6杯目:笑顔の練習しておかないと
バーのカウンターで独り。
ズボンの右ポケットからスマートフォンを取り出し、画面をつけて通知を確認する。
特に何も届いていない。左ポケットにしまう。
「……」
しばらく黙って酒を飲む。店内の喧騒も気にならない。
オレは今、独り酒を楽しんでいるのだ。
そんなことを考えながら、左ポケットからスマートフォンを取り出し、画面をつけて通知を確認する。
特に何も届いていない。右ポケットにしまう。酒を飲む。
「…チッ」
何か聞こえたか?
いや、オレは周りの目や喧騒など気にならない。酒を飲む。
右ポケットからスマートフォンを取り出して通知を見る。何も来ていないので左ポケットにしまう。
酒を飲む。左ポケットからスマートフォンを取り出して通知を見て右ポケットにしまって酒を飲む。
「……ちょっと」
右ポケットからスマートフォンを取り出して通知を見て左ポケットにしまって酒を飲んで左スマートフォンからポケットを取り出して右ポケットがきていなくて酒を飲んで通知を閉まったところで手が滑ってグラスを床に落とした。
「「「いやぁぁぁぁああああ!」」」
グラスが割れた音に、店内にいたゲイが一斉に悲鳴をあげて、こちらを見る。
「もうっ! 拾うから動かないで。あ、触るんじゃないわよ!」
ママが呆れた顔でちりとり、ほうき、モップを店の奥から取り出す。
オレはというと、店内中から浴びせられる不安と好奇の目に対して、小さな声で謝罪をしながら頭を下げた。
音の出どころが分かったことで皆安心したようで、再び各々の会話に戻っていく。
「ったく。ずーっとスマホペチペチ触ってなんなのあんた」
「いやぁ……ごめんなさい」
「……そういえば最近あんた一人でくるわね。あの子は元気?」
なれた手つきで足元の破片を回収し、こぼれた酒まで綺麗に拭き取りながらママが聞いてくる。
あの子、というのはオレの−−。
「あー、最近、飲みに誘っても忙しいみたいで」
「ふーん……」
「今日も連絡はしてみたんですけど」
「なるほどねえ。待てど暮らせど連絡がないと」
この2ヶ月ほど、彼とは連絡が取りづらくなっていた。
映画、ご飯、飲みの誘いは全て断られた。
今までだったら即レスしてくれていた深夜のくだらない会話の数々も、2時間、3時間空いてから、こんな返答が来る。
『ごめん汗 寝てた』
うそつけ、と思う。
夜型なのは知っている。
「まあ、仕事が忙しい時期なんじゃないの?」
「2ヶ月もですかぁ?」
「……本当は何してるかなんて知らないけどっ」
唐突なママの言葉に心臓が跳ねる。
「え」
「いいじゃない、別に。『友達』なんでしょ」
わざわざ強調してくるあたり、本当に意地が悪いと思う。
まあ、大体オレが悪いのは身に染みて分かっているのだけれど。
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彼と会ったのは今から2年前。
マッチングアプリを通じての出会いだった。
初めの1週間ほどはメッセージでやりとりしていたが、オレから誘う形で二人でご飯に行くことになった。
同い年だったこともあって、そんなに緊張せずに話ができた、と思う。
もともと人見知りのオレにとって、なかなかない状況だった。
そこからは早いもので、一緒に映画を見に行ったり、買い物に行ったりした。
そして、ある夜、このゲイバーに辿り着いたのだ。
正直、二人ともこの手のお店に行った経験は当時なかった。
だから、しばらくは常に二人で一緒に飲みに出ていた。
そんなある日のことである。
「そういえば、君たちめちゃくちゃ仲良いけど、付き合ってるの?」
そんなことを聞いてくる常連がいた。
デリカシーないのはどんな世界にもいるんだなと思いつつ、柔らかく返す。
「違いますよ、友達です! ね?」
彼に同意を求めて顔を見た。
その時の目は、今でも忘れられない。
