7杯目:かさぶたさえもいつかは消えるでしょうし
バーのカウンターでたまたま横に座ったあなた。
お互い別の人と来ていたのに、時間が進むにつれ、二人で話すようになりました。
お幾つなんですか?
ご趣味は?
普段休みの日は何をして過ごしているんですか?
そんな他愛もない話が楽しかったのを、僕は覚えています。
別に何か特別面白い事を言ったり言われたりした訳でもないのに、その時間はすごく胸を満たされた気がして。
ふと気づきました。
あぁ、僕は今、この人と話してること自体に、喜びを感じているんだ。
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「それから2年後、物の見事に別の男とくっついた彼の面影を未だに引きずっているわけね」
ママにトドメをさされる。
「それはあえて言わなくても……」
「あえて言ったのよ」
僕が語るより先にママに言われてしまいましたが、結論は既に出たとおり。
想い人は僕の知らない男と結ばれました。
顔も知らないその人と、彼は先日、北海道旅行に行ったそうです。
SNSに写真が投稿されていて、それで初めて知りました。
「しんど」
写真を見た時、思わず口から出た言葉がそれでした。
ある夜、バーで一緒に飲んでいる時に「いつか北海道旅行に行きたいと思っている」なんて話をしたことがあったからです。
きっかけは僕。暑いより寒いほうが好きで、本物の雪景色というやつを見てみたいとこぼしたのが始まりでした。
暑がりだった彼もその話に乗っかってくれて、「好きな人と旅行に行けたら最高だろうね」なんて話してくれた。
「別に、『君と行きたい』とかは言われてなかったですけどね……」
「うっすらとでも、期待してたんでしょ」
また図星。この人は本当によくみているなと思う。
「元々モテる子だったし、たまに酔うとやっちゃうのよねあの子……。思わせぶりな態度というか」
「あー……まさに僕は引っ掛かっちゃったんですね」
「そういうことになるわねぇ」
不意に頭を撫でられたり、手を握られたこともありました。
だから、勝手に舞い上がってしまったのです。
もしかしたら、この人は僕のことを見てくれているんじゃないかって。
あまり恋をしたことがなかったから、簡単に心を奪われてしまったのです。
「普通はそういうことされて、ちょっと目を離した隙に他の男とくっつかれたら、キレてもいいと思うけど。そのへんあんたはどう思ってるのよ」
正直なことを言えば、嫌いになりたいと思った日がありました。
その方が楽だと思ったから。
頭を撫でないで欲しかった。手を繋がないで欲しかった。
人懐っこい笑顔で、僕を見ないで欲しかった。
「あの人から受けた笑顔とかスキンシップとか言葉とか、全部否定しようとしてみたんです。でも、だめでした。最後の最後で、『だから嫌いだ』って、言えなかった。思えなかったんです」
未練がましい自分が本当にカッコ悪いなと思う。
もうちょっと、大人になりたい。
そしたら、彼もひょっとして振り向いてくれるかも、なんて。
「あんたが今考えていることが手に取るようにわかるわぁ」
「やめてください。見透かさないで」
とりあえず両手で顔を隠してみたけれど、あまり効果はなさそうです。
「万が一にも、なんてあんまり考え過ぎない方がいいわよ。自分を苦しめるだけよ」
「……わかってます」
現に今、すごく苦しいし。
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その日の夜、夢を見ました。
彼と旅行をしている夢。
そこは北海道ではなくて、どこか別の地域。
でも、すごく楽しかった。夢の中で何を話したのかは全く思い出せなけれど、初めて会った日のように、ただその空間が愛おしく感じた。
ずっとこのままでいたいな。
そんなことを考えたあたりで、目が覚めました。
とてつもない喪失感で、おかしくなりそうでした。
さすがに泣いてはいなかったけど、ギリギリだったと思います。
「……これは、よくないな」
このままこの感情を抱き続けていても、僕は不幸になっていくだけだと思いました。
そもそも不健康な状態だと感じました。
だから、一つ決断をしました。
彼のSNSのフォローをこっそりと外して。
連絡を取っていたアプリのお気に入り登録も外して、非表示にして。
ブロック……をするのは流石に気が引けたので、今回は見送りで。
