17.公開処刑
久しぶりに来た慣れ親しんだ学校の一角にあるアカデミー棟内の第三講義室。そこが今の私の部屋だ。
由紀様に先日のお礼と挨拶を終え、先に練習場に行った先生の後を追う。
腕の炎症により、暫く足を運ばなかっただけで懐かしく感じ、感慨深い気持ちでそっと静かにドアを開けた。
皆の視線を一心に浴び、とても嬉しく? 感じた。
意味が今わかった。
天野先生が先程からピアノを弾きながら私の顔をチロチロ何度も見る。
いや、無理ですってば……
近づけるわけないじゃないですか。無茶言わないで下さいって。
──カチカチカチカチカチッ
鳴り続けるメトロノームの音。
ビオラ全員が一列に並び、いや並ばされ『きらきら星変奏曲』の最初の三段目までのフレーズだけを繰り返している。
モーツアルト作の「きらきら星」の原曲である。
永遠と休み無しで続く同じフレーズのみの繰り返し。
どのくらいの時間が?
そっと時計の針を見る。
驚愕した。
「天野! 音飛んでる!」
いや、天野先生ずっと付き合ってるんですから無理でしょう。
既に1時間以上経過してた。
しかも先生は無言でじっと見ているだけの中、答えのない繰り返し。
以前、私もカンパネラで味わったが今回人数が多い。その分ミスは出来ない。
極度の緊張と重圧の中の処刑台。
そして、第二バイオリンも数名が名前を呼ばれ並ばされた。
マジか……
公開処刑ですか?
「花音、由紀呼んでこい」
え?
先生が睨む。
分かりましたって怖いです……
「さっさとしろよ。頭からもう一回」
「ユーリ、第二弾け!」
「なんで俺まで……」
「文句があるならドイツに帰れ!」
◇
由紀様と練習場に戻るが、先生の声が廊下まで聞こえていた。
二人で音を立てないように部屋に入る。
声を出すのも憚られる空気の中、由紀様と二人で息を潜めてそうっと椅子に座るが、目の前の公開処刑にいたたまれない。
由紀様は見慣れた風景なのか苦笑いしていた。
「天野30分休憩。由紀変われ」
ええええええええ?
いきなり?
無茶苦茶でしょうに……
由紀様が立ち上がりピアノに腰掛けた。
マジか……
「頭からビオラと第二全員、ユーリ第一」
ぇ? ユーリさん弾くの?
まぁ仕方ないか……
グスン……
天野先生が、由紀様と代わり隣に座った。
天野先生もお疲れのようで、無言のままぐったりしている。
そりゃあそうでしょうよ。全作品にピアノ一人ですもの……
しかも一音でも間違えられないプレッシャーの中で。天野先生尊敬するわ。
って由紀様うま!
『きらきら星変奏曲』は難易度的にはさほど難関曲ではない。ピアノでも小学校高学年ぐらいから弾けるレベルではあるが、流石に只管弾き続けるとなると……モーツアルトの軽快なリズムにミスタッチが出る。
そしてそれを見逃すような先生ではなく……
これ、もしかして来週から私もやらされるの?
最悪……
「高科~~舐めてるのかお前? 前出ろ!」
ちょ、先生……
その声に教室にいた全員が静まり返った。
天野先生がすかさず私の顔を見る。
私はブンブン首を横に振った。
いや、無理無理。音楽に関して先生に私から何か言うとか絶対無理ですから……
「三ページ目、何回やった? A線がお前のバイオリンには張ってないのか? あ?」
「答えろよ? それとも何か? お前のスコアだけ音符が違うのか? 5度が鳴らないなんて学生以下だろ」
そんな言い方しなくても……確かに先生の言う通りラの音が弱かったけど……もうすぐ2時間か。
仕方ない……
──ガタッ
「座ってるのちょっと疲れちゃった~~。一回そろそろこの辺で休憩しませんか?」
皆が静まり返った中、私の顔を一斉に見た。
白井さん口開いてますけど⋯⋯
「あ? 邪魔するな花音」
「せんせ? 一回休憩してからにしましょ? ね?」
「貴志、一旦休憩にしましょう」
由紀様が立ち上がり、先生を止めた。
その声に、先生は無言で部屋を後にした。
これってやっぱり私追いかけた方がいい感じ?
