうしてもそれを受け入れることが出来なかった。
ユーリさんの堂々とした『ジュピター』が、この広いホールに鳴り響く。
まさに宇宙の壮大さを語る力強い音だった。
これが、世界ナンバーワンの音。
でも、私の目標はこの人ではない。
私は世界中の人を先生と抱きに行く! と約束したのだから。
素晴らしい演奏が終わったあと、私は舞台に向かって歩き出す。
私の夢は、こんなところで終わらない。
いや、終わってはいけないのだ!
舞台中央の先生の前に到達する。
先生の目を真っ直ぐに見て言った。
「もう一度、私にチャンスを頂けませんか?」
そして、オケメンの方に振り返り頭を下げた。
「お願いします! 皆さん! もう一度だけ私にチャンスを下さい」
先生は無言のまま何も言わない。
ユーリさんが私のところへ来て「ガダニーニ」を差し出す。
オケメン全員が楽器を再度構えた。
それを見ても何も言わない先生に、ユーリさんが無言で私に頷いた。
天野先生も高科先生も無言で頷く。
その瞬間だった。
先生が立ち上がり、中央にゆっくりと歩き出した。
「惑星よりジュピター頭から」
なんと、先生が練習中一度も手にしたことがなかった指揮棒を手に取った。
その瞬間、船長が居なかった宇宙船が走り始めた──
◆◆おまけ◆
スタインウェイ:スタインウェイ・アンド・サンズが正式名称。全ハンドメイド最高級ピアノ工房の名前 274=D274のことで全長が274cmの最長コンサート用フルコンサートグランドピアノモデルをさします。
新品で4~5000万前後が相場です。(一般モデル)中古品も多く出回っている為、日本でも多数のホールでも所有されています。フルモデルでない物だと、ホテルなどにも多く置かれています。
調律:ピアノの音の狂いを専門職の調律師が、基本的に1公演につきリハーサル含め毎回、毎日行います。湿気や温度、空調や天気、照明などで微妙な狂いや反響が変わるため。オーケストラの場合専用の調律師がツアーに同行するのが一般的です。




