10.甘い時間は地獄への誘い
──甘い夜からのホテルの一室。
朝から元気な声が部屋中に飛んでいた。
「見てみて~~先生。晴天ですよ!」
「水族館、雨でも関係ない」
まだ半開きの目を擦りながら、布団を被ったまま半分だけ顔を出した先生の隙だらけの顔が、愛おしい。
「もうぅ。起きて起きて」
「嫌です」
「凄い景色良いですよ?」
「三ヶ月前に全く同じ景色を見ました。同じ部屋です」
布団から出てこようとしない先生のもとに行く。
「先生って本当に、夢ないですよねえ? もう! 音楽家なのにぃ」
「お前にだけは言われたくないです」
「起きて?」
「やだ」
「襲いますよ?」
「駄目です」
ブツブツ言いながらも、起きてきてくれた先生に抱きついた。
「おはようございます?」
「……おやすみ」
「せんせーー!」
「用意出来たら起こして」
再びソファーで小さく丸くなって寝始めた先生に毛布を掛けて、着替えをするために移動した。
◇
「せんせーー写真撮ろう!」
「嫌です」
「撮りますね」
「なら聞くなよ最初から」
「行きますよ~~」
「その元気、練習の時に出してくれませんかねぇ?」
「本番に強い子なんで」
「どうだか?」
先生の手を引っ張り、お魚さんの前に行く。
水族館も、だって初めて来たんだもん。
あ、小学校の遠足で一回だけ小さな水族館に行ったかも!
◇
「か、可愛い……」
「は? どこが?」
ヒトデを見ながら思わず出た言葉だったが、先生に呆れた顔をされた。
◇
「どっちが良い?」
「付けませんよ」
何故分かった?
イルカのキーホルダーを見ていたら、お揃いの可愛いのを見つけて聞いたが即答された。
「記念にどうですか?」
「じゃぁ来月無しで」
「ひどおいーー」
意地悪そうな顔して笑う先生にむくれていると、結局二つとも買ってくれた。
「せんせ?」
「何?」
「大好きっ」
◇
「何で楽しい時間って直ぐ終わるんですか?」
「昨日の夕方からだぞ。充分長いだろ」
「ずっと一緒がいいもん」
楽しかったデートの帰りの車内。ずっと時が止まれば良いのにと毎回思う。
でも今までと違うのは、二人で同じ部屋にまた戻れる幸せ。
「ただいま~~私のお家!」
「俺のな」
「同じようなものでは?」
「お前さぁ。ぬいぐるみとか置くなよ。仕切るぞエリア」
「やだああああああああ!」
高級グランドピアノの上に可愛く並んだ「夢の国」で買ってもらった、ネズミくんカップルのぬいぐるみに、今日連れて行って貰った水族館で買って貰った「ヒトデ」さんを置くと若干微妙だった……
「スタインウェイが泣くわ……」
「可愛いでしょ?」
「どういうセンスなんだよ」
◇
夢が覚めるのは早いもので。
楽しい時を待つ時間は長く感じ、楽しかった時間はあっと言う間に終わってしまう。
神様はズルイ。
横でスヤスヤ眠る神の顔を見つめる。
「先生、風邪引きますよ~~ちゃんとベッドで寝て下さいって!!」
お疲れのところ、ありがとう御座いました。
寝室から布団を引っ張ってきて、先生に掛けた時だった。
「30分したら起こして。仕事するから」
「ぇ? このあと?」
その質問に答えることなく、再びスヤスヤ眠る神を見て胸が締めつけられた。
自費でオケメン全員分の宿泊費から交通費、給料を賄う。先生はその額の大きさを私に一切語ることはなかったが、夜中にたまに一人で起きて書斎に篭っていることは知っていた。
頑張ろう……
今の私に出来ることはそれしかないのだから。
◇
いつもと同じ朝。
ただ、今日はちょっとだけ違った。
朝から至福の時間が緩やかに訪れる。
「これってすごーーい贅沢な時間ですよねえ?」
「そうか?」
何度か軽くピアノの音を探りながら、フレーズが出来上がっていく。神の魔術が目の前で繰り広げられる。
御神 貴志の未発表の作品が間近で出来上がっていくのを一番に聴けるってファンとしては、もう涎もので御座います。
最近、先生が仕事の合間で作曲をしている。
本当に何でも出来るのね。もう驚きよりも、超越過ぎて……
そもそも驚いたのはバイオリンを最近あまり弾いている姿を見ないので聞いてみたら、あれあんまり得意じゃないんだよ。とサラリと言った。
ジュニア世界コンクールで金賞を何度も取った人に「得意じゃない」と言われたら、もうどうすれば良いのかが分からない……
「得意じゃなかったから頭にきて練習して、てっぺん取ってやめてやるって思った」
その発想が御神 貴志の全てだった。
絶対的自分への自信。過信ではなく「自信」を信じて、努力を惜しまない人。
「音楽」に対して謙虚過ぎるぐらい、真摯に向かい努力を続ける目の前の至宝に、どうすれば追いつけるか? が、新たな目標となる。
──パチパチパチッ
「今日も至福な時間をありがとう御座いました」
「ちょっと微妙、まぁ今日は終了」
神が首を傾げる。どうも納得してない様子だ。
「あれで駄目なんですか?」
「唆られない」
凡人には分からない境界線である。
そんな私の反応に、笑いながら頭をポンと叩かれた。
珈琲を飲みながら、観葉植物に水をやる先生の背中に抱きついた。
「何?」
「ううん。何となく」
そんな緩やかな朝がゆったりと流れていく。
「お前、呑気にしてないでパッセージやれよ」
「……きょ、今日は午前はお仕事は?」
「始めろ」
このあと神の前で只管指使いの基本練習を1時間みっちり一音たりともミスしたら怒鳴られると言う、至福の時間を過ごせたのであった。
「今日カンパネラな」
「ぇ? ホルストは?」
「終わってから」
「え?」
「どういう意味ですか?」
ニヤニヤ笑う先生の顔が怖すぎる。
第一楽章完結
「今話で第1楽章完結になります」
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