彼の存在を、できる限りの範囲で見えなくしました。
そうやって、ちょっとずつ、僕の生活から彼を切り離す。
そうすることで、出会う前のフラットな気持ちに戻せるだろうと、そう考えたのです。
そうできると、思っていたのです。
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で、それからどうだったかと言うと。
「あんたなんか前よりしんどそうだけど大丈夫なの?」
「……もちろんですよ」
謎に疲れていた。
張り合いが出ないというか、なんというか。
生きる光を見失ったような。
「生きる光って」
「でも、ほんとにそんな感じなんですよね……なんでだろ。SNSのフォローとかも解除したのに。なんか未練がどんどんでかくなっていくようで。自分で自分が怖いですよ」
「相当メンタルにきてるわねあんた……いっそ告白して玉砕してきたら?」
「彼氏持ちに告白しにいくような度胸は持ち合わせてませんよ」
「そうよね。そんなことできるならそもそも病まないわよね」
それはそう。
もっと早くに告白していれば、彼と一緒に旅行をしていたのは僕だったのだろうか。
でも、もし振られてしまったら、なんて考えると、怖くて告白なんてできませんでした。
彼に距離を置かれる未来の方がつらいと思ってしまったから。
「もう少し、図々しくてもいいと思うわよ、あんた」
「図々しく、ですか」
「人様にあまり迷惑をかけなければね。自分で責任持てる範囲で、図太く、よ」
ママの言うことは、わかるようなわからないような。
少なくとも、今の自分にはうまく受け止めることができませんでした。
でも、なんとなく、その言葉にヒントがある気はして、腕を組んでうんうん唸っていると。
「いらっしゃ〜……」
「どうも! 連れてきちゃいましたー!」
最悪のタイミングで、彼が相方を連れてきたのです。
「あ、あぁ。彼氏さん、よね」
「はい。初めまして!」
元々背の高い彼よりも、プラス5cmくらい背が高い。180はあるんじゃなかろうか。
爽やかで、鼻筋が通っていて、顔立ちもはっきりとしていて。
多分、外国人の血も入ってそう。
どこでこんなイケメンを捕まえてきたんだろう……。
目の前で起きていることに現実味がなくて、なんとなくぼーっと見ていると、彼が僕に気づいて近づいてきました。
「きてたんだ! 最近連絡取れないから心配してたんだよー」
「えっと……」
「あ、紹介するね! 俺の新しい相方でーー」
話が入ってこない。何も。
少しずつ、目の前が滲んできたけれど、僕はまだ笑顔を作れているのでしょうか。
あぁ、でも、いいかもしれない。
このまま話を聞き続けていれば、きっと僕の中にも彼を嫌いになるきっかけが出てくるかもしれないと考えたのです。
今までの思わせぶりな態度全てを帳消しにして、まるでそんなことは一度たりともなかったような顔で、最愛の人を紹介してくる彼の笑顔を見ていれば。
きっと。きっと嫌いに。嫌いに。
「ーー大丈夫?」
不意に現実に引き戻される。
彼が本当に心配そうな声で僕の顔を覗き込んでいました。
「えっ、あ、はい! すみません、ちょっと飲み過ぎてるかもで……今日は、帰りますね! すみません、せっかく紹介してもらえたのに」
彼の返事を聞く間も無く、僕は荷物をまとめて、カウンターに代金を置いて、逃げるように外へ出た。
これがきっかけで彼の方から僕を嫌ってくれないかな、なんてことも一瞬思って、そんな未来を想像しただけで本当に苦しくて、吐きそうになりながら帰路につく。
本当に、飲み過ぎていたのかもしれない。
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そのあと、彼からは何の連絡も来ていません。
当然かもしれません。あんなふうに、話を聞かず飛び出した僕を。
初対面の相方さんにも「嫌なやつだな」と思われたかも。
でも、それでいいと思います。
だから、最後の仕上げに、僕は2週間後にあらためて飲みに出ました。
平日ということもあって、店内には僕とママの二人だけ。
事前に連絡をしていたので、この時間帯なら他にお客様がいないこともリサーチ済みです。
「……で、どうするの?」
「アカウント、ブロックしちゃおうと思います」
「それ確か、一回ブロックしたらやりとりも全部消えるんじゃなかった?」