なんだか少し、悲しそうに見えた。
「はい! よく映画とかご飯食べに行ったりとかするんですけど、やましいことは何も」
「そうなんだ! いいねぇ、そう言う関係。大事にしなよぉ」
ありがとうございます、と二人で声を揃えて言う。
その時のトーンも、ほんのちょっと低い気がした。
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『ごめんねー汗 今日ちょっと無理かも汗』
飲み始めて2時間後のこと、ようやく返信があった。
まあ、なんとなく分かってはいたけれど。
「……」
「あからさまに落胆してるわね、あんた」
「い、いや、そんなことは……」
動揺を隠しきれない。
焦って手元のグラスを掴もうとして、距離感を見誤り倒しそうになる。
「次割ったら……」
「あ、大丈夫です! 肝に銘じます! 絶対、わらない!」
端的に宣言して、ママの許しを得る。
「……オレ、帰りますね」
「次は、一緒に来れたらいいわね」
思わぬ言葉にママの顔をまじまじと見てしまう。
「なによ」
「まさかそう言うこと言ってもらえるとは思ってなくて」
「鬼かなんかだと思ってる?」
これ以上言葉を交わすと墓穴を掘りそうだったので、慌てて会計を済ませて店を出た。
「……あ、そうだ。帰りにコンビニ寄らなきゃ」
そんなことを呟いて一人歩く。
ほんの2ヶ月くらい前までは、横に彼がいて、オレの独り言にもちょこちょこ反応してくれて。
楽しかったな、と思う。
本当にくだらない話もしたし、恋愛遍歴みたいなのもお互い語り合った。
そういえば、あの時。
「……なんて言ってたっけなぁ。好きなタイプ」
その独り言にも、何も返ってこない。
ほんの少しの寂しさを感じながら、気づけば駅に着いていた。
改札を抜けて、ホームに向かって歩みを進めながら、何の気なしにマッチングアプリを立ち上げた。
「……あれ」
距離にして数十mの場所に、彼の顔写真があった。
そうか、この辺まではきてくれていたんだな、と思う。
多分、何か急用ができて、いけずじまいだったのだろう。
「また、次誘うかぁ」
タイミングが合わないことも、付き合いが長くなればそれなりにある。
そう思いながらホームに立って、気づいた。
反対側に彼がいる。
そのそばには、知らない男。
何か談笑をしていて、こちらには気づいていないようだ。
2ヶ月ぶりの彼の笑顔は、すごく眩しくて。
「……」
あぁ、思い出した。
彼の好きなタイプ。
『あんまり顔とかでは選んでないんだよねぇ。でも、僕は君みたいなノリの人と一緒にいるのが一番楽しいかも。くだらないことで笑い合えるのが一番幸せだと思うから』
それに同調した気がする。
オレも笑って話せる人が好きだ、と。
歳が近いとなおいいよね、とも話した気がする。
「……」
目が離せなかったが、向こうがオレに気づくことはなかった。
やがて向かいのホームに電車が来て、二人で乗り込むのが見えた。
その後、すぐにオレの乗る電車も来たが見送った。
次の時間のやつに乗ろう。多分、飲みすぎたんだと思う
ちょっと、座って、休憩でもして、帰ろう。
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翌週、オレは一人で飲みに出た。
今日は、彼に連絡もなし。
早い時間に入って、客が少ないうちに帰ろうと思う。
「あら、オープンと同時に来るなんて、珍しいわね」
「……」
「今日もひとり……っていうか、なんかあった?」
「な゛ん゛に゛も゛」
ママの顔を見た途端に涙と鼻水がだばだば出た。
若干引いた顔をしているママに構うことなく、カウンターの一番奥にこしかける。
「何飲むの」
「……とりあえず、緑茶割りで」
オレのボトルを取り出して酒を注ぎながら、ママが話し始める。
「あの子とは連絡取れたのー?」
「……」