皆の視線が一気に集中する。
天野先生を見るが天野先生からも無言の圧が。
絶対怒られそうなんですけど……
ハァ……仕方ない。
渡り廊下にある自動販売機で珈琲を買い、先生のもとへ行く。
隣の部屋に居ないってことは多分喫煙室?
校内全館禁煙だったのを先生が無理やり作らせたと言う……
気が重い……
絶対朝何かあったんだわ……
確かに高科先生のミスがあったのはわかるけど、あそこまで言う必要も……
──トントントン
「みーつけた!」
「あ? 何しにきた」
「はいどうぞ」
珈琲だけ先生に渡してドアを閉める。
禁煙室の窓の下で暫く待ってみる。
──ガチャ
喫煙室から出てきた先生は無言のまま私をじっと見る。
「帰ろ? みんなのところへ? ね? せんせ?」
無言でスタスタ歩き出した先生より少し遅れて後から付いて行く。
──ガチャ
その瞬間、廊下まで聞こえていたザワつきが、一瞬にして潮が引いたように皆が自分の位置に戻り、緊張した空気に再び包まれた。
「ユーリ全員集めろ」
「頭から」
『キラキラ星変奏曲』は、全部を通すと約12分間ある。それをオーケストラ用に再リメイクして45分に編曲されていた。
前半のホルストの『惑星』が約50分で休憩入れて約2時間を予定していた。それにアンコール曲としてディズニーの『星に願いを』が最後に入る。
その全ての全パート一音に至るまでを、把握している先生の超人的な頭にも驚くが、それに長年付いて行ったユーリさんが所属していたドイツフィルのメンバーが来週には日本に来る。
私を含め、ここに居る素人との差は歴然だろう。
唯一大手フィルでの演奏経験がある高科先生ですら、先生からしたら気に入らない。
そんな状態のなか、先生が苛つく気持ちは分からないではないが……
それでも先生は、敢えて高科先生を第二のトップに指名した。
私もがんばろっと……
最後の一時間は、先生は一言も発することはなかった。
終了後、黙って部屋を出て行った先生を追いかけた。
◇
「焼肉食べたい!」
「は? お前昼あんなに食ったろ?」
「育ち盛りなんです~~」
「デブるぞ?」
良かった。いつもの先生に戻っていた。
◇
「お邪魔しま~~す」
いつものようにシートベルトをしていた時だった。
「明日、契約することになった」
先生がポツリと言う。
「え? 何処とですか?」
「御神 幸造さんの会社」
「幸造さんってっ」
思わず吹き出してしまった。
それで機嫌が悪かったのね。
「良かったですね」
「は?」
「良かったんですって。ね? せんせ?」
「犯すぞ」
私は静かに瞼を閉じて先生を待つ。
「運転中」
それでも負けない私に、先生は笑いながら呟いた。
「困ったお嬢さんだな」
「先生の秘蔵っ子ですから。やっぱり師が頑固だと、生徒も頑固になるんですかねえ?」
「あ? 犯すぞここで」
「運転中では?」
先生に首に手を回され、その胸に引き寄せられた。
「ねぇ? キスして?」
「いやだ」
ずっと待っている私に、軽く触れる。
「何処で覚えたんだか」
「嫌い?」
「いや?」
やっぱり先生は笑っている顔が格好良いです。
良かった。
言い出せなかった先生の肩の荷が下りて、本当に良かった。
◆◆◆おまけ◆◆◆
きらきら星変奏曲:モーツァルト作曲の、皆が一度は耳にしたことがある「きらきら星」ドドソソララソあの曲の原曲 ピアノの発表会でも良く弾かれるメジャー曲の定番作品