「はい」
「それでもいいの?」
「もう、振り返っても意味ないと思ってて。けじめをつけるつもりで思い切っちゃおうと」
まあ、仮にこの店で会うことになっても、気まずくて会話はできないだろうし。
「あんた、それって自分の気持ちに正直になってる?」
「もちろんですよ! 新しい恋を探すためにも、こういう未練は断ち切るべきだと思います」
「最近のあんた、見るに耐えない感じだったし、それで吹っ切れるならいいけど……」
「でも、僕だと踏ん切りつかなくて……だから、ママ、お願いします!」
唐突にスマートフォンを差し出してきた僕にママが目を見開く。
「あたし!?」
「ぜひ! 介錯人として!」
「いやよ! なんであたしがあんたのスマートフォン借りて片思いに終止符打たないといけないのよ!」
「そう言う経験、まだしたことないでしょ! 僕でぜひ初めてを!」
「気持ち悪い言い方するんじゃないわよ! いやよ絶対!」
「そこをなんとかっ……!」
10分ほどの押し問答が続いたのち、ママは黙って少し考えて、小さくため息をついた。
「……あんたが今より楽になる方法を実行したらいいのね」
「はいっ」
「そう。じゃあ貸しなさい」
フレンドの管理画面を表示して、ママに渡す。
ママは画面を見て、また少し考えて、決意したように画面をタップしていく。
……なんかタップ数多くない?
「あの、ママ?」
「ん?」
「ブロックするだけですよ? なんでそんなたぷたぷと」
「うるさいわね! 慣れてないのよ!」
ちょっと待ちなさいよ、と若干声を荒げながら操作を続け、2分後。
「ほら、できたわよ」
「ありがとうございます。これでやっと……え?」
突き返されたスマートフォン。
開かれていたのはフレンド一覧の画面。
その一番上に、きらきらとしたエフェクトがついた彼のアカウントが出ている。
この表示は知っている。だって、この間解除した「お気に入りフレンド」の証だから。
「ちょっと! 操作間違え過ぎでしょ!」
思わず言葉が汚くなる。
「間違えてないわよ! 探すの苦労したんだから!」
「なんでっ……ブロックしてって……!」
「ブロックよりそっちの方があんた救われそうだと思ったのよ」
「何を根拠にそんなことを」
「あんたがおかしくなりだしたのって、距離置こうとしだしてからだったじゃない」
その瞬間、言葉に詰まってしまった。
SNSのフォロー解除から始まった、僕の中での後始末。
距離を取らないと、余計なことを言って、彼に迷惑をかけるかもしれないと思っていた。
実際、この間は彼の言葉も聞かず店を飛び出したし。
「ストーカー行為とか、そういう犯罪チックなのは断固反対よ。それに、未練を断ち切るために相手との繋がりをできる限り断とうという考え自体も、否定はしない。むしろ勇気のある行為だと思うわ」
でもね、とママは続ける。
「それぞれにあった、決着の付け方とか、傷跡との付き合い方があると思うのよね。無理矢理あの子のことを忘れようとするあんたのやり方は、あたしからすればあんまりいい結果が出るとは思えなかったわ」
「……」
「あんたにとって、何が最良の結末なのか、もう一度考えた方がいいと思うの」
「最良の結末……」
「だから申し訳ないけど、もう一つお節介を焼かせてもらったわ。あんたから今日飲みに行きたいって連絡入った時にね」
あの子、タイミングとかはめちゃくちゃいいから、と付け足す。
何の話だろう。
ママの今言ってくれたこと、もう一つ焼いてくれたお節介のこと、いろんなことが頭の中をぐるぐると駆け回っていると、唐突に店のドアが開いた。
視線を向けると。
「……っ!」
「ごめん! 待って! 今度は! お願い。逃げないで」
彼がいた。走ってきたのだろうか。
肩を上下させて、汗ばんだ顔も愛おしくて。
あらためて、自分がまだこんなにも彼のことを諦めきれないのだと自覚する。
「なにか……ありましたか?」
恐る恐る聞いてみる。
ママが黙って、グラスに水を注ぐ。
僕から二つ離れた所の席にコースターとグラスを置いて、彼に無言で着席を促した。
彼は呼吸を整えながら、席についた。
微妙な距離感だ。なんだろうこれ。僕がまた驚いて逃げないようにか。
「あの日君が突然帰った意味がわからなくて」
「……」
「でも、それは俺だけで。彼氏が初めに察して、ママと一緒になって俺を責め始めて」
その場にいなくてよかった。地獄の光景じゃないか……!