「そう」
「……先週」
「なに?」
どうにか鼻水と涙を吹ききり、先週の飲み帰りに見たことを話す。
「あんたほんと、間が悪いというかなんというか……」
「すごく、楽しそうでした」
「……そうなの」
「オレといるときより、多分」
楽しそうだった。楽しそうに笑っていた。
あんな笑顔を向けられる相手なら、きっと、素敵な人なのだろう。
彼の、彼のタイプなのだろう。
「連絡してみたの?」
「いや、なんか、流石に踏み込みすぎかなって」
「そうね。それがいいわ。向こうが何か言ってくるまでは突っ込まないのが正解だと思うわよ」
こんなことになって、ようやく全てに気づいた。
彼から向けられていたはずの想いも、彼を裏切ったオレの浅はかさも。
「最低最悪だなぁ……」
「自覚したの?」
「ママ、気づいてたんですか?」
鼻で笑ってママが返す。
「あんたさっき、『オレといるときより楽しそうだった』って言ってたけどね」
真っ直ぐこちらの顔を見て、言葉を続ける。
「あの子、あんたと一緒にこの店に来る時、いつもすごく楽しそうだったわよ」
言葉が出ない。
「あんたが横にいる常連と話してる時とかも、ずーっと、あんたの顔見てた」
「……ばかだなぁ」
「はい、お酒どうぞ」
両手で丁寧にグラスを受け取る。
次割ったら、多分出禁だろうし。
一口つけて、味わって、もう一口飲んで、大きくため息をつく。
「……友達には、戻れないかもなあ」
「どうかしらねぇ。ゲイの世界は移ろいやすいから。期待を持たせるつもりはないけど、案外しれっと戻ってくるんじゃないの」
ママの言うことも尤もではある。
そもそも、彼氏なのかもわからないし。
いや、あの雰囲気だと。おそらく。
「優先順位が変わることはあるかもしれないけれど、友人であることに変わりはないんじゃない?」
「ですかね……」
いっそ、嫌いになれたらと思う。
あの日帰宅して、マッチングアプリで彼のアカウントをブロックした。
その後、普段連絡を取っていた連絡アプリを立ち上げて、彼のアイコンを長押しして。
「……っ」
−−消せなかった。
好きだなんて、今更どの口が言えるものか。
でも、友達として彼を見ることが、これから先できるだろうか。
そもそも、もう連絡なんて来ないかもしれないのに、いつまでもこの連絡先を残しておく意味はあるのだろうか。
「いいんじゃないの。そのままで。あんたが苦しくなければ、だけど」
苦しい。でも、消したくない。
だって彼は、オレの。
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数日後、彼の方から連絡が来た。
恋人ができたことと、また近況報告で飲みに行かないかという誘いだった。
彼の中で、オレは「なんでも話せる友達」になったのだと思う。
吹っ切れたんだろうな。
これは、あの日オレが選んだ結末だ。
『おめでとう!』
そんな、当たり障りのない返信と合わせて、飲みに行く日取りを調整する。
ママはどんな顔をするだろうか。
驚く顔が見れたら、ちょっとは救われた気にもなるかもしれない。
そんなことを考えながら、彼からの返信を待ち続ける時間がはじまった。
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出会わなければよかった。
連絡を取らなければよかった。
一緒に映画なんか行かなければ、ご飯なんか行かなければ、あのバーに行かなければ。
苦しい、苦しい、苦しい、苦しい。
……彼もあの日、こんなことを思いながら帰路についたのだろうか。
どれだけ彼を傷つけてしまったのだろうか。
好きだったんだなぁ。
好きだったんだ。
今、やっと気づいた。
ずっと、手を伸ばし続けていたんだろう。
君の気持ちにも、自分の気持ちにも、気づくのが遅過ぎた。
ごめんな。
おめでとう。
ごめんな。