「あのっ、その節は、本当にごめんなさい……。まさか彼氏さんにまで……」
「いや、違うんだよ。俺が悪いんだよ」
ゆっくりと、彼は僕に謝り始めました。
自分の酒癖の悪さと距離感の近さで、長い間傷つけてしまっていたと。
ーーそういえば、彼は酒が入っていない時は、すごく誠実な人だったと思い出しました。
いつも優しく声をかけてくれて、周りへの気遣いも忘れなくて。
自分より酔っ払っている人がいたら、真っ先に介抱を名乗り出ていた。
スキンシップに目が眩み、笑顔の虜になって。自分の恋心を優先して、彼のそんな側面を忘れてしまっていた。
「……謝ることで、また君を傷つけるかもしれないと思った。でも、俺は今日、ちゃんとけじめをつけるべきだとも思ったんだよ」
「けじめ……?」
「ごめん。君の気持ちには応えられない。君と飲む酒は本当に楽しい時間だと、今でも思う。でも、俺の中で最愛の人は、もう……」
全く同じ状況ではないにせよ、彼に振られてしまう場面は幾度となく想像していました。
どんな形であれ、バッドエンドの未来ばかりがよぎって、だから告白することができなかった。
そんな瞬間が、唐突にやってきた。
想像の中の僕は、どうしようもなくなって泣きじゃくっていたり、死にそうな顔をしていた。
それなのに、今は。
「……ありがとうございます」
「え?」
「ちゃんと、言ってくれて、ありがとうございます」
「……」
「僕は、あなたのそういう誠実なところに一目惚れしてました。お酒を飲んだ時の距離感が近くなる感じも好きだったけど、思い出してみれば、初めて会った時は、お互い、一緒に来ていた友達の介抱に手一杯で、たいして飲めてなかったですもんね」
彼との出会いばかりにフォーカスがあたっていたけれど、そういえばあの日はお互い先に相手が潰れていたっけ。
「あぁ……確かに、そうだったかも」
「僕、多分まだあなたのことを好きなままだと思います」
「……そっか」
「でも、次は逃げません。あなたが好きになった人も、きっといい人だと思うから」
出会って数分で逃げ出した僕のために怒ってくれる人。何より彼が好きになった人が、悪い人なわけないと思う。
「うん……めっちゃいいやつだよ」
「だから、次、もう一度紹介してください。それが僕にとって、一つのけじめになると思うんです」
実際にその瞬間がくれば、きっと苦しさを感じてしまう気がします。
でも、それでいいと思えました。
「わかった」
「それで、北海道の話も聞かせてください。僕がいつか、新しく大好きな人ができた時、参考にしたいから」
「……うん」
自分の今の気持ちを伝えて、なんとなく、心が軽くなったような気がした。
いつの間にか僕達から一番離れた席で酒を飲んでいたママにも、言うべきことを言う。
「ありがとうございます、ママ」
「この一杯、あんたのボトルからもらっといたわよ。それくらいの報酬はあってもいいでしょ」
そんな返しに思わず笑ってしまう。
つられて彼も、笑ってくれた。
僕は一つだけ席を彼の方に詰める。
もう一つそばの席に行きたいけれど、そこはもう、埋まっているから。
「この距離感がちょうどいいかも」
少しだけ離れて、でも乾杯はできるような距離で、僕は彼に、どうやってあんなイケメンを捕まえられたのかから、会話を再開することに決めたのです。
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今も、僕のアプリの最上位には彼のアイコンが輝いています。
まだしばらくは、このままで。
未練がましい自分が嫌いだった。
年相応ではないと自己嫌悪の日々だった。
でも、そうじゃなかった。
これは、僕が一人の人を真剣に愛せたことの証です。
次に誰かを好きになれるその日まで、この席はまだ彼のもの。
それくらいの小さな図々しさは、あってもいいでしょう?
ママを除けば、誰にも告げない、僕だけの秘密。
大事な大事な、僕の片想いの傷跡。




